5-2 4つ目の道具
がん、がんっ、と扉を叩き続ける。もう一体、どれぐらいの時間が経ったかは分からない。
やがて、拳がびりびりと痺れ始めた頃。
「誰かいるんですか」
外から声が聞こえ、蓮は叫んだ。
「あっ、あの! 助けてください! 閉じ込められたんです!」
ガチャ、ガチャ、と倉庫の扉が揺れる。
「チッ……鍵かかってんのか。ちょっと待っていなさい」
そして声が遠のき、数分後。
がちゃん、と重い音がして、扉が開いた。倉庫の中に光が差し込む。
「っ」
蓮は、倉庫から飛び出した。二歩、三歩。雨天で薄暗くはあるものの、新鮮な空気を吸い込み、よろめき、床に膝をつく。
「よ、よかった……出れた」
「やっぱり、水橋くんでしたか」
「え?」
蓮は顔をあげた。
扉越しの雲った声では気づかなかったが、そこにいたのは舟木だった。休日にも関わらずいつも通りのシャツを着て、浅黒い肌の手首にいつもの銀の腕時計をつけていた。
「何があったんです? ……って言っても――ねぇ、俺の想像が間違ってたら悪いんですが。狩馬くんですか」
「え、えっと……あの、はい……。え、でも先生はなんで」
「たまたまですよ」
舟木は倉庫の扉を閉め、鍵をかけ直しながら言った。
「結局君たちが心配で、土曜日なのに、意味もなく学校に来た。で、車停めて職員室に行くところで、なんというのかな。とんでもなく思いつめた顔の狩馬くんが廊下を歩いてるのを見かけた。こっちの声かけにも気づかない、真剣な顔でした。心配になるぐらいのね」
「……」
蓮は俯いた。京平の心境を想う。だが、納得はできない。
舟木は言葉を続けた。
「朝練って言っても今日は大雨のせいで土曜の部活もお休みですし、ジャージに着替えてもいないし。……不思議だな、と思って体育館に来てみた。それだけですよ。……狩馬くんが水橋くんを閉じ込めたんですか」
「あの、昨日話してたくじ引きを引かせたくない、って。京平は、自分が舞をやるつもりなんです」
舟木は一瞬驚いたように目を開いたが、すぐに納得したように目を伏せ、銀縁の眼鏡を押し上げた。
「……そうですか」
そしてぼそりと言葉を続けた。
「昨日俺も亜弥羽さんと話しましたよ。……未成年って縛りさえなければ、替わってあげられたのにと」
蓮は、居ても立ってもいられなかった。
「俺、京平を止めてきます」
そう言って立ち上がり、駆けだそうとした蓮に。
「無駄だと思いますよ」
舟木は冷静に言った。
「え?」
「君を閉じ込めてまで、引き留めた。それが狩馬くんの行動でしょう。……そう簡単に、止めようと思っただけで説得できるもんじゃないでしょう」
「……それは」
「狩馬くんを止めるな、って言ってるわけじゃないです。ただ、がむしゃらに『やめろ』って言ったところで聞かないだろう、って話ですよ。手段が必要ということです」
蓮は「でも」と言いかけたが、その脳裏に、切羽詰まった京平の声色の響きが蘇る。京平の強い意志。舟木の言っていることは間違っていないと思った。
蓮はその場に立ちすくんだ。手足から意思が落ち、ただ立ったまま、床を見つめる。そんな蓮の肩に、舟木が浅黒い手を置いた。
「今は落ち着けた。ひとまず、ここはそれでよしとしましょう」
「……」
蓮は頷いた。体育館に降り注ぐ雨の音は強く、常に太鼓が打ち鳴らされているかのようだった。
舟木が、やれやれと息をつく。
「色んなことが起きた一週間でしたね。……俺もそうです、まさか亜弥羽さんと再会するなんて」
「……」
蓮はちらりと舟木を見た。視線を感じ、舟木はダルそうな目に僅かに冗談めいた苦笑をにじませる。
「いわゆる青春の片思いです。笑っていいですよ」
「え……あ、あぁ」
驚いたものの、二人のやりとりを思い出し、なんとなく納得する。舟木は自嘲気味に笑った。
「社会人になってからもう一度会えたら、その時はちゃんと亜弥羽さんに打ち明けよう、と思っていたんですけどね」
舟木の落胆した声に、蓮は思わず尋ねる。
「だめだったんですか?」
「……彼女、結婚してました」
「え、えっ?」
「飲み会のノリで結婚したそうでね。一か月で離婚したそうですよ」
あまりにもサラサラと語られる事情に蓮は絶句しつつ、しかし、頭の中に思い浮かべた亜弥羽が、ニコニコと手を振る。
「いや、亜弥羽さんらしいや。あれ、でも……一か月で離婚したなら、そのー……アタックしてもよかったんじゃないですか」
「俺は当時、若くてね」
舟木はダルそうに首をパキポキ鳴らしながら答えた。
「亜弥羽さんが結婚したと聞いたその日に、まぁ当時仕事がうまくいってなかった言い訳も兼ねて……教師を辞めて、日本から逃げ出しました。ええ、全ての連絡手段を断ってね。ショックだったんですよ、こっちは。だから、亜弥羽さんの結婚生活がなんと28日間で終わった、ってのを聞いたのは、浦島太郎状態で日本に帰って来てからでした。その頃には、彼女も彼女で世界を駆けまわる忙しい人になっていて、人生の接点なんてある訳もなく」
タハァ、と全ての気力が抜けたような声をあげ、舟木は低く呻いた。
「なのに、なんでここで再会しちゃうかなぁ」
「は、はぁ……」
何だか担任の先生のすごい話を聞いてしまった、というため息と共に。
「いや、あの……本当に、なんでここで再会するか、って話ですよね」
あまりにもそれが真に迫っていて、よくないと思いながらも、間を置いて笑いがこみあげる。
「どうぞ、笑ってもらっていいですよ」
「す、すいません」
止めようと思っても止められない笑いに、舟木自身の苦笑も重なる。
何の感情や理由で笑っているのかよくわからない、発作のような二人分の笑い声が、がらんとした体育館に愉快に響いた。
「あーあ」
舟木は言った。
「難儀ですね」
「はい、ずっとです」
「ずっとか。散々な一週間でしたね」
「本当に」
「でもまぁ、さっきはあんな事を言いましたけどね」
舟木は自身の茶髪を、指でぐしゃぐしゃと掻き回した。
「なんだかんだと、会えてよかったですよ。亜弥羽さんには。……忘れようと思っても忘れられない思い出ですからね」
「忘れられない思い出……」
ふと。チクリとした感触が、胸の内側を刺した。
蓮は顔をあげる。
「そうだ、この一週間が始まってからだ」
「うん?」
「俺、この一週間、ヘンな夢を見ることが多かったんです。昔の夢」
「昔の……へんな夢?」
「はい。あの、元は六歳の時に、鳴衣主神社で赤い着物のお姉さんと出会った思い出、からだと思うんですけど。でも、思い出にしては」
―—四つの道具は、衣、扇、腕輪。そして最後の一つは――
「最後の一つは、そうだ、お姉さんはあの時、俺に教えてくれてたんだ」
蓮の言葉に、舟木が目を見開く。
「四つの道具の、最後の一つをですか?」
「はい。あくまで、夢の話って言われればそれまでなんですけど。でも、夢の中のお姉さんは、腕輪が二つで一つだってことを最初から言ってた。それに、イナの道具として保管されていた衣を着ていたんです」
「……」
舟木は銀の眼鏡を押し上げた。
「その四つ目、思い出せますか」
「……」
蓮は目を閉じ、考えた。
鳴衣主神社。6歳の頃。
子ども神輿が中止になって、泣いていた蓮を慰めてくれたお姉さん。
―—四つ目はね。
四つ目、それは。
脳みそを振り絞る。
思い出せ。
大きな穴の中の闇を、ただひたすら手探りするような時間。
蓮は頭を抱える。ザリザリと髪を掻きむしり、絞り出すように言った。
「だめだ……なんで、どうして忘れちゃったんだろう」
「そう、ですか」
舟木の声は事務的だった。そこに蓮を責める色が無かったことが、逆に蓮を苛めた。
「思い出せない事は、しょうがないでしょう」
舟木が言って、自身のポケットを探る。そして、
「ほら」
ポケットから取り出したものを、蓮に渡した。蓮は――手のひらに置かれたものを見て。
「……あ」
火花が弾け、着火し、燃え上がるように。
遠い日の記憶が、あの日の暑さが、静けさが、喧騒が、匂いが、吹き抜ける風のように、一瞬で身を包むのを感じた。
***
蓮は、写真部へと走った。がらり、勢いよく扉を開ける。
亜弥羽、葵、初穂、そして京平がそこに居た。目を見開き硬直する京平。
「どうしてここに」
「皆、聞いてっ」
蓮は肩で息をしながら言った。
「4つ目の道具が何か、思い出したんだ。それは――」
<続>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます