第二話 静寂の裂け目 03


 本校舎棟には教室がある。私たちのメインの学舎だ。他には職員室、生徒会室、保健室、図書館、パソコンルームなどがある。建物の真ん中には広い吹き抜けがあって、自然光が差し込む設計で全体的に明るい仕様になっている。


 ただ普通と違うのは、玄関ホールだと思う。昇降口近くの玄関ホールには、焔詩えんし縺詠れんえいがテーマの壁画アートがある。


 焔詩れんしは人を鼓舞したり落ち着かせる効能がある詩だ。式典でも扱われることも多い。強いていうなら俳句に似てる。


 縺詠れんえいは、縺蜜れんみつの芸術作品全般を指す。縺糸れんしの感覚を体感させられる素材、つまり布製品を扱って作るのが基本だ。私は縺蜜だから、たまに余裕がある時はかいこを育てることもある。絹製品は縺糸れんしの感覚を養うのにうってつけだからね。


 私は二年生だから、一階に教室がある。二年生は一番危うい学年だから、先生達が駆けつけやすい一階だそうだ。教室に向かう時って無意識に動いちゃうから、未だに一年生の二階に行きそうになるんだよね。佐川さがわくんがそれをやらかして、クラスで笑われてたな。一階、一階。そう胸中でつぶやいて、教室に入った。


「おはよー」

「おはよう榊さん」


 隣の席の篠森しのもりさんが挨拶を返してくれる。篠森梨央しのもりりおさんは前から同じクラスで、落ち着いた緑色のカチューシャがよく似合ってる。いつも穏やかで気を巡らさずに話せる、数少ないいい人だ。


「……榊さん」

「どうしたの」

「何か、あったの? ……顔色悪いけど」

白岐しらき先輩にも言われたんだけど、……自分じゃ良くわからなくて」

「私も白岐先輩に一票」


 篠森しのもりさんが、こんなにキッパリいうなんて珍しい。思わず首を傾げるけれど、篠森さんはますます神妙な顔でこう言い放った。


「無理しないほうがいいよ。さかきさん、無茶しがちだし」

「わ、わかった……今日は、ゆっくりする」


 篠森しのもりさんの切実な視線に気圧されて頷くと、篠森さんは満足そうに椅子に座り直した。少しびっくりしたけれど、縺糸れんしは少しピリッとしただけだ。


「みんなおはよ〜」


 ガラガラっと入り口の戸の音と一緒に、女子アナっぽい声が聞こえた。あ、きた。わかっていたことだけど、ううん、だからこそ――ゲンナリした。


 教室の空気がピシッと固まる。あーあーまた来やがったって、みんなの背中が語り始めて、自分の席に着席していく。私の背中にも、同じ文字が刻まれていることは想像に難くない。そんな雰囲気には気づくことなく、担任桐生一花きりゅういちかが教壇の前に立つ。私の風華ふうかって名前と、一花って名前の音が似ているのも本当に嫌だ。


 私は体育館で担任発表があった時のことを思い出した。みんな二列に並んで、担任は誰になるだろうってそわそわしてた。


 だけど発表された瞬間――万年二年担当の薄ミルクかよって感じで、みんなの肩が一気に落ちたことは、脳裏にしっかり刻まれている。薄ミルクっていうのは、中身が薄いことと、よく白スーツを着ていることから来る、桐生先生のあだ名だ。でも桐生先生が全く役に立たないからこそ、クラスの結束が固まりそうなのは皮肉でしかないと思う。


「起立、礼」

「おはようございます」

「着席」


 日直の号令で、今日も先生の空回りSHRショートホームルームが始まった。


       *


 午前中の授業が終わり、今はランチタイムだ。お昼時間は十二時三十分から始まる。みんな好きな場所で食べる感じだ。お弁当の人もいるし、学食を食べる人もいるし、購買で何か買う人もいる。


「ただいま」


 私は寮の個室で呟く。部屋の入り口からはシングルベット、勉強机と本棚が見える。だけど、それだけじゃない。この縺蜜仕様の部屋には、ユニットバスと小型キッチン、小さめの洗濯乾燥機もある。そう――ここは立派なワンルーム。


 私たち縺蜜れんみつは、どうしても人の気配に敏感だから、個室を与えてもらってる。だけど、一番重要なのはそこじゃない。ベッドの近くには緊急コールパネルと焔感知アラート装置が壁に埋め込まれてる。緊急コールの方は押して使うやつで、アラート装置は、私の縺糸れんしが乱れると色が変わって警告してくれるやつだ。今の所は正常値で、私はこれで体調管理してる 。


 ……別に色は変わってないのに、なんでみんな体調悪そうって言ったんだろう? 不思議だね。


 私は寮に戻って食べることも多い。他の人の焔気や縁象を感じることなく過ごすための、縁因子えんいんし感知シールドが展開されているから。とっても楽なんだよね。焔気えんきは生命エネルギーの総称だけど、縁象えんしょうは負の感情、ストレス、人との関係性、幽霊っていう実体を持たないものを指す。私たち縺蜜はそれにすごく敏感だから、こういう不調の時は寮でご飯を食べた方が楽なのだ。


 今日のお昼は玄米パンに具沢山ミネストローネとヨーグルトだ。これは購買部で買ってきたもので、学校のブランドの美味しいやつ。彩翼高等学院さいよくこうとうがくいんは系列大学の彩翼さいよく大学と縁が深いから、大学の食物栄養学科が監修しているブランドのパンが、購買で売られている。


「おいし、ホッとするなこの味」


 こんなふうに呟いても、縺糸れんしが反応することはなくて、この静寂が愛おしく感じる。こんな日常がずっと続いてほしいな。


「ちょっと横になろうかな」


 お腹が落ち着いてから、ずっと一緒にいるぬいぐるみのリリにそう言ってみる。いつから一緒だったのか思い出せないくらいの、一番の友達だ。猫とうさぎが混じったみたいな真っ白な子で、時々抱きしめて眠ることもある。


 リリをずっと見つめると、縺糸れんしがほんわかした。まるで太陽の光にさらされたみたいに。風華は頑張りすぎだよ。そんな声がリリから聞こえた気がして、私は苦笑して横になった。


       *


 うーんよく寝たー


 両腕を伸ばして、ふっと起き上がる。まだちょっと眠いけれど、前より縺糸れんしの疼きが和らいだ気がする。私はふいにリリに目を向けると、その横にあるデジタル時計に目が向いた。もう四時間目まで十分しかない。


「や、やっちゃった。間に合うかな?」


 次の授業は移動教室じゃないからギリギリ間に合いそうだけど、大丈夫かな? 私はしっかり施錠して、カバンも忘れずに本校舎棟へ急ぐことにした。

 私は街路樹に沿って進む。小走りで急いでいると、道がコンクリートからレンガになったことに安堵して、ふっと足を緩めた。


 やっと前をみる余裕ができて、視線を向けると、どこか雰囲気が緊迫していた。 物々しい雰囲気を校舎全体から感じて、思わず立ち止まってしまう。


「え、なにこれ……」


 喉がつかえて、胃の辺りもなんだか……何かが詰まったとかじゃない。胃そのものが何かを吸収したみたいに重い。


 何より――縺糸れんしの疼きがひどい。

 こんなにひどいの、いつぶりだろう。


 私がなんとか足を動かして校舎に向かおうとするけれど、足が全くそちらには動かなかった。


「どうして……何か、あるのかな?」


 こういった時は、無理しちゃダメだ。

 ちょっとゆっくり休憩したい。

 ここからだと……どこがいいかな。

 私があたりを見渡していると、ふと遠くに古びた建物が視界の片隅に入った。

 そう――旧校舎だ。


「誰もいないし、いいよね?」


 私の呟きに応答があるわけないけれど、それでも縺糸れんしの疼きは和らいだ。

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