第1話 姉が卵を拾ってきた
第1話 姉が卵を拾ってきた
「ただいまー! 今夜はすき焼きだよー! ……あと、卵も拾った!」
玄関のドアがドン!と勢いよく開いて、姉の山之内美沙がずかずかと入ってきた。片手にスーパーの袋、もう片方には……ダンボール箱。
なぜか妙に神妙な顔をしている。というか、妙にワクワクしている。
――あ、これ、絶対ロクなことじゃない。
「……ねえ、その箱なに?」
「見てびっくりして! いやむしろ引いて!」
「いや怖いわ」
美沙はドヤ顔で箱を開ける。中には、ふわふわの毛布と、クッション材に包まれた……卵?
しかもでかい。バスケットボールくらいある。いやほんとに。
「……え、でかくない? これ、食用じゃないよね?」
「たぶん……生物用?」
「道端で拾うもんじゃないだろ、それ!」
「いや、なんかね、帰り道の公園のベンチの下に転がってたの。最初は作り物かなって思ったけど、拾ったらピトって手に吸い付いたの。運命かなって」
「ラブコメかよ」
突っ込みながらも、なんか捨てられない雰囲気だけはあった。むしろ、箱を開けた瞬間から、この卵がこっちを見ているような、そんな感覚すらある。
「でね、拾ってからずっと、たまに“コン”って音がするの。殻の中で動いてる感じ!」
「それ、命の鼓動ってやつ……?」
「ね? そう思うよね!」
なんというか、もう流されるしかなかった。
結局ぼくたちは、急遽「卵のための保温スペース」を作ることになった。
段ボールに毛布を敷き詰めて、ペット用ヒーターを設置。加湿のために濡れタオルも添えて、湿度と温度をキープ。YouTubeで「卵 孵化 DIY」と検索したら、意外とノウハウが出てきて感心してしまった。
「この感じ……秘密結社っぽくない?」
「黙って」
3日後の朝。
パリッ。
殻が割れる音がした。ぼくは飛び起きて、姉の部屋をバンッと開ける。
「起きて! 割れた!」
「ちょ、何が? 卵!? 卵なの!?」
布団から飛び出してくる姉。二人でダンボールをのぞきこむと、白い殻がパカッと割れていて、なかから……なにかが、出てこようとしていた。
「動画、動画撮らなきゃ!」
「落ち着いて!」
しばらくして、ゆっくりと姿を見せたのは――ちっちゃな生き物だった。体長40センチくらい、茶色いウロコのような肌。まんまるの目に、小さな翼がついている。
「……ちっちゃい、ドラゴン?」
「名前、ゴンちゃんにしよ!」
「早いわ!」
ぼくたちは、その日から、ゴンちゃんとの生活を始めた。
ゴンちゃん(命名即決)は、割とすぐに部屋に慣れた。
生まれて3日目には、すでにクッションの上で寝返りをうち、5日目には冷蔵庫の前で「お腹空いた」と言わんばかりにちょこんと座って待っていた。
餌は牛乳にふやかしたペットフード的なものでスタートしたけど、どうやら肉食傾向が強いらしい。コンビニのフライドチキンとか、めっちゃ食べる。
「これ、もう完全に肉食獣だよね」
「ドラゴンだからね? 野菜嫌いなのもリアルだよね」
そして、ふたりでペットショップへ走った。ゲージやら水飲み場やら、ヒーターもグレードアップさせた。小動物用のもので代用できるとはいえ、どれもゴンちゃんには少し小さい。
「そのうち、ケージから出て“ただいま”って言ってそうだね」
「やめて、ちょっとありえそうで怖い」
帰宅後、ゴンちゃんは新しいクッションに即座に陣取り、バサバサと羽を小さく広げて満足げだった。癖になりそうな愛らしさだ。
しばらくは平和だった。
が、事件は起きた。
「へくしっ」
……の瞬間、ゴンちゃんがくしゃみをして、ティッシュが燃えた。
「ぎゃああああ! 火ぃ出たあああ!」
姉が叫ぶ。ぼくが水をぶっかける。煙が部屋に充満する。火災報知器が一歩手前で止まってくれたのが唯一の救いだった。
「火、吹いた……!」
「やばくない!? これ、ペット可ってレベルじゃないよ!」
「でも“ペット可”だから大丈夫、たぶん」
「いや、規約見直そう……」
それからは、「火を吹いたらビンタ」という超・家庭内ルールが制定された。
ゴンちゃんは一応反省したような顔をして「きゅう……」と鳴いた。かわいい。ずるい。
とはいえ、基本的にはいい子だった。
朝起きると足元で丸くなって寝てるし、帰宅したら全力で出迎えてくれる。たまに翼でバサバサ飛び回って天井に頭ぶつけるけど、すぐ反省するから憎めない。
ちなみに、火の使用は禁止だが、熱を持った吐息(セーフ)は出るので、冬はわりとあったかい。
「これ……もはや人よりマナーいいかも」
「お座りもできるし、お手も覚えたしね」
姉は「育児はセンス」とか言ってたけど、たぶんゴンちゃんが優秀なんだと思う。
ある夜。ぼくはリビングでコーヒーを飲んでいた。
テレビでは旅番組が流れていて、海辺の絶景にナレーションがかぶさる。
ふと視線を落とすと、ゴンちゃんがフローリングの上で仰向けに寝ていた。腹がぽこぽこ上下して、鼻先から湯気みたいな息が出ている。
そこへ姉が帰宅。
「ただいまー! 今日の夕飯は……なんと、唐揚げ祭り!」
「またか」
「いやもう、ゴンちゃんの食欲がすごすぎてさ……食費やばくない?」
「うん、けっこうきてる」
「でもさ……なんか、いいよね。家に帰ってきて、“ただいま”って言いたくなるの」
その言葉が妙に沁みた。ぼくは静かにうなずいた。
ゴンちゃんが来て、2週間。
誰かに言えない不思議な同居生活は、少しずつ日常になっていた。
謎は多い。正体も出どころもまったく不明。ネットで「ドラゴン 育て方」と検索しても、ファンタジー小説の感想記事ばかりヒットする。
「でも、まあ……育ってるし、いいか」
「人間の子育てもマニュアル通りにいかないしね」
姉の言葉に、ちょっとだけ感心した。
そして今日も、我が家の2DK(ペット可)には、肉と火と、ほのぼのが漂っている。
ソファではゴンちゃんがクッションを抱えて寝ていた。時々ぴくっぴくっと翼が動くのがかわいくて、スマホのアルバムはゴンちゃんの写真でいっぱいになっていく。
――2DKから始まった、ぼくと姉と、ゴンちゃんの生活。
たぶん、これからもっと騒がしくて、楽しくなる予感がしてる。
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