3-7 6歳の記憶、職員室

 「そして次の日。容体が急変して、努武さんはそのまま亡くなった」


 蓮は、言葉が無かった。ユキもまた、ふーっとため息を吐く。亜弥羽が、口の中に入れた金平糖をガリッと噛み砕く音だけが大きく響いた。

 ユキは言った。

「父から聞いたんだけど。お葬式で足立先生はずっと黙ってたって。普段だったら誰か知り合いを見つけては『元気かァ』って言いに行く足立先生が、ただ黙々とお焼香して帰った、って」

「……そうだったんですか」

「それから少し経って、足立先生は定年退職した。そして、腕輪は変わらずあの準備室に隠されたままだった。4つの道具を、足立先生はあえて自分では回収しなかったってことだね。隠した道具の事なんて忘れてしまっていたのか、或いは――」

ユキは、そっと傍らの桐の箱を撫で、言った。


 「『必ず見つけてやる』って言ってくれた努武さんとの思い出に、手をつけたくなかったのかもね」


 ユキはそう言って、ふと、壁に寄せられた棚の天辺を見上げた。

 棚の最上段には、何年前のものかもわからない、吾垂高校の外観の写真が飾られた写真立てが置かれている。写真立ては埃を被ったまま、じっとそこにあった。


 がらり、と部室の戸が開いて、京平が顔を出した。

「蓮ちゃん。今日部活、早く終わった……って、どうしたの?」

「ああ、いやいや」

足立先生と努武さんの経緯。それは、冗談のようなノリの軽さと、重い感情が交差する物語だった。蓮はにかりと笑う。

「ごめん、今日ちょっと人多くて座るところ段ボールしかない」

「いいよ、大丈夫」

そう言って蓮の近くの段ボールに腰を下ろした京平が、テーブルの上を見て「あ」と声をあげる。

「扇、見つかったんだ」

「うん。体育館にあったんだ。開かずの……」

蓮は改めて、テーブルの上に置かれた扇を見た。


 ふと。

 蓮の頭の中に、赤色が閃く。


「……そういえば」

目の前をするりと横切る蛍に気づいた時のような、一瞬の気づき。

「あれ、俺……昔……鳴衣主神社で」

ちか、ちか。ふと蘇る、懐かしい記憶。


 蓮は数秒、目を閉じた。

 金魚の鰭のような、赤い衣が翻る。

 暑い日差し、地面が白く反射しているのは、長く踏みしめられた砂利だから。木々の青い匂い、それに伴って古い木材の匂い。

 祭りの道具の匂い。


 「昔、俺……そうだ」

蓮は、呟く。忘れていたパズルのピースを拾い上げたような懐かしさが、胸の中にこみあげてくる。

「小さい頃、鳴衣主神社で綺麗なお姉さんと会ったんだ」

「綺麗なお姉さん?」

ユキが首を傾げた。蓮は頷いた。

「小さい頃の事だから、具体的にその人がどんな人だったか、っていうのは思い出せないんですけど……」


***


 思い返せばそれは、蓮が6歳の時。7月の夏祭り、「鳴衣主祭り」の前日の夕方のことだった。


 その時蓮は、何故か縮こまって泣いていた。

 何故泣いていたのか、は思い出せない。ただ、すごく悲しくて、子どもながらにとても落ち込んでいて、神社の一角にある大きな木の下で、うずくまって泣いていた。


「そこに、お姉さんがやってきて」

蓮は遠い景色に思いを馳せながら言った。


 赤い着物のお姉さん。

 覚えているのは、それだけだった。立ち居振る舞いが優雅だった、というより、着物を着慣れた人の動きだった。だから、歩いたり立ったりするだけで、着物の袖が金魚の鰭みたいに優雅にひらひらと泳いでいた。


 「懐かしいな……なんで俺、あの時あんなに泣いてたんだろ」

「赤い着物のお姉さんかぁ」

京平がうんと頷いた。

「俺、覚えてるよ。でしょ?」

「え? そうだっけ」

「そうそう」

京平はゆったりと微笑んだ。


 三村屋というのは、商店街にある老舗の蕎麦屋だ。そうか、あそこの娘さんは確かに蓮たちより年上だった。

 今はもう、茜さんはこの街には住んでいない。ネイルだかヘアメイクだか、とにかく専門学校に行くと言って、上京したらしい。


 「そうか、あれ茜さんだったかぁ」

蓮はカボチャ金平糖を数粒手のひらに出すと、ガリガリ齧った。

「着物着てると分かんなかったなぁ」

「うんうん。結構着物って印象変わるよね」

「っていうか京平さ、なんで茜さんって知ってるの?」

蓮に問われ、京平はにこりと笑う。

「え? だってそりゃ、俺もその時居たから」

「あれ、そうだっけ?」

はて。あの幼いころの神社のお祭りの景色に、京平も居ただろうか。思い出そうとすればするほど、思い出の中の景色は蜃気楼のように揺らいでいく。


 

「もう、蓮ちゃんまた忘れちゃって。いっつも、昔の事忘れちゃうんだから」

「へへ、ごめんなあ」

蓮はへらへらと謝った。

そんな二人のやりとりを、初穂はじっと見ていた。ふと、そんな突き刺すような視線に気づき、蓮は初穂の方を向いた。

「窪、どうした?」

「……」

なんでもない、と蚊の鳴くような声で言って、初穂は機械人形のように首をフルフルと振った。


 初穂が言った。

「あの、扇の箱について。次のヒントを見ませんか」

「ああ、そうだった」


 ぱかり、と扇の箱を改めて検分する。


 「あ、あった」

蓋の裏に簡易な糊で貼り付けられた紙があった。ユキはそれをぺらりとめくった。


――もう一つの腕輪は、職員室にある。


 「職員室!? ってことは、大々的に探す……のは、流石に難しいか」

「んぇー? でもさ、堂々と職員室を探索できる人がいるんじゃない?」

段ボールの上にごろりと寝そべって、葵が言った。蓮は、えぇーと声をあげる。

「そ、そんな人居ますか?」

「いるでしょうよ」

葵の指が、亜弥羽に向けられる。


 亜弥羽は、きょとんとした顔で言った。

?」


<続>

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