第9話 プロボウラーのテスト

 草薙 明と花形美 鶴は2人してプロボウラーの試験に受かるよう猛特訓に励(はげ)んだ。


 プロボウラーの資格試験は毎年1回4月に行なわれていたので、2人には充分な時間があった。


 2人とも170~180の壁は突破出来て居たので、後はより精度が高い投球が実現できれば合格する、1年間のうちにアベレージを30上げれば良いだけの事だ。


 しかし現実にはスコアだけでは受からない。まず

 1、プロテストの前年に9月上旬から10月下旬に掛けて行なわれる「認定2級インストラクターの資格取得講習会」を受講し


 2、受験申請の際、前年度 JPBAF (公益社団法人 日本ボウリング連盟) 公認のリーグ戦で30ゲーム以上投げ、アベレージが190以上であり、尚且(なおか)つ、在籍5年以上のJPBF 公認プロボウラー 2名以上の推薦が必要


 3、 実技試験 1日20ゲーム3日で合計60ゲーム投げ、アベレージが190を越えなくてはならない。

 4、面接、身体検査、筆記試験(100点満点で60点以上が合格)そして入会研修がある。


 1と2は2人にとって何の問題も無かったが、4はプロボウラーから出題傾向を教えて頂けないと受からない。


 最も筆記試験はまだスコアが自動的に表示されないボウリング場があるため、実際に投げられた後のボウリングのスコアシートからスコアだけ削除された表を元にスコアを計算する問題や、公式の試合で投球者がファールをして居ない時にファール表示が出てしまった時の選手と従業員の対応が求められる。


 答えは簡単で、『投球者は投げ終わった状態で立ち止まり、審判ないし従業員に手を上げてアピールする。審判ないし従業員は足がファールラインを越えていないない事を確認出来ればスコアを訂正出来る』となる。


 肝腎(かんじん)な事は3の『1日20ゲーム3日で合計60ゲーム投げ、アベレージが190を越えなくてはならない』に限る。


 アベレージで200を叩き出すには、10フレーム全てノーミス(1フレームごとに必ずストライクかスペアーを取る事)にするか、1フレームでもミスが出てしまったら、同じゲームのうちにストライクを2回以上連続して出さなくてはならない。

 ジャンルは違うがゴルフと同様にかなり神経を使うゲームだ。


 花形美はプロから教わった通りに基本ノーミス、チャンスがあればストライクの連打を狙うが。


 草薙はもっと大雑把(おおざっぱ)でミスが出たら3連続のストライクを取りに行く。プロになってさらに高みを望むのであれば、ノーミスは当たり前、後(あと)は1ゲームに何回ストライクが取れるかという厳(きび)しい試練が待って居る。


 プロテストに合格するだけなら才能は要(い)らない。しかしプロボウラーだけで食べて行くのは日本では不可能だ。


 当時日本のトップ プロであった東城 正明は雑誌のインタビューに「ボウリングだけでは食べて行けないよ、僕が言うんだから間違いない」と答えている。


 もし当時のトップ プロが東城 正明 1人だけなら話は変わって居ただろうが、実は当時もう一人小島 純一というトップ プロが居た。


 実力は肉薄しており、国内の賞金が高いトーナメントでは大抵どちらかが優勝するという有様だった。お陰で2人は賞金を山分けする事となり、独(ひとり)り占めは出来なかった。トップの2人がこの有様だから、3位以下のプロは賞金だけで生活することはとても困難な状況であった。


 花形美はプロボウラーの収入に関してはとっくに把握(はあく)して居たが、花形美が『一流のプロボウラーになって、ボウリング場の経営者と親密な関係を構築したい』のに対し、草薙は『一流のプロボウラーになって、生活の足(た)しにしたい』と最終目標は全く異なっていた。


 とは言え2人のボウリングに対する情熱は変わりなく、花形美がプロのレッスンを受けながら、改めてフックの練習を重ねる反面、草薙はあくまで自分のフォームにこだわって我流(がりゅう)でフックボールを磨いた。


 皮肉にも成果は同じで、アベレージはじわじわと伸び2人共1ゲーム当たりストライクが7回以上出せるようになって来た。しかし2人共、きれいにポケットに入った時、10番ピンだけが残ってしまう事があった。

 花形美はプロに、草薙は店長に相談すると答はかなり違っていた。


 まずプロは「ポケットに入った後のボールの軌道が5番ピンに向かうように投げるべきだ」と指導したのに対し

 店長の指導は「10ピンタップが出ないボールがあるのなら、プロなら100万円出しても買うよ」といかに困難であるか説明した。


 花形美はプロに指導された通りに投げようとするが、そもそもきれいにポケットに入れた上に、さらにそのボールが5番ピンに向かって行く軌道を描く事は、針の穴に糸を通すように難しかった。

 

 さてここからが難しい。プロボウラーの実技テストでは、ハウスレーンと違ってハイスコレーンでは無い。


 この様子を見ていた佐野店長は2人に「59、60番レーンを使うように、さらにメカニックに行ってトンボを借りてきてファールラインから7,8,9,10番ピンの奥までオイルを丁寧に伸ばすように」と指示した。


 2人は店長がわざとスコアが上げにくいレーンコンディションに設定してくれたと意図を理解し指示に従った。


 2人が指示した意地の悪いレーンは、実際に投げてみると、とんでもなく投げにくかった。

 まず、本来真っ直ぐ進むべき所で左に曲がってしまい、さらにたちが悪い事にレーンの奥までオイルを伸ばしてあるので、肝腎な所でボールが曲がってくれなかった。


「そうか、プロテスト用のバッド コンディション レーンか」

「店長は私たちが2人共プロテストに合格出来るようにと実戦用のレーンで実践させるおつもりでしょう」


 この日2人はアベレージががた落ちし150位出すのが精一杯であった。


 この日以来2人はわざとコンディションを悪くした59,60番レーンに立ちリーグ形式で腕を磨いた。


 先にアベレージを回復させたのは草薙の方だった。花形美は(出遅れた)と感じ草薙にアドバイスを求めた。


「先輩はどのスパット(ファールラインから約15フィート地点に描かれている7つの三角印のことをいい、ボールを投げるときの目安にします。板目で5・10・15・20・25・30・35枚のところにあります)に向かって投げて居るのですか?」


「スパット?そんな事を言う人もいるなあ」

「それでは、スパット ボウリングでは無く、直接ピンを狙って居るのですか?」


「花形美君は優秀だから何でも理詰(りづめ)で考えるんだなあ、前にも言ったけど僕は我流、投げ方は直感派。適当に立って3番ピン目掛けて投げて居るだけさ」


「私はてっきり投球の度にレーン コンディションを考えて立ち位置やボールの軌道を修正していらしゃると思っていました」


「あのさあ、悪いとは言わないが、肩が凝(こ)らないか?、もう少しリラックスしてボウリングを楽しまないか」


「申し訳ございません。花形美家では小学校のうちに中学校の勉強を終了させ、中学校の時には高校の勉強を終了させ、高校では1年生の時に大学受験の準備を完了させ、2年生の時には司法試験の短答式をマスターし、3年生の時には司法試験の論文を勉強しておりました。


 姉を除いて2人の兄は同じように勉強をして居たので、物事は理詰で片付くと信じております」

 草薙は呆顔(あきれがお)で尋ねた。

「お姉さんだけは司法試験を受け無かったんだ」


「姉は東大の医学部を首席で卒業後2年間研修医として東大の医学部附属病院で勤務致しましたが、初めて頂いたお給料は手取りで4万円でございました。


『いくら研修医だからといって手取り4万円では良い医者が育たない』と自己資金で医大と医大の附属病院を設立する気で、現在は各診療科目の専門医を目指して奮闘(ふんとう)中でございます」


「医者の初任給ってそんなに低いのか」


「ええ、ですから合コンでお金持ちのお嬢さんとお付き合いをして結婚する事を条件にお嬢さんの親から資金援助をして頂くケースは良くございます」


「白い巨塔(山崎 豊子原作) じゃないか」


「全員という訳ではございません。私の姉は小学校の時から始めた株取引で充分な資金がございましたから、お金持ちのお坊ちゃんとお付き合いする必要はございませんでした」


「君の話を聞く度に僕は驚かされる『お金持ちだからと言って幸せでは無い事く、医者=高給取りでは無い事を知った』しかし何で君はプロボウラーを目指すんだ」


 2人はリーグ形式で投げながら交互に話をした。


「1つには文武両道(ぶんぶりょうどう)でございます。静岡大学で1,2年生の時は清水にある北川道場にも通いました」


「え!あの稽古代(けいこだい)が無料で若くて美人な奥さんが居る韓国人で商売に成功した北川師範の?」


「仰(おっしゃ)る通りでございます。稽古代は無料、されど他流試合は禁止の北川道場でございます」


「いや実は僕も北川道場に通った事があるんだ。僕は道着(どうぎ)が買えないで困っていたら、卒業生の誰かが自腹で道着を10着以上プレゼントしてくれたお陰で助かったよ」


「差し出がましいようですが、草薙様が仰る卒業生は私です」


「あ!そうだったのか。ありがとう助かったよ」


 草薙は心から感謝したが、花形美は心の中で薄ら笑いを浮かべていた。


 (草薙君、君がどれ程努力をしても私には勝てない)


 草薙は花形美の言った事を鵜呑(うの)みにして居たが、事実は多少異なった。花形美の住むアパートは確かに1LDKであったが、駐車場はベンツのSクラスが停めても充分なスペースが5台分あり、全ての駐車場にはリモコン操作できるシャッターが備わっていた。


 駐車場からアパートには雨でも濡れないようにアパートに続く通路があり敷地面積は300坪、1階には夜中にバンドを呼んで大騒ぎをしても近所から全く苦情が来ない完全な防音設計になって居た。


この部屋は静岡大学の同窓生を呼ぶ際に使用され、食事は1流のシェフが腕を振るった料理が並ぶ。


 2階には4レーンのボウリング場があり、最新型のピンセッターを装備し、普段は自分1人で使っている。この部屋も完全防音となっており、真夜中に1人でボウリングの練習をしても部屋の外には全く音が漏れない。


 3階には1LDKの居住スペースがあったが、敷地内にボウリング場を設置したために奥行きは30メートル以上あり、世間の人が考える1LDKとは規模が違っていた。


 花形美は自分の資産でこの豪華なアパートを建設したが、名義は花形美モータースの所有物となっており、形式的にアパート代として毎月1万円花形美モータースに支払われていた。だから1LDKのアパートに住んでいるという言葉に嘘は無いのだが……


 花形美は休日以外の日に自分のボウリング場で練習する事が出来たので、『貧乏な草薙に負ける事などあり得ない』と内心思っていた。


(草薙は悪い奴で無い、しかしここから貧乏人と金持ちの違いを思いさらせてやる)             

花形美は財力に物をい言わせ、仕事の日も日夜問わずボウリングの練習に勤(いそ)しんだ。


 時は流れ4月になった。花形美と草薙は2人共バッド コンディションのレーンで鍛(きた)えた腕を発揮すべくプロ テストに臨(のぞ)んだ。


 花形美はアパートからタクシーを使い、静岡から新幹線のグリーン車で東京に向かい、東京駅からタクシーで試験会場に1番近い1泊3万円の高級ホテルに泊まったのに対し、草薙は花形美の誘いを断った。


 アパートから1番早いバスを使い静岡駅に向かうと高速バスに乗車して東京駅に向かい、東京駅から電車を乗り継いで試験会場から遠い1泊8000円のビジネスホテルに泊まった。


 草薙は、試験会場から遠い事に不満はあったが、試験は朝10時からなので時間的に間に合わうので、あえて距離より安さを優先してホテルを決めた。

 

 試験初日150人位の受験者がおり、そのうち男性ボウラーは100人程度であった。合格率は20%前後だが、ルール上受験者のアベレージが規定数(男子190、女子180)を越えれば全員合格してもおかしくは無いが、それ程甘い試験では無かった。


 1日目の20ゲームでリードを奪ったのは草薙だった。本人にしてみれば肩慣らし程度の感覚であったが、アベレージは220を越えた。


 一方、花形美のアベレージは185に留(とどま)まった。

 花形美は1日目の実技試験を終えると直(ただ)ちにボウル アッパーのプロショップに電話を掛けた。


 最初に電話に出たのは大沢プロだった。

「あら花形美さん、今日の結果はどうでした」

「散々です、アベレージも185しか叩けませんでした」


「おい、聞こえたぞ。どうしたんだ」

 多田プロも心配して話に加わった。

「まるっきりレーン コンディションが読めません」

「そりゃあそうだろう。合格率は20%前後なんだから、簡単にオイルが読める訳は無い」


「どうしたら よろしいでしょうか」

 2人のプロは相談してから返事をした。


「このままではテストに落ちる。明日以降1ゲーム目の2フレームまで自分と競合する受験者の立ち位置、球質、曲がり方を見比べて、自分なりにレーン コンディションを見極めてから限りなくストレートに近いフックを使うんだ。ストレートならレーン コンディションに全く左右されずに済む」


「私も同じ意見、私が1度プロテストに落ちたのは今の花形美さんと全く同じ状況だったの。カーブを止めてフックにしたのは正解だけど、よりストレートに近い投げ方の方がオイルの量に左右されずに済むわ」


「一寸(ちょっと)待て、1投目からアローを使って速いスピードで投げながら弱めのフックにしてみろ。コロンビアよりレーン コンディションに左右されないぞ」


「分りました、やってみます」と素っ気ない返事で電話は切れた。

 2人のプロは(気の毒だな)と思いながら、(仕方ない)と思った。


 極端な事を言えば、プロとしてボウリング大会に参加するのと、プロテストで投げるのでは、プロとしてハイ スコレーンで投げた方がスコアは高くなる。最も、厳しいプロテストを合格した同士の対決になるので上位に入賞することは難しい。


 実は花形美が1日目に出した185というアベレージは三味線(しゃみせん=実力を隠してわざと下手なふりをする事)で、その気になれば220位は叩ける自信があった。

 しかし実技テストの1日目が終了すると一目散に草薙を見つけ話しかけた。


「先輩、今日のアベレージはいくつでしたか?」

「220位だよ」

「え!僕は185でしたが、先輩はどうやって220も叩けたのですか?」


「レーンコンディションが全然分らないから、コロムビアを使わずに1ゲームの3フレーム目からナローを使ったら上手(うま)くいった。限りなくストレートに近いけど、回転は僅(わず)かに掛けてあるから、上手いこと曲がってくれたよ」


 花形美はギョッとした。(のんびりと三味線『しゃみせん=実力を低く見せる事』を引いている訳にはいかない)


「さすがですね、明日以降は先輩を見習いますよ」

「僕の真似をするのは構わないが、我流で邪道な投げ方を見習うよりプロに相談した方が確かだと思うよ」

 

 この言葉に花形美は闘志(とうし)が湧(わ)いて来た。(そっちがその気ならこっちも本気を出させてもらうよ)と心の中で思いつつ、口先では「参考になりました。ありがとうございます」と答えた。


 2日目になると、受験者の数は半分の50人程に激減していた。恐らく1日目にアベレージが180位で足切りされたのだろう。しかしこの日は花形美が本気を出した。


 プロに言われた通りに1投目から曲がらないアローを使って軽めのフックで投げる。当然のようにボールはポケットに吸い込まれるように走り、ノーミスかつストライクも連発した。(これなら草薙も付いて来られまい)本人は気持ちよく20ゲームを投げ、アベレージは225をマークした。


 2日目の実技テスト終了後、花形美は草薙を探し声を掛けた。


「先輩、今日はアベレージ225を取れました。先輩は如何(いかが)でしたか?」

「225かこの調子なら2人ともプロテストに受かりそうだね、僕は何度かミスが出てしまいアベレージは235しか出なかったよ。


 まあ運良くミスしたフレームに限ってストライクが連続したお陰でスコアは落ちなかったものの、正直言って運が付いて居ただけだね」

「よろしければ、この後お食事でも如何ですか?」


「大変申し訳ないが遠慮させてもらうよ。以前アルハンの決起大会で高いお店に入った時、喉(のど)が渇(かわ)いていて指先を洗うフィンガー ボールの水を飲んで笑われた事があってね」

「左様でございましたか、それでは又の機会に」


 花形美はそう言ってこの場を離れたが、ミスが出てもアベレージ235には驚いた。

しかし、それから考える事が凡人とは違っていた。(それならば、明日は自分がアベレージ240以上出してやる)


 花形美は試験会場を後にすると天下の東京でも10軒ほどしか無いスリースター レストランに入り、珍しくヴィンテージ物のロマン コンティをグラスで1杯飲み干してからレアのステーキを300グラム注文し、改めてロマネン コンティを追加注文しようとした所レストランの支配人が駆けつけた。


「お客様、大変失礼ながら、先程ご注文されたワインはグラス1杯30万円でございます。お支払いは大丈夫でしょうか」

「はー、これを見て頂ければ納得してもらえるかね?」


 そう言うと花形美は2枚のプラチナ カードをテーブルの上に投げるように放った。レストランの支配人はプラチナ カードが本物である事を確かめると、頭を深々と下げて無礼を詫(わ)びた。


「大変失礼なことを申し上げました。何卒(なにとぞ)お許しを」

「カードを確かめる前に名義を確認してくれ給(たま)え」


 支配人が恐る恐るカードの名義を確認すると、そこには花形美 鶴の名前が刻まれていた。


「こ、これは花形美家の4男様」

「支払い能力に問題はあるかね?」

「どうかお許しください」

「あー、もう良い、せっかくの松阪牛が冷めてしまう」


 支配人はまだ何か言っていたが花形美は一切相手にせず、血の滴(したた)るようなレアのステーキにナイフを入れフォークに突き刺すと口に運び、お代わりのロマン コンティで胃に流し込んだ。


 食事が終わった花形美が会計を済ませながらハイヤーを注文すると、先程の支配人の他にホテル全体を統括 (とうかつ) する総支配人も寄ってきて花形美に話しかた。

「先程は大変失礼を致しました。お代は結構ですので、どうか本日の事はご家族に内密になさって下さい」


 2人揃って深々と頭を下げる中、花形美は額に皺(しわ)を寄せて「板長(いたちょう)を呼んでくれ給(たま)え、いや、この店は洋食店だからエグゼクティブ シェフと呼んだ方が正しいのかな」と言った。


 支配人と総支配人は顔色を変え総料理長を呼んだ。

 総料理長は背広を着た支配人達と違って、白くて長い30㎝程のシェフ ハットを被ったまま堂々と現れた。


「お客様、どうかなさいましたか?」

「牛肉は松阪牛のA5ランクの霜降り肉だね、申し分無い。ロマン コンティは空輸物でコルクを開けたばかりだね?」

「仰る通りでございます」


「ワインに僅(わず)かながら澱(おり)が沈殿していた。しかし予約せずに来た以上問題は無い」

「ありがとうございます。本当に味が分る方に飲んで頂けると、我々も光栄でございます」


「感謝の意を込めてロマン コンティはボトルごと買い取ろう。封を開けたワインは酸化してしまう。残ったワインはシェフたちでテイスティングしたまえ、たまには本物の味を楽しむが良い」

「仰る通りでございます。是非(ぜひ)とも……」


 総料理長と花形美は良い気分で話をしてい他のだが支配人が割って入った。

「恐れ入りますが、お客様がお持ちのプラチナ カード2枚では、支払い上限が2000万円でございまして、ロマン コンティはボトル1本が2000万円いたしますので……」

 総支配人は止めようとしたが時既(ときすで)に遅し、支配人は松阪牛の代金を考えると花形美のカードでは支払い切れないと忠告してしまった。


 頭から湯気が立つ程気に障(さわ)った花形美は滅多に使わないドンヒルの財布から100万円を取り出し、声を控えめに返事をした。


「これでも足りないかね、それとも私の個人資産でこの店を買収すれば不愉快な思いをしなくても済むのかな?」


 総支配人は支配人の頭を小突き、代わりに平謝りをした。既に言い訳が通る状況では無い。

 

「君達は東京で商売をして居るんだから身なりや年齢で人を見ないように教わらなかったのかね、私の父が経営する花形美モータースでは、ショウルームに錆(さ)びた軽四で来店するお客様も居る。


しかし、錆びた軽四で来店しようが、運転手付きのアールスロイスで来店しようが差別はしない。今日貧乏人でも明日富豪になり、今日富豪でも明日手形が不渡を起こしてしまう事もある。それが東京という街の魅力では無いのかな?」


 支配人は黙って頭を下げた。

 総支配人は「本日のお代は結構ですので、何卒(なにとぞ)ご容赦(ようしゃ)の程よろしくお願い致します」と答えた。


「私が難癖(なんぐせ)を付けて代金を支払わなかったと噂(うわさ)が流れたら花形美モータースの名前に傷が付く、売り上げばかりを気にするホワイト カラーはそんな事も分らないのかね」


 と言うと花形美は強引に2枚のプラチナ カードと100万円の現金で代金を支払った。


 せっかく気晴らしにと3つ星レストランに来たのに台無しだった。もし今日父親が同伴していたらレストランの接遇(せつぐう)も変わって居ただろうにと考えるとせっかく飲んだロマネ コンティは自分をリラックスさせる所か、悪酔いしそうな気分であった。


 翌日、ついに運命を分ける3日目に突入した。


 花形美は気分こそ晴れなかったが、その位な事でゲームに影響が出るような小心者(しょうしんもの)では無かった。


 一方、草薙は絶好調であった。昨夜の夕食は近所のスーパーで弁当を買い、500㎖の100%のオレンジジュースで流し込んだせいかビタミンCは充分で、今日もハツラツ。アベレージは240を目指す気で居た。


 本気になった花形美は2日間で意地の悪いレーン コンディションを把握(はあく)しており、レーンの途中でボールが曲がらないように投球スピードを上げながら3番ピンに狙いを合わせて軽めのフックで投げた。


 オイルを奥までたっぷり塗ったレーンは確かに投げにくかったが、スパットを目標にせず、直接ピンを狙って投げれば、本気になった花形美にとって驚異でも何でも無かった。


 皮肉な事に草薙と同じ投球フォームを強(し)いられたが、この際プライドを投げ捨ててアベレージを上げる他無かった。

(プロテストさえ受かってしまえば、後はプロ同士の大会では高価で良く曲がるボールを買えば、草薙君は相手にならない)


 牙を剥(む)いた花形美は周囲の者とは一線を画(かく)する強い気配を発し、同じボックス(奇数レーンから始まる2つのレーン)の受験者達は一斉(せい)にペース ダウンを始めた。


 1ゲーム目の9フレームまでは連続9回のストライク、そしていよいよ10フレーム、パーフェクト ゲームが掛った第1投。厳しいレーン コンディションの中、アローは見事にポケットを捕(と)らえストライクが決まる。所がこの時魔が差した。


本人はストライクだと決めつけて居たのだが、足がファール ラインを越えて居なかったにもかからわずファールのブザーが鳴った。


 所が本人は余りにも神経が集中していたため、他人のファールだと勘違いをしてしまい、その場で手を上げて審判にアピールすれば良かった所、早々にアプローチから引き上げてしまった。そして自慢げにスコア ボードを見上げるとFの文字が刻まれていた。


 ルール上、アプローチで立ち止まり、手を上げて機械の誤認と審判に認められればストライクであったのに、もう取り返しは付かなかった。


 さらに悪夢は続く。10フレームの2投目でストライクを出した花形美に対して、3球目を投げようとしたところ、スコア ボードは他人の投球順になって居た。

(これはおかしい)と思った花形美が手を上げて審判にアピールした。


 審判員は 「『日本ボウリング連盟(JPBF)ボウリングルール 第1章競技規則 1.1ゲームの定義 1.1.1 ゲームの構成 第 10 フレームがストライクまたはスペアの場合には、競技者は 3 回投球する』に基づき、1投目にファールを出してしまった以上3投目は投げられない」と宣言した。


 このルールは花形美は勿論、草薙も知らなかった。

 つまり10フレーム目で1投目のファールはガターより悪いのだ。


 いかに花形美といえど、さすがに本来パーフェクトであった筈のゲームが10フレームで『ファール+1投まで』は精神的に堪(こた)えた。


 一方、草薙は(無理してアベレージを上げなくても、昨日と同じスコアを叩けば合格するんだから)と気楽に投げた。


 むきになった花形美と呑気(のんき)な草薙は、1ゲーム目で勝負が決まった。


 結局、3日目のアベレージは花形美が195であったのに対し、草薙は240。3日間合計でのアベレージは花形美が203に対し草薙は225を越えた。

 2人共無事プロテストの実技に合格はしたものの花形美には釈然(しゃくぜん)としない感情が渦巻いた。


 2人共ホテルのチェックアウトはしてあったので、後は帰るだけだった。花形美は草薙に「新幹線で一緒に帰りませんか?」と声を掛けた。

「良いのか、念の為に言って置くけどグリーン車なら断るよ」


「いえ、そう仰ると思って2人乗りの座席で指定席では如何でしょうか」

「やったー、乗る乗る、新幹線の座席指定なんて乗った事無いや」

「先輩に喜んで頂いて光栄です」


 はしゃぐ草薙と複雑な心境の花形美を乗せて、新幹線は東京から静岡に向かった。


 


 














 

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傷だらけのコロムビア 草薙 明のプロボウラー物語 ハイヒール オオイシ @A2175

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