3-4 亜弥羽ちゃん

 風向きが変わるたびに、校舎と体育館を繋げる渡り廊下に細かい雨粒が吹き込んでくる。

 すぐそばの体育館からは、スニーカーのキュッと鳴る音、ボールの弾む音、歓声、指示を出す声が聞こえてくる。


 蓮たちは、体育館の脇、渡り廊下に置かれた開かずのロッカーの前に居た。

 縦に長い備品用のロッカーが6つ連なっている。「開かず」と噂されているのは、一番右だ。


 蓮は、ロッカーの取っ手に手をかけ、がちゃがちゃと引っ張ってみた。渾身の力をこめても、あまり変わりはない。そんな蓮の肩を、葵がポンポンと叩いた。

「どれどれオニーサンに貸してごらんなさいよ。これでも引っ越し業者のバイト10年やってるんだから」

「10年は嘘でしょ」

葵が同じように、取っ手に手をかける。そして、腰を落として足を踏ん張り、グッと引っ張った。格闘する事五分。


 「む、無理だよっ開かずのロッカーだよこれっ」


 ぜぇはぁと肩で息をする葵が、へなへなとその場に膝をつき、蓮に目を向けた。

「レンレン、オニーサンになんか甘いのはァ?」

蓮はしょんぼりと眉を下げた。

「すいません、今カステラしか」

「口ぱっさぱさになるじゃん!」


 「何か、特別な開け方でもあるのかな……初穂、どう?」

 ユキが初穂に目を向ける。

 初穂は暫くロッカーを見ていた。ロッカーに近づき、ドアをノックするように、上下左右に何度か叩く。ぴたり、と扉に耳をつけ、さらに数度叩いた。そして。

「……」

初穂は、「開かずのロッカー」の左隣のロッカーをガチャンと開けた。中には、古いモップと雑巾が、押し込まれたようにぎゅうぎゅうに詰まっていた。

「窪……?」


 初穂は暫し、モップの間に手を入れ、ゴトゴトと音を立てていた。

 数秒後。

 ガチャンッ、と重い音が響いた。

「え?」


 ぎぃ、と音を立てて。「開かずのロッカー」が、内側から開いた。煙のような埃がぶわっと拡がる。

「す、すごっ! え、どうやったの!?」

「中の仕切りはフェイク。この二つのロッカーは、中で繋がっている」

「うっそだぁ」

葵がぽっかりと口を開けた。魂が抜けていくようだった。


 開かずのロッカーの中には、古い掃除用具、そして書類ケースが積み上げられていた。そしてその一番上の棚。そこに、桐の箱があった。

 ユキが手を伸ばして取り出し、蓋を開ける。

「扇だ……」

真っ赤な和紙に、黒の軸。金の装飾が描かれた扇が、静かに収められていた。


***


 ロッカーの扉を元に戻し、桐の箱を持って一同は部室に戻った。改めて冷たい茶を飲みつつ、扇に書かれた歌詞を読む。


「龍よ 龍よ 静かに眠れ

 龍よ 龍よ 静かに眠れ

 この地への 恨み妬み

 この地への 恨み妬み

 すべて忘れて眠れ」


「龍よ 龍よ 静かに眠れ

 龍よ 龍よ 静かに眠れ

 亡骸は 土に還す

 亡骸は 土に還す

 すべて忘れて眠れ」


 「これで、イナの舞に必要な歌詞は揃いましたね」

蓮が頷いた。


 その時。

 がらり、と部室のドアが開いた。

「え?」

そこに立っていたのは、一人の女性だった。見知らぬ女性は部室の中をじろりと見渡すと、ユキに目を止め、ニタリと笑った。

「ユキちゃん、ひさしぶりぃ」

「あ……亜弥羽ちゃん!?」


 ユキは――美しい顔立ちを思い切り歪め、「ゲッ」という顔をしていた。

 一方、亜弥羽と呼ばれた女性は真っ白い歯をニカッと見せ、ずかずかと部室に入ると、ぴしゃんとドアを閉めた。

「ユキさん、この人は……」


 部屋の中には困惑しかない。

 亜弥羽は実に、異質だった。眉上と下、そして唇に尖った銀のピアス。

 さらにかなり際どい露出のチューブトップに黒のカットソー、皮素材のスキニーパンツを身に着けており、左腕には蝶のタトゥーも見える。

 髪は大部分は黒かったが、ところどころにハイライトカラーとして金色が混じっており、毛先はいずれも毒々しい紫色だ。


 「な、なんでここに」

「ママから聞いたよ。ウチが保管してた努武さんの本を勝手に持って行った理由、教えてもらおうか」

「うっ、それは」

ユキは一瞬目をそらそうとしたようだが、すぐに気持ちを立て直し、亜弥羽を正面から見つめた。

「ごめんなさい、でもあの、静代さんには許可をもらったし」

「ま、ウチも日本に居ない事の方が多いし、いちいち話回すのがめんどくさいってのは分かるけど」

「日本に居ない……」

蓮が思わず呟いた言葉に、亜弥羽自身が「そーだよ」と頷く。

「世界のどこででも、面白いことがあれば行って取材するのがウチの仕事だからね」

「へ、へぇー……!」

世界で飛び回り、面白い事を掘り下げるのが仕事。

 その魅力的なワードに、無意識の内に蓮の瞳は輝くが。


 ユキの顔は、「絡まれて厄介」という表情から変わっていなかった。

「アタシは別に本を借りただけで」

「いやいやだってぇ。品行方正で淑女のユキちゃんが、突然の努武さんに興味持って調べ始めた、とか言われたらさぁ。そんなん気になるじゃん」

がっしり、と。亜弥羽のよく日に焼けた腕を肩に回され、

「うっ」

ユキはあからさまに警戒と困惑の声をあげた。


 やがて亜弥羽の目が、写真部の3人を見回す。

「あ。君たちが四三樹高校写真部かぁ。ユキの手下だね?」

「あーえっと、はぁ、あの」

蓮が何かを言う前に、亜弥羽はポンッと手を打った。

「あっ、そうだ。おいおいあれだ、水橋 蓮ってのはどいつ? 名前じゃ判断できんな、キミか?」

葵が指さされ、葵はスルリとその指先を蓮に向けた。


 亜弥羽の――どことなく爬虫類を思わせる目が、ぎろりんと蓮を見る。蓮は、反射的に「ひぇっ」という声をあげた。

「あ、あのっ、はい、水橋 蓮と申しますです」

「あれ見たぞ、去年の四三樹夏祭りフォトコンテストの奴、『神輿と男たち』を撮ったのは君だな」

「え、えぇっ?」

突然亜弥羽の口からあまりにもローカルなフォトコンテストの名前が出てきて、蓮の脳内はこんがらがる。そんな蓮の動揺を助けるように、ユキが静めた声で言った。

「アタシが作品を出してるって言ったら、亜弥羽ちゃんが取材って名目で展示会場に来たのよ」

「あ、あぁ、なるほど」

「かわいいハトコの作品だからねン。ああ、そうそうそれでだ」

亜弥羽は、びしりと蓮を指さした。紫色のネイルが光る。


 「君あれだな、パッションあるけど腕ヘタだな!」


「うぐぅっ」

蓮は思わず、胸を抑える。


 自信のある写真だった。見に来てくれたクラスメイトや京平、それに他校の写真部の知人からも、「勢いがあってすごい」と褒められた1枚だった。

 だが。

「勢いでごまかしている」

という反省点は、自ら思っていたことであった。

 それを、初対面で突然ぐさりと刺され――まるで刀で胸を刺されたポーズのまま、硬直するしかない蓮だった。


 亜弥羽は言った。

「君の撮りたい躍動感だとかライブ感みたいなものを貫きたいなら、もうちょっと足腰鍛えた方がいいぞ」

「はいぃ」

「ケド、ああいう祭りの最中に飛び込んでいくようなパッションは、マジで最高だよ。だからこそ腕を磨くんだよ、腕を。タンパク質をとって日々の運動だよン」

「は、はい……ありがとうございます……」


***


 亜弥羽は部室を見回し、「ほぁー」と嬉しそうにため息をついた。

「てかこの部屋懐かし! 我らが『地域探索部』の跡地がこんな風に使われてるなんてなあ」

「地域探索部?」

「我が学校に三年だけ存在した幻の部活さ。『眠れる龍』に『河童』に『人面犬』、『ひじり山の山男』。この土地のあらゆる郷土史を網羅していたんだぞぉ。なつかしいなぁ、ユウくんやナッツ、元気かなぁ」

「ユウくん……ナッツ……?」

要するにオカルト研究と言う事か。そんな顔をする蓮を無視して、亜弥羽はユキの肩を爪で突いた。

「ウチらの世代で惜しくも廃部になったけどぉ、いやーユキちゃんが同じ部屋を使ってるなんてこれは運命だな? ん?」

「っていうか、それよりも」

ユキが唇を尖らせた。

「亜弥羽ちゃんがどうやって学校に入ってこられたのか、知りたいんだけど。まさか不法侵入?」

亜弥羽は――首から下げた青いストラップの先、「来校者」のカードを紫のネイルでぱちんと弾いた。

「学校への取材」

「世界を走り回るライターが何の取材よ、何の」

「ま、それはおいといて!」

亜弥羽は、パンパンと手を叩くと、ピンクのリップを塗った唇をニィッと引き上げ、ユキを見た。


 「それで? この部活にいる皆は、そしてユキちゃんは今、どうして努武さんについて調べていて、そして何をしているの?」


 ユキは奥歯を噛み締める。


 「そ、それは……」


<続>

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