3-3 体育館の怪談
下校途中。家への道を歩きながら、蓮は隣を歩く京平を見上げ、尋ねた。
「そういえばさ。じーちゃんち、どうだった?」
「え? あ、ああ、それかあ」
京平は一瞬不意をつかれたように目を丸くし、やがて、ゆっくりと首を振る。
「ごめんね。探してみたんだけど、何も手がかり無かったよ」
「そっか、ありがとな」
「ううん。あ、そうだ。漬物美味しかったよ。茄子の浅漬け。いつでも食べにおいでよ。母さんも父さんも、蓮ちゃんに会いたがってるし。でも、ごめんね。俺、蓮ちゃんの役に立てるって思ったのに」
「いやいや、気にすんなって」
京平は、いつもこうである。何か蓮が困っているところをみると、真っ先に「何かしたい」と言い出すのだ。
京平に言わせると、元々は、幼いころの蓮に要因があるらしい。
7歳ぐらいの頃の事。
その頃の京平はすぐに風邪を引いて熱を出してしまうほど病弱で、身体も小さかった。
そんな京平には、野良犬に追いかけ回されていたところを、蓮に助けてもらったという「恩義」があるのだという。
とはいえ、蓮はこの事をあまり覚えていないのだ。それを京平に伝えても、
「蓮ちゃんは昔の事、よく忘れちゃうから。でも、蓮ちゃんに恩があるのは本当なんだよ」
そう言って微笑むだけだった。そのたびに、蓮は言う。
「恩なんて大げさな」
「本当に、俺を助けてくれた蓮ちゃんはヒーローだったんだよ」
そうやって笑う京平は、身長も体格もあの頃とは比べ物にならないぐらい大きくなったけど、しまりの無い目元は子どもの頃のままだった。
蓮の家の前。雨に濡れた水橋の表札の前で、蓮は振り返って京平に片手をあげた。
「じゃ、また明日……って、どうしたんだよ」
浮かない顔の京平を見て、蓮は驚く。京平の紺色の傘から、雨粒が斑に落ちた。
「ねえ、蓮ちゃん」
ぶわ、と風が吹き抜ける。
「突然、自分が自分じゃ無くなってしまうとしたら。それって怖い事かな」
風が、雨が、音が、一定のリズムを刻む。霧に包まれたような住宅街に、蓮と京平、二人の声だけが響いている。
蓮は眉を寄せた。
「え? ごめん、どういう意味だ?」
「……あはは、ごめんごめん」
京平は、節くれだった大きな手を顔の前で振った。
「なんでもない。最近読んでたマンガに、そんな展開があっただけ。じゃあね、また明日」
そう言って手を振る京平の顔は、紺色の傘に隠れてよく見えなかった。
***
翌日の昼休み、部室。
机の上には、ユキが図書室から借りてきた本が山積みになっていた。いずれも、この四三樹市の郷土史、或いは吾垂高校の歴史について書かれた本である。
「ふぅむ……」
ユキはある程度の所で郷土史の本をぱたりと閉じると、「はぁ」とため息をついた。
「無いなぁ」
「無い、ですねぇ」
蓮もまた、適度な所で栞を挟むと、目の前の本から顔をあげた。
そして鞄をゴソゴソと探り、水筒からお茶を飲み、ついで、久城庵の抹茶最中を取り出した。
1限目の前に倉庫以外の場所も探したが、体育館の探索は正直暗礁に乗り上げた状況だったが。
「気分転換に違う角度から探そう」
そう言ってユキが図書館から借りてきたモノが、今、机の上に並べられた郷土史の本だった。
ユキの傍らには、入江 努武が書いた本が置かれている。
ユキ曰く、努武さんの研究の中でも、未だ謎に包まれている資料があるというのだ。それが、かつて鳴衣主神社の近くで店を構え、祭りの運営にも携わっていた馬谷家が遺した、「
努武さんは鳴衣主神社の祭りについて研究していく中で、この馬谷家が書き残した祭りの細部にまつわる覚書が、どこかに残っているはず、というところまでは推測していたのだが。
「無いなぁ……そんなの」
馬谷家は、郷土史や新聞記事の中にこそ、鳴衣主神社の参道で呉服屋を営んでいたとして資料が残っているものの。
「突然綺麗さっぱり、記録から居なくなっちゃうんですもんね」
「不思議な事だ」
ユキが眉間を揉みながら言った。
突然引っ越したのか、夜逃げでもしたのか。今から百年前、「馬谷呉服店」が閉店した記録を最後に、馬谷家は記録から消えているのである。
蓮は芋大福をもさもさと食べながら、糖分がじんわりと脳味噌に行き渡っていく感覚に甘く痺れていた。
「そういえば……」
蓮はふと、ユキの手元に目を止めた。経年劣化を感じさせる、古くて小さな本。
努武さんが出したという、唯一の研究書。
「あまり世の中に出回ってない本なんですよね、それ」
蓮が言うと、ユキは「ああ」と頷いた。
「完全に自費出版だからね。だから努武さんは晩年、遺産も殆ど残らなくって。……うちの親戚一同からすると、本当にちょっとタブーなのさ。一族の変わり者の研究者の努武さんの事は」
「はぁ……なるほど。ユキ先輩はその本を、どこで買ったんです?」
蓮としては、何気なくそう問うたつもりだったのだが。ユキは、にっこりとした笑みのラインを崩さないまま、そろりと視線を外した。
「え、どしたんです?」
「……まあ、ある程度合法よ」
「ある程度ってなんですか!? フルで合法じゃないんですか!?」
蓮の声に呼応して、部屋の隅の段ボールの上で寝ていた葵が、
「ある程度合法ならオッケーじゃない?」
と適当な声をあげた。
「いやいやよくないですって」
「いやまぁね。親戚に
「亜弥羽さん……あ、前に名前聞いたような……え、それで?」
「拝借した」
ユキはさらりとそう言った。その拝借、というフレーズになんだか穏やかではない気配を感じ、蓮は思わず声を潜める。
「まさか、盗んだんじゃ」
「いやいや何を言う。文字通り借りたのさ」
「……その亜弥羽さんっていう人に許可は?」
「……」
「……」
ユキはにっこりと笑った。
「さあて、次は体育館のどこを調べたもんかね!」
「先輩!? その本無断で拝借したってことですか!?」
「あと調べてない場所なんて体育館の天井ぐらいじゃないかい? 仕方ないね、天井に上るか!」
「いや無理ですよ……って窪!? なんでポケットからカラビナとロープ出てくるの!? 『了解しました、上る準備してきます』の顔しないで!?」
「冗談だよ、冗談」
ユキがアッハッハと笑った。
「しかし本当に体育館のどこに、桐の箱なんて隠されてるのかね。こんなにも見当たらないってなると、記録から消えた一族の存在も相まって、ちょっとオカルトというか怪談じみてくるもんだな」
「はぁ、もう」
ユキの軽いノリに頭を抱える蓮。だがふと、頭の中にちかりと閃くフレーズがあった。
「怪談……?」
つきん、とこめかみが痛む。
閉じた瞼の裏の暗闇に、火花が走る。
怪談、という言葉に迸る、ぴりぴりした痺れ。
「そうだ……」
蓮は呟いた。
そうだ昨日、舟木先生と話している時に「怪談」の話を聞いて。
何か思い出せそうな気がして。
あの時先生と話していた事、それはこの学校の七不思議。そして近頃、この学校の怪談について、話した覚えがある。いつだ? それは。
朝の教室のけだるい湿度の匂いが、脳の内部に蘇る。クラスメイトの島崎の大きな笑い声。
――開かずのロッカーの前で2時間待機してたんだもんな。
「あっ」
蓮は思わず声をあげた。
<続>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます