四蹴

第34話『三眼三唇』

〖シルバの視点〗


 ………ぃだい。


 床に打ち付けたひたいの腫れがどうにもひどく、ズキズキと熱を持つ箇所を指の腹でおさえる。


 三人がけするには若干窮屈きゅうくつな机。

 昼に淹れた温かい葉茶の湯気はとうに消え、陶器の表面はひんやりとしていた。


 この痛みも多少は引くかなと、卓から器を引き上げた矢先のことだ。


「力が使えなくなった?」


「…………うん」


 つい聞き返してしまった。

 畳んだシーツで顔を半分に隠しながら呟くヒイロさんの一言に、額の痛みが一瞬にしてどこかへ吹き飛んだ。


「暴走した幽霊は真雲くんが倒したから、能力がリセットされてないか色々試してみたんだけど、やっぱりダメで………」


「……………」


 能力の消失?


 アランと似た状況………いや、あの時は、当事者たちの記憶も含め、能力にまつわる過去が文字通りことになった。


 彼女は力を失ったことをハッキリと自覚している。

 前回とは別物だ。


「ヒイロさんの能力って、たしか幽霊ゴーストを生み出す能力でしたよね」


「……うん、一体だけ……」


「何か特別な発動条件があったりとか」


「どうだろ………最初に現れた時も突然で、それからはだけですぐに呼び出せたから……」


「な、なるほど」


 透糸スクイトを出すときと同じ感覚なのか。


 特性が根本的に異なるとしても、独立行動が可能で、さらに補助効果を複数備えているという時点で、能力としてのレベルが違う。

 真雲さんも『今までやりあった中でダントツで面倒』って言ってたし……。


 ……生み出す、一体だけ。


 ひょっとして元々が強力な分、の能力だったとか?


 まだ憶測の域を出ない。

 けど、もしそうなら、合点がてんがいく。


「……ごめん」


 シーツで顔を隠しきれなかった口元を、きゅっと引き結んでいるのが見えた。


「あ、わわ、そんな、全然大丈夫ですよ!力が使えなくなったからといって、なんだというんですか!ヒイロさんのおかげで、ここしばらく引っかかっていた違和感にも気づけたっていうか!!」


「え……、違和感………?」


「え、ええ!そうなんです! 僕ら転生者って———」



「待てッッッ!!!!」



  ビクッ


 唐突に真雲さんが叫びだしたもんだから、衝撃で肩が跳ね、持っていた茶器がグラリと傾いた。

 咄嗟に両手で持ち直す。

 中の茶は縁のギリギリで揺れたまま、かろうじて手の中に留まった。


「びッ………くりしたぁ、ちょっと真雲さん!いきなり大声出さないでくださいよ!床がお茶まみれになるところだったじゃないですか!!」


「待て。よしって言うまで、動くな」


「はぁ?何を言って———」


 真雲さんはこっちの文句など気にも留めていない様子で、ベッドから身を乗り出し、何かに全神経を集中させていた。


 視線の先には、テカテカ鋼マルがいた。


「まだだ、まだだぞ。テカマル」


「あ……定着しちゃったんだ、あの名前」


 ヒイロさんがあわれむようにボソッと呟いたのが聞こえた。


 テカテカ鋼マル。

 力強くて、いい名前なのに……。


 テカマルと略したのは、真雲さんなりの最後の抵抗なのだろうか。

 まだ間に合う、せめて自分でも呼んでいて嫌じゃない響きに、と軌道修正をしているようだ。


 アイアンスライム、もとい、テカマルは真雲さんの指示を理解しているのか、その場でピタリと動きを止め、次の号令を待っていた。


「よしっ!」


 短くそう言うと、『待ってました!』とばかりに床に置かれた短剣に飛びついた。

 『ふんふん!』と全身を小刻みに揺らしながら、刀身を包み込んでいく。

 その度、鋼色の体からコポコポと独特の音が鳴っていた。


 なんだろ、夢中になって骨っこをハグハグしている子犬みたいな、あの感じに似ている。


 というより、僕の短剣でなにしてるんだ、この人は。


「おー、よしよし、えらいぞ」


「……まったく」


 さっきまでの重い空気が一瞬で崩壊した。


 この人にとって、目の前のスライムのしつけ給餌きゅうじは、直前まで話していたヒイロさんの能力消失よりも優先順位が高いのだろうか……自分の異世界転生の話も含めて。


 そんな真雲さんに軽くイラっとしたが、ペッ、と吐き出された短剣は自分で手入れするよりもはるかに見事で、不純物一つない輝くばかりの仕上がりになっていた。

 文句を言うべきか否か、一瞬迷い、結局、テカマルの『ドヤッ』とした愛らしい反応を見て、結局、怒るに怒れなかった。


「僕の話はまた今度で。ともかく、僕らに能力のことで引け目を感じる必要はありませんよ。むしろ『あっち界隈』の事情を知ってるヒイロさんの経験と知識こそ、これから必要になってくるんで。引き続き、情報参謀として、力を貸してください」


「………シルバくん」


「そうだぞヒイロ、力が使えても使えなくても、お前は仲間だ。遠慮なんてすんな」


「……真雲くん…………」


「なに、いい感じに話にのっかろうとしてんですか。さっきまでテカマルに全集中だったくせに」


「今朝、シルバくんから聞いたけど、真雲くんはもっと仲間に遠慮したほうがいいと思うよ」


「ん、あ、あれ!?」


「ガサツなんですよ、生活面全般とか。ほら、そこのベッドの隅!僕が畳んでおいた服、放りっぱなしになってるじゃないですか!シワになるって言いましたよね?」


「いや、これは後で———」


「今!」


 そうこう言いながら真雲さんが、渋々ベッドの上の散らかった服の山を掴み始め、ヒイロさんも手伝おうと、近くにあった服を手に取る。

 すると、その下から、鮮やかな赤い巻き布が現れた。

 彼女の視線がその布の、異様なほど鮮明な赤色に釘付けになる。


「魔物の血………これ、魔具だ」


「魔具?なんだそれ?」


「えっとね。魔力が使えなくても、その魔具自体に魔力が定着しているから、身につけるだけで、魔術の発動を補助したり、所有者の能力を底上げしたりとか、なんらかの恩恵を与える道具で……」


「?」


「ハ○ーポッターの透○マントみたいなものですよ」


「そんな便利なもんがあんのか!?」


「ヒイロさんそういう鑑定的なこともできるんですね」


「え、あ、まぁ経験上、そういう商品、さばいたこともあったから」


「お、おおう」


「でも、私も専門家じゃないからそれ以上は分からないかな………血がベースってことは、元々の魔物の特性を抽出して付与エンチャントしてるってことなんだろうけど………」


「じゃあ、さっそく」


「え……ちょ、ちょっと待ってください!」


「なんだよシルバ。ここのじいさんが礼の品としてよこしてきたわけなんだろ、全然身に覚えないけど。少なくとも悪いもんじゃねえだろ」


「さすがに僕も呪いの類じゃないとは思ってますけど、もしこれが身体能力を底上げする魔具だった場合どうするんですか!真雲さんのフィジカルと相まって、また部屋を壊しかねないでしょ!もう少し調べてからでも———」


「どうだ似合うか?」


「怒りますよ?」


「まぁまぁ」


 こっちの忠告を無視して、 あっけらかんとした真雲さんは、赤い巻き布をストールのように首に巻いたまま、親指を立ててみせた。


 ん?


 特に何も変化がないように見えた。

 しかし、数秒もしないうちに、仮面マスクの表面が、微かに揺らぎ始め———。


「え、マクモく…………だれ」


「だ、誰ですか」


「は???誰って、俺だよ!」


「声はマクモ君だね……『3』だけど」


「ですね、『3』だけど」


「『3』?さっきから何言ってんだお前ら」


「……ちょっと失礼します」


 有無を言わさず真雲さんの巻き布をほどく。

 すると、は消え、真雲さんの顔はすぐ元の仮面に戻った。

 そうして、手に持ったモノを、今度は自分の首に一巻きする。


〖真雲の視点〗


「え、だれ、お前」


 シルバの顔が、全く知らないはずなのに、どこか見覚えがあるような顔に……。


 そいつは、3の目、3の口をしていた。


 例えるなら、某国民的アニメで普段メガネに隠されているキャラが、急に目鼻立ちを晒したときのような。


 そうだ、これは。

 の〇太のメガネがとれたときの顔だ。


「なるほど、こういう…………」


 3の口をぶるるんと震わせながら、シルバの声を出すの〇太は———。


「マクモさん、これ、使えますよ」


 そう言って、俺を見ているのか見ていないのかよく分からないその目で、たぶん俺を見つめていた。

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