第20話:義は声を超えるか、理想の衝突
江東の孫策が公孫瓚に帰順したという報せは、天下を駆け巡った。中華の大部分が公孫瓚の旗の下に統一され、残る大勢力は、各地を流浪しながらも「漢室再興の義」を掲げ続ける劉備のみとなった。公孫瓚の天下統一は、いよいよ最終段階へと突入したのだ。
公孫瓚の執務室では、荀彧、郭嘉、蔡文姫、法正、そして新たに加わった孫策と周瑜が、今後の戦略について話し合っていた。その顔ぶれは、まさに天下の英傑と智謀の士が集結した、豪華絢爛たるものだった。
「殿、残るは劉備玄徳殿のみ。彼は、未だ各地で民の支持を集め、その『義』の旗を降ろしておりません」
荀彧が、静かに報告した。彼の言葉には、劉備への敬意が滲んでいる。
「うむ。劉備の『義』は、民を惹きつける強い力を持っている。だが、それは、現実の民の苦しみを解決する『善政』とは異なる」
俺は頷いた。劉備の掲げるものは、漢室という「大義名分」に立脚した、ある種の「古き良き理想」だ。しかし、その理想を実現するための道のりは、あまりにも長く、多くの犠牲を伴うことを、俺は知っている。
郭嘉が、不敵な笑みを浮かべた。
「劉備殿は、これまでの戦乱を奇跡的に生き延びてきました。しかし、もはや逃げ場はありません。我らが圧倒的な力と、殿の『善政』という現実の前に、彼の『義』がどこまで通用するか、見ものですな」
孫策が、荒々しい声で言った。
「あの劉備め。いつまでも流浪して、民を混乱させるばかりか!さっさと我らが力を合わせて叩き潰してしまえばよい!」
その言葉に、周瑜が静かに首を横に振った。
「伯符、劉備殿は、単なる武力で測れる相手ではございません。彼の『義』は、多くの民の心に深く根差しております。下手に攻めれば、民の反発を招きかねませぬ」
蔡文姫が、周瑜の言葉に同意した。
「周瑜殿の仰る通りです。民は、劉備殿の姿に、漢室への最後の希望を見ている者もおります。彼の『義』と、殿の『善政』。どちらが、真に民を救うのか。それは、この乱世の最後の問いとなるでしょう」
法正は、腕を組みながら、静かに聞いていた。彼の視線は、劉備のいる方向へと向けられている。
「劉備殿は、民を愛し、義を重んじる。それは、殿と相通じる部分もある。しかし、彼の行動は、常に理想論に傾きがちで、現実の厳しさからは目を背けているように見える」
俺は、深く息を吐いた。劉備とは、直接会って話をしたい。そして、彼の「義」と、俺の「善政」が、どう異なるのか。そして、最終的に、どちらが民を真に救えるのか、彼に理解させたい。
「劉備の元へ、使者を送る。そして、私と直接会談の場を設けるよう、伝えよ」
俺の言葉に、孫策は驚きに目を見開いた。
「殿、まさか、あの劉備と直接会われるのですか!?彼は危険な男ですぞ!」
「うむ。知っている。だが、彼は、私の覇道において、避けて通れぬ最後の存在だ。無益な血を流すことは、避けたい」
俺は言った。劉備の持つカリスマ性と、彼の「義」に殉じる姿勢は、時に兵士たちを狂信的なまでに奮い立たせる。もし、彼が徹底抗戦を選べば、多くの犠牲者が出るだろう。
数日後、劉備からの返書が届いた。彼は、公孫瓚との会談に応じるという。場所は、中原と荊州の境にある、小さな村の廃れた寺院だ。
俺は、趙雲と荀彧、そして護衛の白馬義従の精鋭のみを伴い、会談の地へ向かった。曹操戦での失敗を繰り返さぬよう、今回は万全の注意を払った。
廃寺に到着すると、既に劉備が数人の護衛を連れて到着していた。彼の隣には、関羽と張飛という、史実通りの猛将が控えている。彼らの顔には、公孫瓚に対する強い警戒心と、敵意が露わだった。
「公孫伯珪殿。まさか、このような場所で、お会いすることになろうとは」
劉備が、静かに言った。彼の声は、疲労を帯びていたが、その瞳の光は、決して衰えていなかった。
「劉玄徳。お前が未だ『義』を掲げていること、感服する。だが、その『義』が、どれほど多くの民を巻き込み、苦しめてきたか、お前は理解しているのか?」
俺は、核心を突いた。劉備の顔に、わずかな動揺が走る。
「……それは、乱世ゆえの避けられぬ犠牲。私は、漢室再興という大義のために、身を捧げているのだ」
劉備が、苦しげに答えた。彼の言葉には、確かな信念が宿っている。
「だが、その大義は、民の飢えを救ったか?病から守ったか?董卓の暴政から、彼らを守り切れたか?」
俺は、劉備の目をまっすぐに見つめた。
「私は、天子を擁し、洛陽に善政を敷いた。私の治める地では、民は笑い、安心して暮らしている。それは、お前の掲げる『義』だけでは、成し得ぬことだ」
劉備は、言葉を失った。彼の脳裏で、己の「義」と、公孫瓚の「善政」が、激しくぶつかり合っているのが見て取れた。関羽と張飛は、悔しそうに拳を握りしめている。
「劉玄徳。今こそ、お前はその『義』を、私の『善政』に託せ。無益な血を流すことはない。お前の民を救うという志は、私が必ずや継承しよう」
俺は、劉備に手を差し伸べた。それは、最後の選択だった。
劉備は、その手を見つめ、深いため息をついた。彼の瞳には、迷いと、悲しみ、そして、かすかな諦観が入り混じっていた。
義は声を超えるか、理想は現実の前で砕け散るのか。
この乱世の最後の問が、今、ここに突きつけられていた。
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