第22話『だぁれ』
重く閉ざされたドアの向こう側に、誰かがいる。
分厚い木の板一枚が、俺と『そいつ』の間を隔てているが、それは物理的なものだけではない。
深い霧が立ち込めるように、そいつの真意が読めない。
「なんで?」
一言。
唐突に、その問いが発せられた。
さっきまでの慌ただしい調子とはまるで違う。
幼子が親に純粋な疑問を投げかけるような、そんなひどく間の抜けたものだった。
問いかけが極端に短いだけに、ひどく不気味だ。
「おかしいだろ。今、両手が荷物で塞がってるって言ったよな? なのによ、お前。さっきドア叩きながら、ノブ回してたろ」
内心のざわめきを抑え込みながら、ドア越しに問い詰めた。
不審に感じたのはそれだけじゃない。
『見たほうが早い』
シルバは俺のことを、街の連中にバレないように気遣っていたはず。
それを、こんな急に、人目を
一拍置いて、声を低くする。
「もっかいドア叩いてみろ」
「なんで?」
また同じ問い。
「ドアの叩き方も決まってんだよ」
「………………………………………………………………………………」
ズダンッ
木屑と共に、ドアに軽い亀裂が走った。
堰を切ったかのように、それは始まった。
ダンッ ダンッ ダン ダンッ ダン ダンッダンッ ダンッダンッ
音の位置的に、頭。
「なんで なんで なんで なんで なんで 」
何かに憑かれたか、何度も、何度も、その頭をドアに叩きつけている。
古びたドアは衝撃に耐えきれず、新たな亀裂が何本も走っていく。
「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで」
シルバじゃない。
人間の声とはかけ離れすぎている。
ラジオのノイズと深夜テレビの砂嵐を同時に聞いているような不快感だ。
狂気じみた響きが混じり合って聞こえる。
「おいおい………ガキならギャン泣き不可避だぞ」
幻覚見せられてるとかじゃねぇよな?
これ魔法か何かか?
もうファンタジーっていうより、ホラーの領域なんだが。
日本語話してるし……コイツも転生者?
バギャァッ
ドアがもたない。
放っておけば、1分も経たずににぶち破られるだろう。
いずれにしても、敵であることは違いない。
………やるか。
腹を
グググッ、と左腕をガッツポーズで構え、ベルトのバックル部分にある丸い
―ズンッズンッズンッズンッ――― ♪♪―――!!
軽快で、電子的で、少しポップなBGMがベルトから流れ出した。
ビートに身を委ね、全身でリズムを刻む。
これから行われるのは………変身へと繋がる、ダンスモーション。
左膝を前に突き出し、水平に伸ばしきった両腕を、斜め上に。
そのまま両手を拳にし、右肘を軽く曲げる。
体に角度をつけて左腕は伸ばしたまま、拳を掲げる。
続いて、左腕を屈折。
左拳を前方に、右手で左ひじに軽くおさえる。
そこから身を屈め、両腕を斜め下に。
最後に、背を
右掌と左掌を平行に揃え、斜め上へ突き出し、左腕のみを後方へ引く。
これまで何十、何百と繰り返した。
キレのある、完璧な舞い。
………決まった。
その構えから、口ずさむ。
「
―――起動。
コアから吐き出された霧状の金属が全身を包み込み、
『
やたらめったら、漢字が連なって
このベルトは、内蔵された特殊なカートリッジから
要は、このベルトがあれば、誰でもヒーローのような見た目になれるのだ。
ただし、苦言を呈するのであれば。
長い。
長すぎる。
あと、とてつもなく恥ずかしい。
いらないよね?
音声認識あるなら、それだけで十分だよね?
誰だこの振り付け設定したバカは。
これギ○ュー特戦隊のスペシャルファイティングポーズだろ。
コミケとかじゃねえんだぞ。
変身するたび、通行人の視線が突き刺さるの想定してないの?
嫌がらせか?
嫌がらせなのか?
いつか殺す。
ぜってぇ殺す。
いい大人が人前で、奇妙なポーズをとることがどれほど本人の尊厳を削ることになるのか。
そう開発者を恨めしく思っている間にも、パワードスーツの装着は完了していた。
「……だぁッ!くそ!!わざわざ変身させやがって!!」
視線の先。
ボロボロになったドアは依然として外から叩き込まれ、蝶番を固定していた金具が軋んでいる。
シュウウウン
パワードスーツの装甲に、高密度のエネルギーが
胸部を中心に、金色に輝くラインが複雑な紋様を描きながら全身へと広がり、鮮烈な光を放つ。
虚をつくなら、今だろ。
狙いはドアの中央。
ドアを叩きつける鈍い音に向かって、右足を振りかぶる。
ズダアアアアアァン!!
無造作に蹴り上げられた木材の破片が無数の散弾と化し、けたたましい音を立てながら廊下へと四散する。
完璧な死角からの奇襲だった。
フフフ。
ドアの向こうにいるヤツも、いきなりこんな蹴りが飛んでくるとは思うま――――。
振り上げた足が伸びたまま、宙にピンと止まる。
「………ん?」
手応えがない。
というより、すかぶった感覚がした。
蹴り抜いた先、粉々になったドアの残骸が散乱する向こうには、誰もいない。
「あ、あれ?」
四角に空いた空間を越え、身を乗り出して廊下を覗き込む。
右、左、上、下。
え、いない。
「……………」
間違いなく、ドアの向こうには誰かがいた。
俺の蹴りに反応して瞬時に逃げた?
いや、そんなはず………。
今の状況を
まるで、最初から俺一人しかいなかったような——。
バン
その途端、背後で大きな音が鳴った。
部屋の……なか?
振り向くと、風が吹き込んでいる。
さっきまで閉まっていたはずの窓が、大きく開いていた。
「………やられた」
テーブルの上。
置いていたはずの金貨が、消えていた。
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