1-4 放課後とメッセージ
教室の隅で、女子たちに囲まれて笑っている美月を、イオリは何気なく目で追っていた。
その笑顔の中心には、自然と人を引き寄せるような力があった。
会話の内容までは聞こえないが、身振りや表情から、ちょっとした恋バナで盛り上がっているのだろうということは察せられた。
ふと、男子グループの一角から「うわ、マジで!?」という大きな声が響く。
何人かがスマホをのぞき込み、ゲームのリザルトや動画の話題で騒ぎ立てている。
画面を指差しながら「勝率8割ってエグくね?」などと盛り上がる声が、教室のあちこちで交錯していた。
イオリはそれらの喧騒を、ただ遠くの音のように感じながら、自分の荷物に手をかけた。
その動作ひとつとっても、どこか浮いているような感覚がつきまとう。
(にぎやかだ……けど、騒がしすぎるってわけじゃない。ただ──慣れていないだけだ)
そう思った矢先、机をついて身を乗り出してきたのが、美月だった。
「ねぇ、一之瀬くん!」
元気な声とともに、至近距離で覗き込んでくる。夕陽が差し込む教室の窓辺で、彼女の髪がオレンジ色に染まって見えた。
「帰る方向って、どっち?」
「……北西だ。この学校からだと、駅の反対側」
「え、うそ。じゃあ私と一緒じゃん! ね、一緒に帰らない?」
一瞬、イオリの中にためらいがよぎる。保護対象との私的な接触は原則控えるべきだ。
だが、「帰り道の行動」も観察対象としてのデータにはなる。
(……必要な観察だ。感情を挟むな)
自分にそう言い聞かせるようにして、口を開いた。
「……わかった」
「やった! じゃ、行こっか!」
笑顔で跳ねるように荷物を抱え、美月は先に廊下へと出ていった。
イオリはその背中を追いかける。
下駄箱の前で、美月が「うーん」と唸った。
「いつもここでつまずくんだよねー……」
ローファーのかかとにうまく足が通らず、片足でぴょんぴょんとバランスを取りながらもがいている。
見かねたイオリは、無言でしゃがみこみ、彼女の靴をそっと整えてやった。
「えっ、ありがと……なんか、意外と優しいじゃん」
照れたように笑う美月に、イオリは視線をそらし、軽く首を振った。
昇降口の外に出ると、まだ日差しがほんのり暖かい。
空には鱗雲が流れ、校門の外では自転車のブレーキ音や、下校中の中学生のはしゃぐ声が響いていた。
ふたりは連れ立って歩き出す。住宅街の通学路を抜けると、やがて川沿いの道に出た。
夕陽が川面を照らし、金色の波がゆらゆらと広がっていく。遠くではランドセルを背負った小学生が、橋の上ではしゃいでいた。
「この時間、けっこう好きなんだ」
ふいに、美月がぽつりとつぶやいた。
「……なぜ?」
「一日が終わっていく音がするっていうか……ちょっと寂しくて、でも落ち着くの」
そう言って、美月は小さく息を吐いた。
イオリは返答を見つけられず、ただ川の流れを見つめた。
規則正しく流れる水音。その静けさに、未来では聞いたことのない“穏やかさ”があった。
(誰にも邪魔されずに、ただ歩いて、言葉を交わすだけの時間……)
「……一之瀬くんって、やっぱり静かなんだね」
「そうかもしれない」
「けど、なんか、最初に思ったより……優しい気がする」
そう言って、美月は歩調を緩めた。
イオリも、自然とそのペースに合わせる。
通学路の脇には、古びた文具店があった。木製の棚が見える古いショーウィンドウには、色褪せた折り紙や鉛筆が並べられている。
その前を通り過ぎると、玄関先で眠る猫が一匹、顔を上げてこちらを見た。
「この猫、いつもここにいるの。名前は“しらたま”って言うんだって。うちの弟が勝手に呼んでるんだけどね」
美月が笑いながら指差す。
「弟がいるのか」
「うん、小学三年生。けっこう元気で……やかましいの。でもね、かわいいよ」
イオリはふと、未来の自分に家族がいたかどうかを考えていた。
正確な記録はない。幼い頃に事故で引き離され、育ったのはデータベースと施設の中だった。
“家”という言葉の持つ温度が、よく分からなかった。
信号が赤に変わり、ふたりは並んで立ち止まった。夕風が吹き抜け、美月の髪がふわりと揺れる。
「ねえ、一之瀬くんってさ、なんか……昔どこかで会ったことある気がするんだよね」
「……昔?」
「うん。ほら、デジャヴってやつ? そんな気がするだけかもだけど」
イオリは息を呑みかけたが、すぐに平静を装った。
「気のせいだ」
「そっか。だよね。でも、不思議なんだよな〜」
彼女は笑って、信号が青になると軽やかに歩き出した。
住宅街の角に差しかかると、美月が足を止めた。
「ここで曲がったら、私の家。じゃあ、また明日ね!」
「……また明日」
「ねえ、そうだ! 連絡先、交換しない?」
「連絡先?」
イオリが戸惑って眉をひそめると、美月はスマホを取り出して笑った。
「えっ、スマホ持ってないの? じゃあLINEは?」
「……ライン?」
「うっそ、まさかの“LINE知らない系男子”? やば〜、未来から来たとか言わないでよね?」
まさに図星で、イオリは一瞬だけ言葉を失った。
それを察することもなく、美月は「まあ、いいや」と軽快に操作を始める。
「じゃ、いいよ。これ見せて。……えっと、Bluetoothでつないで……はい、登録っと!後でショートメール送るね!」
慣れた手つきで、彼女はイオリの擬装端末に自分の連絡先を登録した。
「はい、完了。じゃあまたね! 明日も一緒に帰ってくれる?」
「……考えておく」
「ふふ、そっか。じゃあ、楽しみにしてるね!」
手を振って角を曲がっていく彼女の姿が、夕暮れの街に吸い込まれていった。
──帰宅後。
イオリはマンションの自室に戻った。
八畳ほどの洋間。木製のデスクの上には、現代の教科書のほか、金属光沢のある小型スキャナと記録端末が整然と並んでいる。
クローゼットの中には、擬装スーツや非常時用の携帯器具が収納されていた。
窓の外では風に洗濯物が揺れていた。遠くからテレビの音がかすかに聞こえる。
そのとき、机の上の端末がかすかに震えた。
画面に表示されたのは、美月からのメッセージだった。
【白波美月】
『ゴハンちゃんと食べたほうがいいよ!未来人くん!』
イオリは一瞬、画面を見つめて動きを止めた。
やがて、声もなく小さく笑う。
(……本当に、ただの女子高生なんだな)
その言葉の裏に、嘘偽りのない気遣いがあることが、なぜかすぐに分かった。
静かに目を閉じたあと、彼は報告書を起動する。
【任務報告書】
任務日:2025年9月2日
記録者:一之瀬イオリ
対象:白波美月(17歳/高校生)
任務内容:日常観察・生活行動の記録・接触記録
任務コード:T-2025 operation-α
【観察メモ】
・放課後同行により、帰宅ルート・環境を確認。対象との自然会話において観察データ取得。
・情報端末(スマートフォン)における連絡先交換完了。通信手段確保。
・対象よりメッセージ受信。「ゴハンちゃんと食べたほうがいいよ!」との文面。関係性は好意的かつ接近傾向にあり。
【主観的所感】
・対象の距離感覚が近い。本人に自覚無し。
行動における接触は観察範囲内だが、感情干渉リスクが上昇傾向。
・「既視感」を口にする場面あり。過去・未来への記憶の可能性は現段階では未確認。
【補足事項】
・端末操作において対象より介助を受ける。現代デバイス習熟に課題あり。
・観察対象の生活リズムと関係性構築は順調。ただし、感情的動揺には継続的警戒を要する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます