5章 龍を眠らせて
5-1 「ごめんね」
翌朝、土曜日。
朝の6時。
蓮のスマホが通知音を鳴らした。
「ん?」
それは京平からだった。
『蓮ちゃんに、どうしても見せたい馬谷家の資料があるんだ。だから、一緒に早めに学校に行きたいんだけど』
「お、なんだろう」
蓮が『了解』と返信すると、間を置かずに、「準備ができたら、蓮ちゃんの家の玄関前で待ってる」と返事があった。
蓮はサッと着替えると、階段を降りて行った。
母の友子はまだ寝ていたが、
「うわぁっ」
父の英治はソファで丸くなって、野球を見ていた。
「お、おはよう」
「おはよう、坊や」
いつもの――贔屓のチームが負けている時の、うつろな声ではなく。鋭く集中した声色だった。
蓮はテレビ画面をのぞき込んだ。
「勝ってるの?」
英治は答える。
「ギリギリだ。切り札さえあれば、勝てる」
「切り札かぁ。降ってくるといいよね」
俺達にもあるといいんだけどな。そんなことを思いながら相槌を打つと、英治は――テレビ画面から目を離さないまま、言った。
「切り札は降ってこない」
「え?」
「元々持っているものだ」
***
クロワッサンを3個トーストし、雑に食べると、蓮は家の外に出た。身長の高い、大きな黒い影。京平が立っていた。にこりと微笑む。
「ごめんね、朝早く」
「いや、いいんだ。なぁ、どんな資料なんだ?」
「うん。詳しくは学校で説明する。現地で見せた方が早いから」
それから、ユキの骨折の話や京平の祖父の家の蔵の話などをしながら、二人は早朝の学校についた。
そして部室棟に向かおうとした蓮に、
「あ、ごめん。こっちなんだ」
京平は、体育館の方を指し示した。
「俺さ、そもそも桐の箱が見つかった場所が、ずっとヘンだって思ってたんだ」
「ヘンってどういうこと?」
「着いたら話すよ」
そして京平は、体育館の倉庫の中へと入って行った。がらり、と重い扉を開け、中に入って行く。蓮もまた、後に続く。
「ここなぁ、最初に探したよなぁ。結局、桐の箱があったのは開かずのロッカーだったけどさ。え、それで何が違和感なんだ?」
「……」
京平は入り口に立ったまま、一番奥の棚を指し示した。
「あの棚なんだけどね」
「え、どれ?」
そうして蓮が、棚に近寄った瞬間。
がらり、と重い音が聞こえ。
一瞬で、倉庫の扉が閉められた。倉庫の中から光が消える。
「え……?」
蓮は急いで、扉に組み付いた。だが、外から鍵を閉められ、開かない。
「おい京平、京平? なぁ、冗談は――」
「冗談じゃないよ」
京平の声は、扉1枚を隔てた傍から聞こえた。
「え?」
「……蓮ちゃん、申し訳ないけどここに居てくれ」
「は? え、待って。京平、どういう」
「だって。ここから出したら、蓮ちゃんはくじ引き引いちゃうじゃん」
「くじ引き? そりゃ引くよ、だってユキ先輩の代わりに誰かがやらなきゃ」
「俺がやるよ」
京平が言った。
「は?」
「くじ引きなんて幾らでも細工できる。……俺がやる。……俺がやるべきだったんだ」
「きょ……京平?」
「俺がもっと早く、イナの舞の舞い手に起こる事を皆に話していれば、ユキ先輩は動揺して階段から落ちたりしなかった。罰なんだよ。俺、思ってたんだ。ユキ先輩に舞い手を託してもいいんじゃないかって――黙っていてもいいんじゃないかって。だからギリギリまで言わなかった」
「京平、それは違う」
蓮は、ガンッと扉を叩いた。
「ユキ先輩が階段から落ちたことと、お前が資料の事を言いだせなかったことは、全然違う話だよ。罰なんかじゃない」
「ううん。俺、じいちゃんちで資料を見つけて読んでから、思ってたんだ。こうなるんじゃないか、って。もしも舞い手は龍に浚われるってことを公開したら、『公平に話し合いで、決まらなければくじ引きで』なんて話になるんじゃないか、って。俺、それがいやだった」
京平の声が震える。
「だから俺、黙ってたんだよ。卑怯だった。だから罰が当たった」
「どうして……? なんで、くじ引きになるのが」
「だって。くじ引きになったら、蓮ちゃんが舞い手になる可能性がある。そんなの、嫌だったんだ。言えなかった。でも昨日結局こうなって、それで俺、また考えた。失うなら、俺と蓮ちゃんどっちか、って。だから、俺がやろうって思った」
「なんで、なんでお前そんなこと」
京平は――ふっ、と笑った。
「蓮ちゃんはさ、熱を出すたびに昔の事忘れちゃうんだもんね」
「は?」
「すぐに忘れちゃうんだもんね、色んな事。……小さいころから色んな変なもの見てきて危ない目にもあいそうになってるのに、それでも変な怪物の噂を聞いたら飛び出していっちゃってさ。俺、嘘ついたりとぼけたり、大変だったな」
「……やっぱり、三村屋の茜さんの話、あれは意図してついた嘘だったんだ」
「そうだよ。また蓮ちゃんがヘンなモノに惹かれて魅入られて、それで怪我なんてしてほしくないから、止めたかった」
「ヘンなモノ、って」
「あのさ、蓮ちゃん。小さい頃、蓮ちゃんが俺を野良犬から助けてくれたこと、覚えてるよな?」
「それは……覚えてるけど、なぁ京平、とにかくここから」
「蓮ちゃんの中では、ただの野良犬ってことになっちゃってるんでしょう? 違うよ」
京平は言った。
「おじいさんみたいな声で喋る、人間の顔によく似た黒い犬だったよ」
「は……?」
突拍子もない話に、蓮の頭は混乱する。ひく、と口角が戦慄く。
「どう、どういう意味だ? なんだそれ、バケモンじゃん」
「うん。顔面は不気味だし、人間の言葉を喋るから『人面犬』ってウワサになってたよね。昔からいたんだよね、この街にはそういう不思議な生き物が。……まぁ、龍が封印されてるような街だしね。俺達みたいに、それが目で見える人は、少ないけど」
「え……えっ?」
「そして小さい頃の俺は、ソレが近づくと恐くて仕方なかった。俺には見えてた。でも、兄ちゃん達にも、周りの大人にも、見えてなかった」
「……」
扉の向こうの京平の声が、卑屈に、しかし同時に、希望をもって笑う。
「俺の周りでは、蓮ちゃんだけが見えてたんだ。あの化け物を」
うっすら、と記憶に蘇る、ぼやけた映像。白くて細い、小さな男の子が泣いている。
―—お外には怖いのいるんだよ。
蓮は呟いた。
「お外には怖いのいる、って」
「うん。だから外には出たくなかったんだ。でも――蓮ちゃんは構わず俺を外に誘ってくれた。それで、外も楽しいって思えた。でも、ある時——」
現れてしまったんだ、と京平は言った。
「1メートルぐらいの大きさの、人の顔みたいな模様の犬。口からは、しゃがれたおじいさんの声が聞こえた。『こっちにおいで』って。俺は恐くて泣いてた。でも、普段はそういうのに出会って、俺が怯えて泣いても周りの皆は誰も助けてくれなかった。『何に怯えてるんだ?』『そんな犬なんて、居ないんだよ』って。そう言われて終わるだけだった。でも――蓮ちゃんには、その犬が視えてたんだ」
「……」
蓮は、冷たいドアを見つめたまま、すさまじい勢いで、過去の記憶が展開していくのを感じていた。
黒い犬。おじいさんの声。あれは、犬が喋っていた?
「蓮ちゃんは、木の棒を振り回して犬を追い払ってくれた。犬はすぐに逃げて行ったんだ。蓮ちゃんは、泣いてる俺に言った」
——俺が居るから大丈夫じゃん。
「俺は蓮ちゃんに言った。ヘンなものが見えるの? って。そしたら蓮ちゃんは、見えるよ、って言った。そして言ってくれた。どんなヘンなのがいても、俺がいるから恐くないじゃん、って」
京平の声が柔らかくなる。
「蓮ちゃんがいてくれたから、俺は外に出れたんだ。怖い、ヘンな奴が居ても、堂々としていられるようになった。……だから」
京平は言った。
「次は、俺が蓮ちゃんを助ける番なんだ、って思う。……ごめんね、くじ引きには行かせられない」
そして言った。
「蓮ちゃんが蓮ちゃんじゃなくなっちゃったら、俺は耐えられないよ」
足音が遠のく。蓮は扉を何度も叩いた。
「京平、京平待ってくれ、京平!」
叩いた音が反響する。足音は消えていく。あとには、雨の音しか聞こえない。
やがて京平の足音は、完全に聞こえなくなった。
<続>
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