第8話 貧乏人 VS 御曹司

 花形美が「プロボウラーを目指す」と宣言してから草薙も俄然(がぜん)火が付いた。花形美が入社前までは1つのレーンで投げるヨーロピアン方式で投げて居たのだが、プロテストやボウリング大会ではアメリカン方式が主流であり、草薙もプロテストに備えアメリカン方式に切り替えた。


(ボウリングの大会では勝ち抜き戦では無く、総当たり戦を採用される事が多いのでボウリング場のフロント係はアメリカン方式の事をリーグと呼ぶことがあります。


 リーグ戦の場合奇数から始まる2つのレーンを使って投げるので、ヨーロピアン方式と違い2つのレーンコンディションを把握『はあく』しなくてはなりません。


 ヨーロピアン方式で大会が行なわれると、1つのレーンだけを使うので運良くレーンコンディションが良いレーンに当たった選手は有利になり、運悪くレーンコンディションが自分に合わないレーンに当たった選手は不利になるため公平性に欠け、その結果、大会ではリーグ『アメリカン方式』が主流となっています)


 2人は(店長が配慮してくれてくれていたとは露『つゆ』知らず)平日の休みが重なる事が多く、当然2人で2レーンを使って実戦さながらスコアを競い合ってゲームを行なった。


 草薙は花型美の使っているボールを見て、不思議そうに尋(たず)ねた。


「鶴君の使っているボールは僕のと色違いだけど、プロショップで手に入るキャンペーン ボールじゃないか、君なら高価だけどもっと曲がるボールが手に入っただろうに」


「はい、草薙先輩の仰る通りでございます。しかしながら2人のプロにアドバイスを受けた所、プロテストの実技ではかなり悪いレーンコンディションだと聞かされ、得意のフックよりも安定したカーブの方がテストに受かりやすいと教えて頂いたので、あえてコロンビアとアローを選びました」


「フックが得意なのか、それじゃあゲームの初めだけ君のフックを見せてくれないか」

「かしこまりました」


 1ゲーム目、花形美は得意のフックを使い、草薙も負けじと鋭いカーブで応酬(おうしゅう)した。


 花形美の投球フォームは草薙と違い左足を大きくスライドさせるのでボールのスピードは2年のブランクがあったとは思えない程速かったが、親指のたこが消失してしまい、ゲームの途中からプロショップで販売されているテープを親指に張ってゲームを再開した。第3フレームに差し掛かると草薙は花形美に提案した。


「本気でプロテストを受けるんだろ」

「はい、そのような所存(しょぞん)でございます」

「腕前は大体見当が付いたから、3フレームからは僕と同じフックで投げてみて」

「はい、かしこまりました」


 花形美が投法をフックに変えると意外な事にスコアは草薙に肉薄(にくはく)して来た。(負けてなるものか)と草薙は本気で投げたが、ブランクこそあったものの花形美には2年のキャリアがあり、対する草薙は1年しかキャリアが無かった。2人

は丁度(ちょうど)良いライバル関係となった。


 2ゲーム目の第6フレーム草薙に痛恨のミスが出る。自分ではちょうどポケットに入ってストライクだと思ったのに、実際には7番ピンと10番ピンが残るスペアーが1番取りにくい配置になってしまった。7番ピンと10番が残った形はスネーク アイと呼ばれ、基本的にはスペアーを確実に取りに行く方法は無かった。


 プロの場合どちらかのピンだけを狙い、後は倒したピンのピンアクション(倒れたピンの動き)に頼るしかない。花形美も草薙がどちらかのピンだけを確実に狙うと思っていた。しかし現実は違った。


 草薙はオイルが塗られていないレーンの右端からボールが3分の1ガター(通常レーンの左右にある溝は日本ではガーターと呼ぶが正しい名称はガター)に落としたままボールがレーンを走る。そして10番ピンの右端を触りながらボールはガターに落ちて行った。10番ピンはゆっくりと倒れながら回転し、見事に7番ピンに触れ、かろうじて倒れた。


「先輩、狙ったのですか」

「そうだよ、俺だけの専売特許『明スペシャル』だ!」

「ナイス リカバリー」と花形美が叫ぶと草薙は控えめな声で答えた。


「僕の投げ方は我流、まして明スペシャルは邪道、真似して1本も倒せなかったら意味が無いじゃないか。君はエリートらしく正統派の投げ方をしな」

 この言葉を聞いて花形美は草薙を尊敬するようになった。


10ゲームも投げると2人は喉が渇いて来た。

 花形美が「先輩、お飲み物は」と尋ねると、草薙は「俺はこれがあるから良い」とリュックサックから1リットルのペットボトルに入った茶色い飲み物を見せた。


 草薙に構わず自動販売機でコーラを買って帰って来た花形美は「そのお飲み物は」と尋ねた。草薙が「インスタント コーヒーを水で溶かした物だよ。安いしブラックだから太らないしこれが丁度良い」と答えた。


「サービス業に努めるのだから、丁寧(ていねい)な言葉遣(づか)いは決して悪くは無いけど、普通に話せないのか?」

 草薙に咎(とが)められると花形美は表情を曇らせて打ち明けた。


「私は父の経営する会社に行くと、事務職の方には『お坊ちゃん』と呼ばれます。しかし現場の職人からは『つる』と呼ばれます。普通に『花形美君』とか『鶴君』とは誰も呼んでは頂けません。仕方が無いのでどなたに対しても失礼がないように丁寧な言葉遣いを心がけております。お気に障(さわ)りましたか?」


「そうだったのか、悪かった。俺も自分の事をなるべく私と言うように心がけるよ。私のような貧乏人から見れば金持ちって幸せそうに見えるけどなあ」


「皆さんから同じ事を言われます。しかし私達4人兄弟は、もし花形美モータースが経営危機に陥(おちい)ったら、自分達の資産を投じてでも父親が経営する会社を守る義務がございます。


 江戸時代から続く花型美家には会社に忠誠を誓った従業員が数百人おりますので、不景気を理由に従業員を解雇する事は出来ません。お分かり頂けますでしょうか?」


「それは知らなかった。人は極端な貧乏人も金持ちも、それぞれ違った悩みがあるんだね」

「理解して頂ければ光栄です」


 草薙は花形美の話を聞くと、金持ちに対する偏見が消えた。金持ちが代々金持ちであり続ける為には常に歴史に沿った経営を続けなくてはならない。ある面自分は貧乏人だから気楽に生きて行く事が出来る。『がんじがらめに縛(しばら)られた花型美よりよっぽど幸せでは無いか』とすら思えるようになってきた。


「さあ、身の上話はここまで、プロボウラー目指して今日20ゲーム投げよう」

「かしこまりました。容赦はいたしませんよ」

「そう来なくちゃあ」


 実際この日2人は20ゲーム投げ、アベレージは草薙が190位、花形美180位であった。ゲームが終わると2人は従業員の休憩室に設置されている1人あたり2つのロッカーのうちボウリングのボールを収納出来る小さなロッカーにボールをしまった。


 草薙が帰ろうとすると花形美から声が掛った。


「もしよろしければ、この後食事でも如何(いかが)でしょうか?」

「悪いけど、外食する程お金の余裕は無いよ」

「いえ、差し出がましいようですが私が奢(おご)ります」


「奢ってもらえるなら付き合うけれど、テーブル マナーは分らないよ」

「1階にございますラーメン店では如何でしょうか?」

「よし、その話乗った」


 2人は1階にあるラーメン店に行き、花形美の奢りで昼食を食べる事となった。

 草薙は奢りと知って躊躇無くカツ丼を、花形美はチャーハンと小盛りのラーメンを注文した。


 草薙は普段のペースでガツガツと食べたが、意外な事に花形美も草薙に負けないペースで早食いをした。

 草薙が「あれ、食事だけは普通にたべるんだ」と尋ねると花形美は「我が家の習慣で早飯早糞(はやめしはやぐそ)は三文の徳と父から教育されました」と答えた。


 意外な返事に草薙は花形美に対して親近感を抱(いだ)いた。

「そうか、日常生活は俺、いや私達と変わらないのか」

「お察しの通りでございます」

「ご馳走(ちそう)になった」


「いえ、ささやかな先輩に対する心遣(づか)いでございます」

 こうして2人は親密(しんみつ)な関係を築きプロボウラーを目指した。


 当時の男子プロボウラーテストでは実技は1日20ゲームを3日間投げアベレージが190だと合格であったが、例え1日目で20ゲームのアベレージが170位だと、その時点で不合格になる仕組みだった。


 しかもオイルが滅茶苦茶に塗られたレーンでテストが行なわれるので、ハウスレーン(自分が所属ないしよく使うボウリング場)でアベレージが200位だと受からない。2人はプロから『リーグで投げてアベレージ210位叩けないと受からない』と聞かされていたので、まだまだ訓練が必要だった。


 2人は休みが重なると必ず2レーン使ってリーグ方式で投げた。草薙はアッパーに就職してから金が無くても遊べるゲームとしてボウリング場に通い詰めたが、自力で170~180の壁を突破できた事から本気でプロボウラーを目指すようになった。


 ボウル アッパーなら普段ボウリング場の従業員として働ける上に、プロボウラーになれば賞金稼ぎが出来る。貧しい我が家を支える為には今の給料だけでは厳(きび)しい。


 一方花形美は単なるボウリング場の店員としてでは無く、トップクラスのプロボウラーになって頭でっかちだけでは無い事を証明しながら、ゆくゆくは賞金が稼げるプロボウラーになって全国のボウリング経営者とお付き合いをして、花形美モータースの顧客(顧客)を増やそうという狙いがあった。


 貧乏人と御曹司では考え方が全く異なっていた。しかし『プロボウラーを目指す』という共通認識の元、2人は切磋琢磨(せっさたくま)し競い合った。


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