10-4 大きな手の温度
re:十月二十四日
今日は、私の誕生日だった。
昼休み、クラスの友達が代わる代わる机を訪れて「おめでとう!」と声をかけてくれる。
小さな袋や色とりどりの包装紙で包まれたお菓子や雑貨が重なって、机の上はあっという間に華やかな山になった。
「ありがとー!」
私はできるだけひとりひとりに笑顔を向ける。みんなが祝ってくれる、その気持ちが本当に嬉しかった。
でも。
その輪から少し離れたところで、教科書を開くふりをしている人の姿を、どうしても気にしてしまう。
――イオリ君。
声をかけてくれるのを、心のどこかでずっと待っていた。
けれど彼は視線を上げることもなく、昼休みはそのまま過ぎていった。
放課後。
「後で美月の家にケーキ持っていくね!」とカレンが笑顔で言った。
ヒナとユウヤもつられて笑い、わいわいと駅前に向かっていく。
春樹も「塾あるから先に行くわ」と軽く手を振って出て行った。
気づけば、教室に残っているのは、私とイオリ君だけだった。
「……帰る?」
少し不器用な声が耳に届く。
「うん」
私は鞄を肩に掛けて、笑顔を見せた。
それだけで、胸の奥にぽっと小さな火がともる。
並んで校門を出た。
夕暮れの風が落ち葉を巻き上げて、足元をかすめる。
沈黙が、ふたりの間に長く流れていった。
「ねぇ」
思わず口を開いた。
「最近、距離あったよね」
その言葉を口にした瞬間、空気が少し張り詰めた気がした。
イオリ君は一瞬目を伏せてから、低い声で答えた。
「……どうしたらいいか、分からなかった」
その言葉に、胸がちくりと痛む。
でも同時に、ちゃんと向き合おうとしてくれてる気がして、不思議と安心もした。
「そっか。じゃあ、もう仲直りしよ」
信号が青に変わる。
横断歩道に足を踏み出す前、イオリ君が小さく息を吐いた。
「……美月、誕生日おめでとう」
突然名前を呼ばれて、心臓が大きく跳ねた。
本当は二度目。
でも、そのことを口にする気にはなれなかった。
胸の奥で、大事にしまっておきたいから。
「……ありがと。すごく嬉しい」
笑って言葉を返した瞬間、彼の耳が赤く染まるのが視界の端に映った。
渡り始めた横断歩道の真ん中で、不意に私の指先が彼の手の甲に触れる。
ほんの一瞬で終わらせるつもりだった。
でも、離したくなくて。
そっと指先で彼の手を握った。
イオリ君の肩がかすかに揺れた。
視線は逸らされてしまったけれど、その頬が赤く染まっているのを私は見逃さなかった。
何も言わないくせに、その沈黙が答えみたいに胸に響いた。
「私ね、今を楽しむのが一番だと思うんだ」
歩きながら、ぽつりと呟いた。
――また同じことを言ってしまった。
あの日と同じ言葉。だけど、今は全然違う気持ちを込めている。
「明日のことなんて分からないし。だから、今日をちゃんと笑って過ごしたい」
(ほんとは分かってる。未来がどうなるのか、私は知ってしまってる。
だけど、イオリ君に気づいてほしかった。
この言葉の奥にある気持ちを――)
彼は前を向いたまま何も言わなかった。
でも、繋いだ手を振りほどくこともなかった。
その温もりだけで、胸がいっぱいになった。
沈む夕陽に照らされて、並んだ影が長く伸びていく。
どこまで一緒に歩けるのか――そんなことを願ってしまう自分が、切なかった。
【美月の日記 10月24日】
今日は、私の誕生日。
たくさんの友達が「おめでとう!」って声をかけてくれて、机の上は小さなプレゼントやお菓子でいっぱいになった。
私は「ありがとう」って笑顔を返したけれど、本当はずっと気になっていた。
――イオリ君。
みんなの輪には入らず、少し離れたところで教科書をめくっていた彼。
声をかけてほしかったのに、昼休みはそのまま過ぎてしまった。
でも放課後、二人きりで帰ることになって。
途中で「誕生日おめでとう」って、不器用に名前を呼んでくれた。
本当は二度目だけど……それでも、胸の奥があたたかくなった。
横断歩道で、思わず彼の手をそっと握ってしまった。
顔をそらしたくせに、耳まで赤くしてた。
何も言わないのに、ちゃんと伝わってきた。
……もしかしたら、イオリ君はまた私のことを好きになってくれてるのかもしれない。
そんな風に思ったら、嬉しくて、涙が出そうになった。
でも。
この幸せが長くは続かないことも、私は知っている。
タイムリミットは、確実に近づいている。
私とイオリ君の未来を、無情に引き裂く時が。
だからこそ、彼の手を離したくなかった。
今を大切にしたいと思った。
「今日をちゃんと笑って過ごしたい」って言った言葉に、全部の気持ちを込めた。
残酷だと思う。
時間も、任務も、運命さえも。
でも、最後までやり遂げなきゃいけない。
それが私の役目だから。
その時まで、私はイオリ君と一緒にいられる今を、精一杯抱きしめていたい。
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