3-9 腕輪、発熱

 翌日、昼休み。

 蓮、京平、初穂、そしてユキの四人は部室で弁当をたべていた。蓮は言った。

 「大丈夫ですかね、亜弥羽さん」

亜弥羽は午前中から職員室に『取材』という体で乗り込んでいるらしいが、未だになんの一報もない。

 ユキはサンドイッチを齧りながら言った。

「仕事はできるからそこは信頼してもらっていいんだけど、まぁ不安にはなるよね、あのノリ」

「は、はは……」


 相槌を打ちながら、蓮はつきりと頭が痛むのを感じた。遠くで犬が吠えている。きっと黒い犬だ。なぜなら――


 「どうした」

「えっ?」

珍しく初穂から話しかけられ、蓮はぱちりと目を開く。ゆらり。初穂が二人に見え、ふるふると頭を振った。蓮は言った。

「なんでもない。ちょっと頭、痛いだけ。ありがとう」

嘘ではなかった。実際今日は、朝起きた時から身体がダルく、遠くで雷が鳴るたびに頭痛がしていた。


 がらり、と部室の戸が開く。

「おまたせーっ!」

弾丸のように飛び込んできた亜弥羽は、テーブルの上に桐の箱をドンと置いた。

「わっ、すごい!」

声をあげた蓮に、亜弥羽はニヤァと笑いかけた。

「でしょでしょ。結構色んな先生に不審がられたけど、そこは持ち前のトーク力よ。で、色んな賞状が置かれた花瓶の下敷きになってたこれを見つけてきたってわけ」


 早速、亜弥羽が持ち帰った箱をぱかりと開ける。

 腕輪の片割れが、そこにあった。


 「これで三つまで揃ったんだね」

ユキの言葉に、初穂が頷く。ユキは蓋の裏側をひっくり返した。そして、

「げっ」

嫌悪、動揺、驚き。そのいずれもが混じった声をあげる。


 「え、どうしたの?」

亜弥羽が首をかしげる。ユキは「うぅ」と呻いた。

「次のヒントの紙が……カビてんだよ、ほら」

「うわ、ほんとだ」

ユキがつまみあげた紙、それは『次の隠し場所』を示すいつもの紙だったが、その半分以上がカビと思わしき黒い汚れに染まっていた。

 初穂がサッとティッシュを2,3枚引き抜き、テーブルの上に置く。ユキはその上に紙を置くと、じっと目を細めた。

「『口』……までは分かるけど、その前後は……なんて書いてあるか分からないな」

「口……?」

「四角か、クチか、うーん……」

初穂がテーブルに身を乗り出し、覗き込む。そして言った。

「……薬剤」

「え?」

「少し時間はかかりますが、薬剤に浸せばカビだけを除去できるかも」

初穂の発言に、葵が首をかしげ――ついでにポキポキと首を鳴らした。

「でもそれ、紙もふにゃふにゃになったり、筆の文字も消えたりしない?」

「……確率は五分」

「五分かぁ」

悩ましいねぇ、と呟く葵に、ユキは小さくため息をついた。

「とはいえだよ。折角、三つ目まで来たのに諦めるわけには」


 「三つ目……」

ずきん、と蓮の頭にまた、頭痛が走った。ちらり、と葵の猫に似た目が蓮に向けられる。

「どうした?」

「あ、いや――」


――腕輪は二つで一つ。

――4つの道具、その最後の一つは。


 頭の中に、女性の声が蘇る。

「あ……」


 ふらり。

 蓮の身体が揺らぐ。


 遠くで聞こえていた犬の遠吠えが。

 実は、耳鳴りと幻聴だったと気づいた。だって、分かる訳ない。鳴き声を聞いただけで、黒い犬だなんて。

 でもどうして、黒い犬だと思ったんだろう。


 「はは、わかんないな……」

蓮は笑う。その頬を、汗が伝う。気づけば、首も、脇も、背も、汗をかいていた。


 初穂がぴたりと動きを止め、蓮を凝視する。

「水橋?」

「おい、どうした」

額を触った葵の顔が、さっと青ざめた。

「えぇ? あ、あぁ……」

そんな葵の反応を見て、蓮は朝から感じていた身体の倦怠感に、ぴたりと納得がいった気がした。


 「あはは、俺、もしかして熱ある?」

そう笑った途端。身体の全ての感覚が、言う事を聞かなくなった。


――あーこれ、自覚したらダメだった奴だ。


 そんなことを思いながら、蓮の身体はぐらりと傾く。

「水橋!」

誰かに呼ばれたまま、だが返事はできず机に突っ伏した。


 そこで、蓮の意識はふっつりと途切れた。


***


 ぼんやりとした記憶の中を、揺蕩うような感覚。

 何もかも白い景色。

 いや、違う。

 白いのは、日差しだ。

 何もかもを反射する鏡のような、強い日光。


 これは、夏の記憶だ。


 蓮は、夢の中に居た。


 6歳の時の鳴衣主祭りの夢だった。

 神社の境内に、小さな蓮と、そしてもう一人、赤い着物を着たお姉さんが立っている。

 そうだ。あれは三村屋の茜さん、って京平が言ってた。


 あれ? でも。


 小さな蓮が、言った。

「俺がどうにかしてあげる!」


お姉さんはびっくりしたように笑うと、言った。

「じゃあ、一緒に踊ってくれる?」

「うん」


 そして蓮は。

 お姉さんから、不思議な舞を教えてもらった。一緒に歌も歌った。楽しい時間だった。

「ありがとう。これは、お礼だよ」


 そしてお姉さんから何かをもらった。

 景色がぐにゃりと歪む。


 遠くから、黒い犬の鳴き声が聞こえた。そしてしゃがれた老人の声。

―—こっちへ。


 いやだ。

 黒く掠れていく夢の中で、蓮は必死に抵抗する。

 いやだ、守らなきゃ――


***


 飛び起きる。

 体中が汗でぐっしょりと濡れている。

 周囲を見回す。雰囲気と気配で、自分の家だと分かる。学校から家に帰宅した記憶はないが、きっと親が迎えに来てくれたのだろう。

「……っ」

 頭が、鉄の輪で締め付けられているように痛い。蓮は思わず片手で顔を覆った。


 目を瞑れば、砂の城が崩れていくように、先程まで見ていた夢の記憶が形を失い崩れていく。

 6歳の夏、神社でお姉さんと会う夢。

 いや、待て。

 以前もこんな夢を見たような気がする。


 蓮は深い息を吐き、上半身をベッドへと横たえた。母が用意してくれたのだろうか、少しぬるくなった氷枕がべしゃりと音を立てる。

「う……」

夢の内容がぼやけていく。熱で頭がボーッとするのに、身体は寒くてたまらない。蓮は、足元に偏っていた夏布団を手繰り寄せた。

「なんなんだろう、あの夢……」

記憶の中のお姉さんの姿が、強い光の中へと消えていく。


 なんであんな夢を見るんだ?

 お姉さんは一体、誰なんだ?


 頭の中に京平の言葉が響く。

――三村屋の茜さんだよ。

本当に?


 なあ京平。京ちゃん。

 


 蓮はゆっくりと片目を覆った。手のひらの熱で、冷えた額を温めると頭痛が少し緩和される気がした。

 ぼーっとした思考の中で、記憶の中の「三村屋の茜さん」の顔を思い浮かべる。


 そうだ。

 父と母と蓮の三人で、休日の昼に「三村屋」に蕎麦を食べにいった記憶。そういえば、昔はたまに三村屋に行くことがあった。

 確か、鳴衣主神社のお祭りのことで……祭りの役員会が何度も開かれていて。

 父も一時期、鳴衣主祭りの役員になっていたことがあって、浴衣コンテストの内容とかで色々……揉めたというか、会議が長引くことがあって。


 蓮は、ぼんやりと天井を向いた。

 心臓の鼓動は、胸の中で爆発してしまうのではないかと思うほど早い。自然と息が上がって、苦しい。


 そうだ。

 お祭りの実行委員会で色々揉めた辺りから、街の大人の関係性がちょっと歪になって。

 勿論、表立って口論だとか喧嘩なんてのはなかったけれど。


 「お祭りの運営で色々あって」から、うちの家は三村屋に蕎麦を食べに行かなくなった――そんな気がする。


 熱に浮かされた、あやふやで透明な思考の道だからだろうか。

 雑味が研ぎ澄まされ、蓮は今、「今思えばそうだったのかも」という回答に辿り着いていた。


 あそこのざるそば、さっぱりしてて美味しかったけどなあ。


 蓮は頭の中に、昔ながらの蕎麦屋を小粋にリフォームした三村屋の店内を思い浮かべる。

 奥の暖簾から出てきて、もくもくと店を手伝っていた茜さんの姿。


――茜さんは面長で、目は鋭く、どことなく狐に似ている人だった。


 そうだ、そして。

 声は、少し鼻にかかった、キンと響く声だった。


 「うぅ……」

ずきん、と痛む頭痛に顔をしかめながら、蓮は先程まで見ていた夢を思い起こす。


 赤い着物、小柄だけど元気に跳ねまわる身体。

 柔らかそうな顎、丸い、林檎のような頬っぺた。ぷるぷるとした唇。


 『じゃあ、一緒に踊ってくれる?』

――のびやかで、優しさの滲む、それでいて弾むような声。


 ずきん、ずきん。

 鼓動と共に、頭には締め付けられるような痛み。


 だが熱と痛みは、逆に蓮の思考を、錨のように冷静に留まらせてもいた。


 夏布団を引き上げ、天井を見上げながら蓮は確信した。


 ――



<続>

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