3-5 「大人として」
ユキは、部員たちを見回した。
何よりもユキ自身が「他者に秘密を漏らしてはならない」と言ってきたことが、気がかりなのだろう。
葵が口を開いた。
「ここまで来てしまったなら、言っちゃってもいいんじゃない?」
合わせて、初穂が――やや戸惑いうように眉を寄せながらも、しかしコクリと頷く。蓮もまた応じる。
「多分、今から帰ってもらうのは難しそうですし」
「お、よく分かってるじゃない」
亜弥羽の爬虫類のような目が、キュッと蓮を見据えた。
やがてユキは、観念したように肩の力を抜き、言った。
「ひとまず順を追って話すから」
それから20分ほどをかけて、ユキは亜弥羽に、この街の現状とそれが努武さんの研究と繋がっていることを説明した。
写真部の壁に寄せられた棚、その中から桐の箱を持ち出し、
「これがその腕輪」
と見せると、亜弥羽は大きく目を見開いた。
「うっわぁ、すっご……イナの腕輪、実在したんだ」
「ご存じだったんですか」
蓮が思わず呟くと、亜弥羽はパチンとウインクをした。
「学生時代、努武さんの研究が面白くてちょっと齧ってたからね。でも、完全におとぎ話でしょって思ってたけど……そっか、努武さんの研究は正しかったんだ……」
腕輪を見つめる亜弥羽の目には、きらきらとした、子どものような輝きが宿っている。
「でも、今のままじゃこの街は大変な事になる」
ユキははっきりとそう言った。蓮は窓越しに、ひたひたと雨を降らす灰色の空を見た。
「なるほどね」
部室の空いている箇所——段ボールの上にどっかりと座り足を組むと、亜弥羽は言った。
「……でも、ここまで聞いてしまったならアタシには思うところもあるよ」
「なに?」
「正直、あと四日間でイナの舞を奉納することができなかったら、この街には二百日の大雨が続き、大惨事になる。それが分かっているんだとしたら」
亜弥羽はハッキリと言った。
「もう、この情報は公にするべきだと思う。この場だけの話として隠しているのは得策じゃないと思うわ」
ユキは目を見開く。
「そ、それは……」
「分かってるよ、仮に全部ただの偶然だったとして、無駄な混乱を招かない為、でしょう?」
でも、と続けようとする亜弥羽の言葉に割り込むように、葵がするりと挙手をした。
「ボクはユキさんを信じてますし、これまでの状況から龍の復活もマジだと思ってる。でも、世間は『龍の復活』なんてことをどう思うか、って話じゃないッスか?」
「じゃあそもそも、龍の云々ってのを伏せればいいんじゃない?」
亜弥羽は、黒と金の髪にくるくると指を絡ませ、言った。
「『信頼できる情報筋から、この雨は今後さらに激化するだろうという予想が入ってきた。避難は早いほうがいい』」
「それ、どうやって誰に信じてもらうの」
「ウチは報道関係に知り合い多いから、早めに手を打てるなら情報は広げられる」
亜弥羽がきっぱりと言った。ユキは、亜弥羽を見つめる。亜弥羽は部室全体を一瞥すると、焦点を絞るようにユキを見て、言った。
「勿論、避難誘導がそれで完ぺきとは思わない。この選択で、すべての災難が回避できるとも思わない。でも、情報の拡散ができる立場の人間として、大人として、今起きていることを聞いた以上、手を打たないワケにはいかない」
「……アタシたちが子どもだから?」
ユキが押し殺したような声で言った。亜弥羽はハッキリと頷く。
「そう、ユキちゃんたちは子どもで、ウチは大人だから」
それは亜弥羽から発せられた、明確な線引きだった。
ユキは目を伏せたまま、組んだ指の先を見つめていた。沈黙の中、時々思い出したように遠くで雷が唸る。
蓮は言った。
「あ、あの……いいですか。」
亜弥羽の目が向けられる。爬虫類のような目。だが、蓮はあえて背筋を正した。
「俺も最初、ユキさんにこのイナの舞や龍が目覚めることを聞かされた時、すっごく戸惑ったんです。俺は――正直、最初は本当に戸惑うばかりで」
「……」
亜弥羽の眼差しだけでなく、ユキの目もまた向けられる。それでも蓮は言葉を続けた。
「でもあの、ユキさんは本当なら自分一人でも活動できたはずなんです。行動力もあるから。でも、そのユキさんが俺達にあえて頼ってきた、っていうので、状況が深刻なんだなって思って」
蓮は自分の言葉の形を確かめるように、それでいて亜弥羽の目を見て、言った。
「あの、でも俺達、一番いいのはあと四日で道具を全部揃えることだと思うんです」
「だけど、それは理想じゃない?」
「はい、理想です」
蓮は頷いた。
「でも、俺達今日、二つ目の扇を見つけたんです」
「……」
「あの、避難を呼びかけるのも大事だと思います。でも、あと二つなんです。俺、ユキさんと一緒に頑張りたいです。だって、ユキさんが俺たちを頼ってくれたから」
亜弥羽はちらりと、葵と初穂を見た。二人とも、深く頷く。
最後に亜弥羽は、ユキに目を向けた。どんな微細な変化も見逃さない、野生の爬虫類のような目だった。
ユキは深々と頭を下げ、言った。
「アタシたちにもできることをしたいんだ」
亜弥羽は、ふぅっとため息を吐いた。
「……分かった、ただし。こっちも全面的に譲歩するわけにもいかないね」
亜弥羽は、指を1本立てた。
「祠が6個壊れて、残り1個になったら流石にタイムリミットだよ。そうなったらウチは大々的に、避難呼びかけに移る」
「それまでは――キミ達に協力する。ただし」
亜弥羽はきっぱりと言った。
「ウチもこの部室には通わせてもらうよ。手に入れた情報、進捗は全部共有してほしい」
ユキは深く頷いた。
「わかった」
亜弥羽が言った。
「ところで1個気になるんだけどさ、そもそもどうしてその4つの道具が、この学校にあるの? 宝探しみたいに」
「あ……そうだ、そうだった」
蓮は思わず前のめりになってユキを見た。ユキは、明らかに「あちゃー」という顔をするが、後ろから葵ののんびりとした「ボクも聞くー」という声が聞こえた。
やがてユキは、はぁ、とため息をついた。苦笑するように、観念するように微笑む。
「……そうだよね、ここまで手伝ってくれたもんな」
ユキは頷いた。
「ここから話すことは……かなり突飛な話なんだが。困惑するなって方が無理かもしれないけど、どうか聞いてほしい」
「……」
蓮は頷いた。初穂もまた、姿勢を正す。
ユキは、自身のよく手入れされた黒髪に、白い指を通した。二度、三度と撫でつけ小さく息を吸うと、緊張気味に吐いた。
「事の発端は、かなり昔に遡るんだ。イナについて研究をしていた入江 努武さんっていう人が、うちの親戚だって話はしたよね」
「あ、はい」
「で、これから話す事はアタシのお母さんから聞いた話なんだけどね」
***
「足立先生、って知ってる? 20年ぐらい前のうちの教頭だった人なんだけど。生徒玄関にも、写真はあるかな。うちの学校のラグビー部が、県大会で優勝した時の写真。ほら、生徒玄関にトロフィーがいっぱい飾ってあるだろう?」
「え? うぅん、えっと……」
正直、あまり知らない。蓮の顔をみて、ユキは言った。
「綾野児童クラブって知ってる? ほら、筧小学校横の……」
「あ、知ってます。放課後に親が迎えに来るまで待てるところ。俺も昔何度かお世話なりました」
「あれは、教師を定年退職した足立先生が先導して整備したのさ。他にも、駅前の託児施設だとか、移動図書館のための寄付を募ったりとか。色んな功績がある、すごい先生なんだ」
ユキは話を続ける。
「多分足立先生の事を誰もが、とても良い先生で、人格者で、あんなにも素晴らしい人はいないって、言うと思う」
「は、はぁ。すごい人なんですね」
「そう。でも」
「でも?」
「……」
ユキは、苦虫を口の中で転がしているような顔をしていた。やがて、覚悟を決めて苦虫を噛み潰した、そんな顔で、言った。
「足立先生、意地悪だったんだよね」
「はい?」
「いや。意地悪だったんだよ。……ただ一人、努武さんにだけ」
「……」
蓮は、まるでユキが噛み締めていた苦虫の味が自身の舌にも伝わったような、苦味と困惑を混ぜ合わせた顔で、ユキを見た。
ユキの目が言っていた。
だから、話しづらかったのだ、と。
<続>
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