第2章:怪物たちの産声
第13話:数字という名の麻薬
梶原が帰った後も、部屋の空気は張り詰めたままだった。
テーブルの上に置かれた札束と、梶原が残していった対戦相手のプロフィールが、私たちの未来を決定づける宣告のように思えた。
「……やるしかない、よね」
私がか細い声で言うと、凛火は何も答えずに立ち上がり、黙々とトレーニングの準備を始めた。それは、肯定とも否定とも取れない、静かな意思表示だった。
その夜から、私は変わった。いや、変わるしかなかった。
梶原が置いていったノートパソコンを開き、私は初めて「配信者」として、自分たちのコンテンツと向き合った。
画面に映し出されるのは、無数の数字とグラフ。
視聴者維持率、コメントのアクティブ率、新規フォロワーの流入経路、そして、どの瞬間に投げ銭が集中したかを示すヒートマップ。
梶原の言う通り、最も数字が跳ね上がったのは、凛火が血を流した瞬間だった。
私は、過去の私たちの配信録画を、何度も、何度も見返した。
最初は、そこに映る自分たちの痛々しい姿に胸が苦しくなった。しかし、繰り返し見るうちに、感情は麻痺し、いつしか私は、一人の視聴者のように、あるいは冷徹なプロデューサーのように、その映像を分析していた。
凛火のどの技が、見栄えがいいのか。
どの苦悶の表情が、視聴者の庇護欲を掻き立てるのか。
私のどの歌の、どのフレーズが、コメント欄の熱狂を最高潮に導いたのか。
私は、ノートに気づいたことを細かく書き出していく。
それは、アイドルのレッスン日誌とは全く違う、まるで戦場の兵士が書く作戦メモのようだった。
「詩凪…」
背後から、トレーニングを終えた凛火の声がした。
私は慌ててノートパソコンを閉じた。こんな姿を、凛火には見られたくなかった。
「何をしている」
「ううん、なんでもない。次のライブのこと、少し考えてて」
「……そうか」
凛火はそれ以上何も聞かず、汗を拭きながら部屋に戻っていった。
彼女の背中を見送りながら、私は罪悪感に苛まれる。しかし、それと同時に、言いようのない高揚感が、私の全身を駆け巡っていた。
楽しい。
面白い。
まるで、今まで誰も解けなかったパズルを、自分だけが解いているような感覚。
数字が伸びるたびに、フォロワーが増えるたびに、私の存在が世界に認められていく。その感覚は、どんなステージで浴びる歓声よりも甘美で、抗いがたい麻薬だった。
私は再びノートパソコンを開き、次の配信のための「台本」を作り始めた。
凛火の動き、私の歌うタイミング、そして、彼女が「苦しむ」べき瞬間。
全てを計算し、完璧な物語を構築していく。
その姿は、もう、ただのアイドル・藍原詩凪ではなかった。
自分のパートナーを、最も効果的に傷つける方法を模索する、冷酷な演出家だった。
そのことに、私自身は、まだ気づいていなかった。
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