第49話 潜伏。

 カサカサ……カサカサ……。


 廃墟となって久しいバトロン伯爵の邸宅で、獣だろうか、乱雑に生えている雑草が揺れていた。


 カサカサ……カサカサ……。


 しかし妙だ。確かに草は揺れている。しかし、揺れている草をようく観察しても、なにも見当たらない。


 カサカサ……カサカサ……カサカサカサカサ……。


 草の揺れは、少しずつ バトロン伯爵の邸宅へと近づいていく。そして、


 キィィィィィィ……パタリ。


 わずかに開いて何者かが侵入すると、静かにドアが閉じられた。


「ふう……」


 バトロン伯爵の邸宅に入った人物は、いきなり姿を表した。左手には、黒いローブが抱えられている。彼の名はフィリップ。ローゼンクロイツ家で使用人として働く少年だ。もう片方の手には、食料品が入った袋を持っている。


 フィリップは、キシキシと床をならして屋敷の奥へと歩いていき、一番奥の部屋のドアをノックした。


「……はい」

「フィリップです。マシュー様、ミエル様、お食事をお持ちいたしました」

「わかりました。今開けますね」


 キィィィィ。


 静かにドアが開くと、そこには廃墟だとは思えない清潔な一室があった。奥のベッドには、マシュー卿が横になっている。


「ありがとうございます。フィリップさん。わたくしども親子のために、ご苦労をおかけいたしますね」

「苦労だなんて、そんな! 漆黒の聖女ミエル様の護衛は、イザベラ様より最重要任務として承っておりますので」


 ミエルは、フィリップが脇にかかえたローブを見る。


「本当に不思議なローブですね。被ればたちまち姿が見えなくなくなんて」

「『視断のローブ』のことですね?」

「そのローブも、ゲオルク様の発明なのですか?」

「はい。ゲオルク殿と、アブラアン先生の共同開発です。ゲオルク殿が、母なる大地の東に浮かぶ島国で出会った、シノビなる隠密任務を生業とする人物の術を見て閃いたそうです」


 フィリップは話を続ける。


「体内にある微弱な魔力に反応し、ローブの表面に周囲の風景を投影させているのだとか。構造的には、ミエル様の『魔断のローブ』とほぼ変わらないと申しておりました」

「このローブがなければ、わたくしども親子は、暗殺をされておりました……」


 そこまで言うと、ミエルは首をかしげる。


「しかし、なぜ、王直属の『下弦の騎士団』がわたくしどもの命を狙ったのでしょう?」


「イザベラ様いわく、『下弦の騎士団』は、こたびのローゼンクロイツ伯爵暗殺事件の真犯人と通じているのだとか。誠に心苦しいのですが、確たる証拠を摘むまでは、ミエル様たちにはここで潜伏をしていただきたいと、イザベラ様からご指示を受けております。ご不便かと存じますが、どうか、ご辛抱くださいませ」


 頭を下げるフィリップに、ミエルは、彼の手をとってやさしげに語りかける。


「辛抱だなんてそんな。わたくしどもは、充分に快適な生活を送らせて戴けております。なりより、フィリップさんの淹れる、大陸一の紅茶が毎日楽しめるのですもの。これ以上の贅沢はございませんわ」

「も、勿体無いお言葉……そ、それでは早速食事といたしましょう」


 紅茶の腕を褒められたフィリップは、顔を赤らめながら、そそくさと食事の準備にとりかかった。



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