第19話『金貨の価値』
〖真雲の視点〗
「あ、日用品の買い足し忘れてた!ちょっと、行ってきますね!」
「お、おう。悪いな、何から何まで」
食事を終え、一息ついたシルバは、また出かける準備を始めた。
察するに、俺の分も買い足してくれるのだろう。
その心遣いに、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「いや、こればっかりは仕方ないですよ。真雲さんを連れて行って、またトラブルになっても怖いですし」
「好きでトラブル起こしてるわけじゃないんだぞ?」
「分かってますよ」
とは言え、シルバの言うことはもっともだ。
この顔、正確にはこの
だからといって、仮面を外すわけにもいかない。
なんでかというと、それは………。
俺に複雑な事情をあるのを察してか、シルバはそれ以上深く踏み込んでこない。
その配慮が、かえって心苦しい。
………やべぇな、どうやってこの借りを返せばいいんだ。
まさか、こんな形で他人に世話になる日が来るとは夢にも思わなかった。
しかも相手は、かつて敵対した蜘蛛怪人。
人の縁とは、本当にどこでどう繋がるのか分からないものだ。
俺が悪の組織で怪人をやっていた頃、シルバのことは『こんなやつもいたな』くらいの認識しかなかった。
それが、洗脳が解けてみれば、こんな気のいい奴だったなんて……。
シルバの真面目さは、もともとの性格なのだろう。
「真雲さん?聞いてます?」
「え、ああ、すまん。もう一度頼む」
「まったくもう……。くれぐれも、外には出ないでくださいね。もし誰か来ても、居留守を使ってください」
「おう」
「なるべく早く帰ってきますから。僕が戻るまで、いい子にしててくださいね」
「お袋かよ」
呆れてそう返す俺を見て、少し安堵したのか、シルバはふっと笑みをこぼした。
シルバは革袋を肩にかけ、ドアを開けて出ていった。
軽く手を振って、その背中を見送る。
「………………」
うーん。
本音を言えば、露店とか一緒に見て回りたかった。
この世界に来たばかりだし、市場がどんな雰囲気なのか気になるし。
まあ、思っていてもどうにもならないけど。
それにしても、暇すぎる。
殺風景な部屋に目をやる。
必要最低限の家具しかない。
本棚には前の住人が残していったらしい分厚い魔術書が何冊か並んでいるが、俺には読めない。
あれ?
そういえば、俺って魔力が通ってないんだっけか?
アランがそんなことを言っていた気がする。
ということは、たとえ読めたとしても……。
途端に、気分が落ち込む。
え、これって、あれじゃん。
空とか飛べないってこと?
『パト〇ーナム』とか、『メラ〇ーマ』とか、『ザケ〇ガ』とか、そういう呪文も全部ダメ?
うわー、マジかよ。
気づかなきゃよかった。
この世界、魔法がバンバン飛び交うようなファンタジーな世界だろ。
それなのに、俺はただ見ていることしかできないと?
試しにベットで熟睡するスライムに『サン〇ガ!』と叫んでみるが、当然何も起こらない。
ショックすぎて、しばらく立ち直れそうにない。
「なにやってるんですか……」
ビクッ
シルバが、ドアを少し開けて俺の方を見ていた。
顔が熱くなるのが自分でもわかる。
「お、おまッ、まだ、行ってなかったのか」
「伝え忘れたことがありまして」
「な、なんだよ」
「そこにあるメモ帳にこの世界の情報をまとめておきました、退屈なら目を通しておいてください。あ、それとここの鍵閉め、お願いしますね。ではどうぞ続きを」
「ちょっ!さっきのは!」
「………フッ」
シルバは何とも言えない表情で、そっと扉を閉めた。
階段を降りていく足音がだんだん遠くなる。
……穴があったら入りたい。
「戻ってこないよな……」
ドアに聞き耳を立て、数分してから、無言でベッドに戻った。
母親に黒歴史を見られた中学生の気分だ。
もう、忘れよう。
ベッドに寝転がり、熟睡しているスライムを枕代わりにする。
水枕みたいな感触が心地よく、気持ちを落ち着かせるのにちょうどいい。
テーブルの上に置かれていたメモ帳を手に取る。
中には、バクラダの街の簡単な地図があり、ギルドや市場、鍛冶屋などが丁寧に記されていた。
地図の横には、シルバの几帳面な字で情報がびっしりと書かれている。
それだけではない、それをわざわざ日本語で書き直してくれていた。
「ほんと、律儀なやつだ……」
感心しつつ、地図を指でなぞる。
ページをめくっていくと、『これ、重要です』と二重丸で囲まれた項目を見つけた。
この世界の通貨は、金貨の『ゴウル』、銀貨の『シヴァ』、銅貨の『ロンド』の3種類が基本。
この世界の貨幣価値についてのようだ。
読み進めていく。
金貨は、防具や武器など、高価なものの購入が主な使い道。
銀貨は、日々の食事や道具の購入といった普段の取引に使われる。
銅貨は、パンや飲み物のようなちょっとした買い物や、お釣りの調整に使うらしい。
―――『馬小屋なら銅貨1枚、街外れの大部屋雑魚寝なら銀貨3枚で済みますが、今のような宿は1泊に金貨1枚いります』
そういえば、シルバがそう言っていたな。
ピンとこない。
金貨1枚って、日本円に換算するといくらになるんだ?
メモの端には『1ゴウル=10シヴァ=100ロンド』と書かれている。
日本での経験と割り切りの良さから、大部屋での雑魚寝を1泊3,000円と仮定してみた。
そうすると、馬小屋は1銅貨=100円くらいだろうか。
ってことは金貨1枚……1万円!
え、嘘だろ。
この宿、1泊1万もするのか。
日本のビジネスホテルなら、ネット無料で朝食付きでも6,000円くらいで泊まれるってのに。
どうりでシルバが苦い顔をしていたわけだ、なんでこんなに高いんだよ。
窓から、ガヤガヤと騒がしい音が聞こえてくる。
外で誰かが喧嘩してるらしい。
物騒な街だな。
シルバ、1人だけど大丈夫だよな?
あ、やべ、鍵しめとかねぇと。
施錠を思い出し、ドアに目を向ける。
………あ。
この宿が高いわけが、なんとなく分かった。
ここはセキュリティロックも、防犯カメラもない世界だ。
馬小屋や雑魚寝の宿だと、荷物の盗難や夜中の襲撃といった危険があるのだろう。
その点、ここのドアは分厚い木に鉄の補強が施されていて、鍵で厳重に閉ざされている。
部屋は2階で侵入されにくいし、下には店主がいて防犯の役割も果たしてくれる。
「なるほど…安全を買うための値段ってわけだ」
払ってもらっている身でこんなことを言うのもなんだが、ぼったくりに思える宿代に渋々納得する。
とはいえ、ずっとシルバの
どうにか自分で稼ぐ方法を考えなければ。
異世界に来てまで、無職なんて洒落に――。
いや、金ならあるじゃん。
あの報酬金………シルバだって、あれは俺が受け取るべきものだって言ってたし。
さっき隠してた場所は、確か……。
部屋の隅にある古びた木製の
服や雑貨が適当に詰まっているが、シルバのことだ、こんな分かりやすい場所に置くとは思えない。
ん?
一番下の引き出しに妙な違和感を感じた。
他のものと比べて建て付けが悪く、何度もつけ直されたような痕跡がある。
試しに全部引き抜いてみた。
……お、これは。
空になった空間の底に、隠しスペースが現れた。
それに、探していた金貨の革袋も。
シルバめ。
俺の金っていいながら、隠し場所黙ってるなんてよ。
いくらあるか知ったら、俺が泡吹いて倒れるとでも思ってんのか?
そう自分で言い訳を並べ立てた後、革袋を取り出し、テーブルの上で金貨を1枚ずつ並べてみる。
「1………8………12………19………」
数え終わった。
「200万……」
その数字を口にした途端、喉がひりついた。
やばい。
やばすぎる。
こんなにあるとは思わなかった。
10枚刻み、丁寧に縦積みされた金貨がテーブルの上で鈍い光を放っている。
「コンビニバイト……1,818時間………新聞配達………1,667時間………」
過去の貧乏生活がそうさせたのか、頭の中のそろばんが勝手に計算を始めていた。
日本にいた頃、宝くじが当たった人が『実感が湧かない』とか『怖くて眠れない』とか言ってたのをテレビで見たことがあるが、まさに今、その気持ちが痛いほどわかる。
この金貨が……そのまま俺の人生に直結するのか。
そう思うと、途端に現実味が押し寄せてきて、心臓が激しく脈打つ。
物理的な重さではないのは分かってる。
だが、もう一度持てば、そのプレッシャーに耐えられない。
この金貨は――俺を殺せる。
ぎ、銀行に預けたい!
あれ、銀行なんてもの、この世界にもあんのか!?
もし盗まれたりでもしたら………。
くそッ、不安でたまらない!
「く、くつろげねぇぇぇぇぇええ!!!!」
なぜ、俺はこんな大金を手にしてしまったのか。
失踪事件だっけ?
アランって凶悪犯罪者なんだよな?
あれだろ。
交番に貼ってる指名手配犯を捕まえたわけだろ。
ギルドが設定した高額な懸賞金が、この金貨の正体なのかもしれない。
そうだ、あの場にいたじいさんたちも共犯者ってことになってるわけだし、その分の報酬金も追加されているはずだ。
闘階冒険者だっけ?
闘階というのがどれほどの強さを意味するのかは分からない。
冒険者の格付けについて何か情報がないかとページをめくると、案の定、次のページに『冒険者ランクについて』と書かれた見出しがあった。
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