第2話 一周目で告白したからって二周目で告白するとは限らない


 彼女が何を疑っているのか確認しようとしたところで、ちょうど五限の予鈴が鳴った。授業に遅刻するわけにはいかないので急いで屋上から出る。

 教室に戻ると、何やら妙に視線を感じた。氷空に呼び出されたことが影響しているのだろう。

 しかし反応するのは面倒なので、適当に気づいていないふりをして自席に座る。そして窓の外を眺めながら授業が始まるのをじっと待った。


「はい、みんな席に着け。ではホームルームを始める」


 担任の先生が教卓の前でそう言うと、


「さて、まずはスポーツ大会の実行委員を決めたい。誰か立候補する人はいるか?」


 彼女の言葉通り、スポーツ大会の実行委員決めが始まった。先生が腕を組んで教室を見渡す。するとすぐさま後ろの席から手が上がった。


「はい、俺やります!」


 クラスのムードメーカーであるサッカー部の中野だ。

「よし、男子は中野に決定と。女子は?」


 先生が頷くと、今度は前の方の席から控えめな手が上がった。


「立候補します」


 手を挙げたのはテニス部の鈴木である。少し緊張した面持ちで立候補を宣言した。


「中野と鈴木な。よし、では実行委員はこの二人で決まりとする」


 先生が黒板に二人の名前を書き込むと、教室に軽い拍手が響いた。

 そんな光景を眺めながら、俺は思わずゴクリと唾を飲む。

 ――当たったのか?

 チラリと後方の席の氷空に視線を向ける。するとパッと目があって、何やら彼女は不敵な笑みを浮かべた。

 ――言った通りでしょう?

 まるで表情だけでそう語っているみたいで、背筋にゾクっと寒気が走る。

 いや、そんなはずはない。いくら彼女が実行委員を言い当てたからといって、人生二周目などという荒唐無稽な話を信じる根拠にはならない。実行委員決めは事前に先生から聞き出している可能性があるし、立候補に関してもある程度は推測できる。だから今回はたまたまだ。たまたま当たっただけ。

 そう頭を切り替えてしばらく実行委員になった二人の挨拶を聞き流していると、ちょうど挨拶が終わったタイミングで、


「次は席替えを行う」


 示し合わせたように先生が言った。

 ――また当たったのか?

 いいや、まだだ。席替えはくじ引きで行われる。くじの結果によっては氷空と隣の席という面倒な状況を回避できるはずだ。


「順番に引いてくれ」


 出席番号順にくじ引きが始まった。俺の名字は不動なので後半。氷空が先に引くのでその結果を見た上で引くことができる。そのアドバンテージを逃すつもりはなかった。

 次々と順番は進み、くじの結果に一喜一憂するクラスメイトたちを眺めながら過ごしていると、


「次は氷空」


 ようやく彼女の順番が回ってきたようだ。

 立ち上がった彼女の一挙手一投足を固唾を飲んで見守るクラスメイトたち。本人の望む望まないに関わらず、教室の注目を集めてしまうのは、ひとえにその存在感ゆえだろう。

 長い髪をたなびかせ、ゆったりとした足取りで教卓に向かう姿は、やけに様になっていて、不覚にも美しいと感じてしまう。

 彼女はそのまま誰にも視線を合わせずに教卓に到着すると、箱の中から一枚の紙を引いた。


「氷空は何番だ?」


 周囲からそんな声が聞こえる中、彼女は淡々とした様子で紙を開く。そしてそこに書かれた二十番という番号を、まるで俺に見せつけるかのように突き出してきた。

 後方の窓際か。一番良い席だ。教師から見えづらく、外の景色を眺めることもできる絶好の席。

 俺はふと黒板に書かれた座席表に目を向けた。くじを引いた者から自分で名前を書いていくという仕組みだが、どうやら彼女の隣は空いているようだ。

 ――これは非常にまずい。


「次は不動」


 しかし焦る暇もなく、順番が回ってきてしまう。俺は唾をごくりと飲み込むと、恐る恐るくじを引いた。

 そして結果は……二十一番。彼女の隣だった。


「……終わった」


 ポツリと呟いた声は教室の喧騒の中にかき消されていく。

 ――氷空塁音の隣の席。

 そんな男子であれば誰もが羨むような最高で最低な席を手に入れたことにより、周りから羨望や嫉妬の眼差しを向けられながらも自席に戻る。

 一体これはどういうことなのだろうか?

 にわかには信じられなかった。彼女の言っていたことが全て当たっている。人生二周目という話は本当なのか?

 いやでも、そんな漫画みたいな話が現実で起こるはずがなくて――、


「どうした不動? 早く席を移動しろ」


「……はい」


 一斉に席移動が始まる中、ぼうっと俯いていた俺は担任から注意され、渋々荷物を持って新しい席に向かった。

 後方の窓際から一つ隣の席。場所自体は決して悪くはないが、ふと隣を見ると、


「これで信じてくれる?」


 ニヤリと不敵な笑みを浮かべた氷空が、したり顔で聞いてきた。彼女の瞳は爛々と輝き、その奥では底知れない鋭さを放っていた。



 俺――不動時雨は高校デビューに失敗した哀れな人間である。髪型を変えて、発声方法を変えて、明るく振る舞って。クラスの中心人物と仲良くしようと、友達を作ろうと奮起した。

 キラキラした高校生活を送るんだと、そう決意して、新しい自分を作り上げようとしたのだ。

 最初は、うまくいったように見えた。クラスの輪に溶け込み、冗談を言い合って笑い、まるで生まれ変わったような気分だった。

 しかしその生活は長くは続かなかった。

 ある日、鏡を覗いた時にふと考えてしまったのだ。

 ――これが本当の自分なのか、と。

 それから鏡に向かって自問自答する時間が増えていって、気づけば毎朝髪をセットするのが億劫になってきて、寝癖がついたまま登校したら友達から笑われて、そんな日々を過ごしているうちに、精神をすり減らしていったのだろう。

 何かが、ゆっくりと、確実に失われていくような感覚に襲われて、どうすればいいか分からなくなった。

 そんなときだった。

 教室の片隅で耳にした彼女の言葉が、俺の胸に深く突き刺さったのだ。


「私、先輩のこと微塵も好きじゃありません。そもそも会話をしたのすら初めてですよね? どうしてそれで好きになるんですか? 顔ですか? 顔で一目惚れですか? 信じられないです。そうやってあなたはこれまで人を好きになってきたんですか? だとしたら心から軽蔑します。私、大切なのは中身だと思うので。外見だけ取り繕って、表面上の関係だけで満足するような人とは、付き合うどころか友達にすらなりたくありません。以上です」


 それは氷空塁音が、告白してきた先輩を公開処刑している瞬間だった。彼女の声は氷のように冷たく、まるで精密機械のように淡々と、一定のトーンで相手の心を切り刻んでいく。

 他人事ながら酷い対応だと思った。少なくとも自分に告白してきた人に言うようなセリフではない。

 しかしなぜかその言葉が俺の心にグサリと刺さってしまったのだ。


 ――外見だけ取り繕って、表面上の関係だけで満足するような人。


 その言葉が妙に引っかかって、まるで自分のことだと思った。まさに今の俺の状況を言い表しているみたいだった。一度それを自覚すると、途端に全てが嫌になった。そして頑張ることをやめた。明るい振る舞いをやめ、元の自分――つまらない自分に戻ったのだ。

 それが今の俺である。

 だから氷空から声をかけられた時、本当に驚いたんだ。どうしてこんな俺に? と心底驚いた。

 そして『人生二周目』だと宣言された時はさらに驚いた。人生二周目なんて、そんなのありえないとパニックになった。

 しかしまさか、それ以上に驚く展開が待っているとは夢にも思わなかった。

 

「――どうして告白してこないんですか!」

 

 放課後の屋上の静かな空気を彼女の不満げな声が切り裂いた。


「どうして告白してこないんですか? 一周目ではこのタイミングだったはずです!」


 腕を組んだまま、追い詰めるように近づいてくる氷空。俺はゆっくり後ずさったが、すぐに背中が壁にくっついてしまい、そこで逃げ場がないことに気づいた。


「隣の席になって興奮したあなたが、友人とのノリで勢いのまま告白する。そして撃沈。それが一周目のあなたのはずです。なのに、どうしてですか? 詳しく説明してください」


「いや、説明しろって言われても……」


 逆にどうしろと言うのだろうか。説明が欲しいのはこちらの方である。

 そもそも一周目の俺とは? 友人とは誰のことだ? ノリで告白? 残念ながら一つも心当たりがない。ってあれ?


「というかさ……」


 初めは混乱していて気づかなかったが、先ほどの発言にはどうしても聞き捨てならないことがあった。それは……、


「俺、心当たりないのにフラれたことになってないか⁉︎」


 という点である。

 仮に彼女の言うことが本当だとすると、俺は一周目の世界で盛大にフラれているということになる。そりゃ、告白が成功するとは思ってないけどさ。それでも勝手にフラれた扱いをされるなんて、そんな状況を見過ごせるはずがない。


「そもそも俺は別に――」


「――ごめんなさい。申し訳ないけど、不動くんの気持ちには応えられない。私、ノリで告白してくる人が世界で一番嫌いだから」


「だからなんで俺がフラれたみたいになってるんだよ!」


 どうして一周目の告白の返事を、二周目の俺が受け取らなければならないのだろうか。理不尽にも程がある。そもそも一周目とか二周目とか、俺からすれば全く心当たりがないわけで、もう何が何だか分からなかった。


「大体な、俺は別に氷空のことを微塵も好きではないからな。むしろどちらかというと避けてたから! めちゃくちゃ危険人物だと思ってたから!」


 誤解がないように必死に弁明する。全て心からの言葉である。嘘や冗談が一つもない、完全なる本心。

 なのにどうしてだろう。

 俺の言葉を聞いた氷空は、急に不機嫌そうな、拗ねたような顔で、口を尖らせている。

 本心を言っただけなのに、どうして俺が悪いみたいな雰囲気になっているのだろうか。謎である。

 しかしそんな俺の態度が余計に癪に触ったのだろう。


「……ムカつく」


 しばらく無言で俺を睨んでいた彼女はポツリと呟いた。

 と同時に、まるで堰を切ったように叫び出した。


「ムカつく! ムカつくムカつくムカつく!」


「えっ?」


 何が起きて……。


「ほんとにありえないんだけど。女の子に面と向かってなんてことを言うの? ありえない。ありえないし、ムカつく。とにかくムカつく」


 先ほどまでの大人びた棘のある雰囲気とは一変。まるで駄々っ子が癇癪を起こしたように「ムカつく」を連発している。感情的になっているのか、声のトーンも一段階上がっていて、


「なんか雰囲気変わった?」


「うるさい。一周目では告白してきたくせに……」


「全く心当たりがないんだけど」


「私は全部知ってるから!」


 彼女はぐいっと顔を近づけてきて、鼻先が触れ合いそうな距離感で畳み掛ける。


「全部知ってる。ノリで告白しているような雰囲気を漂わせながら、内心では本気だったってこと。本気で私にメロメロだったってこと!」


「はあ?」


「だから早く告白して。じゃないと、なんか私がフラれたみたいで嫌」


 言い終えると、呼吸を乱しながら膝をつく氷空。息ができなくなるくらいの熱量で告白しろと要求してくるなんて……不気味以外の何者でもなかった。もうめちゃくちゃだ。


「俺は絶対に告らないからな!」 


「どうしてなの!」


「告白っていうのは本当に好きな人にするもんだろ? それに、今告ったら完全に『ノリで告白した奴』だと思われるじゃん。流石に嫌だろ」


「告白されない方が嫌なんだけど?」


 俺の真っ当な発言に対して、ムッとした表情で訳の分からない反論をしてくる氷空。


「傲慢すぎるだろ。それにお前、いつも告白されて嫌そうにしてるだろ?」


「そうだけど……それとこれとは別。とにかく、告白して」


「嫌だって何度言ったら分かるんだよ」


「告白してって何度言ったら分かるの?」


 火花のような視線がぶつかり合う。お互いに一歩も引く気はなかった。このままでは埒があかないだろう。永遠に話が平行線である。


「はぁ……とにかく俺は好きでもない奴に告白しない。以上だ!」


 キッパリと言い切ると、 


「あぁもう! 不動くんのくせに生意気。生意気生意気生意気!」


 彼女は露骨に顔を歪めながら、感情をむき出しにした。その姿は普段とのギャップで非常に破壊力があったが……。


「じゃあ俺はこれで――」


 それはそれとして、これ以上彼女の相手をしていたら心臓がもたない。そう判断した俺は逃げるように一歩踏み出した、その瞬間だった。


「――待って」


 細い手が俺の腕をぎゅっと掴んだ。

 振り返ると、氷空の力強い視線が俺を捉えている。

 先ほどまでの子どもっぽい表情は消え、その瞳にはどこか余裕なさそうな、必死そうな感情が見え隠れしている。


「なんだよ?」


 問いかけると、彼女は腕を掴んだまま唇をキュッと結んだ。そしてゆっくりと口を開く。


「そろそろ白状してよ。ここまで開示してるんだから察してるでしょ?」


「は?」


「いじわる。……分かっているくせに」


「全く何のことか分からないんだけど?」


 何を期待してそんな眼差しを向けてくるのか、本当に分からなかった。


「はぁ……。あくまでも私から言わせる気なのね。ほんとにムカつく」


 彼女は盛大なため息をつくと、諦めたように肩を落とした。そしてじっと見つめ直してくると、ゆっくりと、それでいてはっきりと、口を開いた。


「不動くん」

 

「――あなたも、二周目なんでしょ?」

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