EP34 華やかさと孤高さ

 佐山くんに先導されて泉の広場から集合場所へ戻ると、まずは担任へ、続いてクラスの面々へ――謝罪行脚。頭を下げるたび、靴音が響き、視界の端で何人もの眉がほどけていく。


「無事でよかった」

「心配したよ〜」

「連絡つかないから焦ったよ」


 叱責よりも、安堵の声が多い。

 真夏の人徳か、日頃の行いか。取り巻き三人衆は半泣きで真夏に抱きつき、「よかった、無事でよかった」と口々に言った。

 

 私もその横で「すみませんでした」と頭を下げ、形式的に笑うが、胸の奥のもやは、そこだけ天気が別の場所みたいに残る。


 ――もし、私だけが迷ったのだとしたら、同じ温度で心配されたのだろうか。


 ――そもそも、その場合でも佐山くんは私を探しに来ただろうか。


 益体もない問いが、自走する。

 自分でもらしくないと思う。噴水の飛沫みたいに、一瞬で蒸発してくれればいいのに。


「はいはい、ふたりとも無事ね。次からは連絡の取れる誰かと一緒に動くこと」


 担任がメモ板をぱたんと閉じ、点呼表に丸をつける。その声が、頭の中の雑音を一本の線に束ねてくれた。


 ――切り替える。ここで絡まってどうする。午後には約束が、そして夜には勝負があるのだから。


 そして全員が揃った一向は昼食会場へ向けて動き出す。梅田の地上へ上がる長いエスカレーター。吹き抜けから落ちる冷気、エアコンの風と人いきれが交錯する。


「ごめんね、葵ちゃん。巻き込んじゃって」


 横に並んだ真夏が、小さく囁く。


「……大丈夫です。次は、もう少し計画的に動きましょう」


「うん。ありがと」


 素直な返事。私のなかの硬い部分が、ほんの少しだけ解ける。


「葵さん~~! 聖典祭、最高でしたぁぁ!」


 背後から、紙袋を抱えたひよりが半ば滑走して合流した。袋の口から覗く厚い本の背表紙は、見なかったことにする。


「……走らないでください。転びます」


「はぁい。ところでお二人、ご無事で何よりです。迷子のお姫さま救出劇、官能的――いえ、感動的でした」


「どこでその情報を」


「取り巻きの方々が、早口で……」


 ひよりの過剰な呼吸が落ち着く頃、私たちはビルのレストランフロアへ。学校手配の昼食券が配られ、各自、提携店の中から選ぶ流れらしい。

 

 お好み焼き、うどん、どんぶり、カレー。鉄板の匂いが空腹に鋭く刺さる。列は自然とお好み焼き店の前でふくらみ、ソースの湯気が頬を撫でていく。


「こっち、座れるよー!」


 取り巻きのひとりが手を振り、四人がけテーブルをふたつ確保する。真夏はそちらへ向かい、途中で一度だけ振り返って私と目を合わせた。

 

 目線の意味は、わかっている。


 ――一緒に座る?


 私も目線で遠慮しておく旨を返すと、少し離れた二人席にひよりと腰を下ろす。

 

 鉄板の端でじゅうと音が続き、店員の号令と客の笑い声が層をなす。テーブルに置かれた水のグラスに、天井の照明が丸く沈んでいた。


「さっきの、佐山くん……かっこよかったそうですね」


 ひよりがストローをくるくる回す。私は水をひと口。


「……仕事は早かったですね」


 本当はそれだけではない。かっこよかったというのもあながち間違いではないのだ。

 でも、彼に揶揄われた悔しさもあり、素直に彼の功績を認められないのだ。


「ぐふふふ、素直じゃない葵さんもまた、素敵ですねで」


「……うるさいです」


 そっぽを向きながら、小さくそう返すことしかできなかった。



     * * *



「お待たせしましたー。豚玉ハーフ、モダンハーフ、ねぎ焼きでーす」


 程なくして、料理が運ばれてきた。


 鉄板に置かれたお好み焼きから、湯気がふわりと立ちのぼる。木べらで一口大に切り分け、熱を逃がしてから口へ。

 

 外は香ばしく、中はとろり。キャベツの甘さがソースの酸味で輪郭を得る。


 私はふと、視線を感じて顔を上げた。店の入口付近――佐山くん。彼は私と一瞬だけ目を合わせ、すぐ視線を逸らした。

 

 いつもの、何でもない仕草。なのに、胸の奥で何かがわずかに鳴る。私は木べらを皿に置き、水で音を流す。


「午後はどうするんですか?」


 ひよりが小声で訊く。


「……そういえば話していませんでしたね。実は――」

 

 そして、今朝の顛末をひよりへ話す。


「そ、そ、それってまさか――だ、ダブルデートという官能イベントじゃないですか!?」

 

「……デートではないです。そもそも何が官能イベントなんですか」

 

「2人ずつの男女が行動を共にする――これをダブルデートと言わないわけがないじゃないですか! 少なくとも佐山さんはそう思っているに違いないです!」


 ひよりが自信満々といった様相で熱く語る。

 

 ……デート。

 

 たしかに構図だけ見ればそうなのかもしれない。

 でも実際は、色々な思惑が絡み合った結果生まれた、行動を共にするための時間……のはず。


 心のもやは、完全には晴れない。

 

 それでも――

 

 私は木べらをもう一度握り、鉄板から小さな一切れを口へ運んだ。熱と香りが、思考の棘を鈍くしてくれるように感じた。



     * * *



 クラスごとの昼食が終わり、解散の合図が出た瞬間、空気が少し軽くなった。

 

 午後は行動エリアも時間も大きく広がる。二見くんの段取りでは、まずは美島さんと合流、と言い含められていたので、彼女のクラスが集まっている柱の方へ向かった。

 

「鷹宮さん! わざわざ来てくれたんだ、ありがとう!」


 先に彼女の方から駆けてくる。巻きの甘いアッシュブラウンが肩先でばさりと波打ち、光沢のあるピアスが小さく跳ねる。

 

 香水は柑橘がトップ、後ろからほんのり白い花。

 

 近づくほどに、真夏と同列のだと改めて思わされる。

 

 ただ、質が違う。

 

 真夏の武器が清楚と愛嬌なら、美島さんの輪郭は華やかさと、少しの孤高さ。取り巻きはつくらないのに、輪の中心を容易に奪うタイプ。


 周囲の視線が、きょとんとした興味と『え、一緒にいるの誰?』――という怪訝の間を泳いでいるのが、肌に刺さる。

 

 私は軽い会釈と共に言葉を投げる。


「いえ、今日はよろしくお願いします」


「よろしくね! んじゃ、翔くんたちのとこ行こっか」

 

 踵を返した彼女の歩幅は速い。

 身長が高いというのはもちろんあるが、おそらく早く二見くんに会いたいという思いの現れだろう。

 

「そういやさ、鷹宮さんっていつから佐山のこと知ってたの?」


 歩きながらの問い。私は視線だけ前に固定したまま返す。


「……存在という意味であれば一年生の時から。二見くんと、セットで語られることが多かったので」


「あー、あったね、そういうの。腰巾着だの小判鮫だの……酷いのは窓口くんとか」


「聴いていて気分のいいものでは、ありませんでした」


「だよね。まあ、あたしが翔くんと付き合いはじめてからは減ったって聞いたし、佐山はあたしに感謝してほしいわよね」


 ニヤリと片口角で笑う。

 表情の作り方が、どこか二見くんに似ている。

 

 似る、のではなく、呼応して磨き合った笑い。互いの輪郭が似るほどに寄り添っているのだろう――そんな推測が、妙に腑に落ちた。

 

 それから人混みが切れ、向こうに二見くんと佐山くんの背中が見える。

 

 午後の自由時間が、静かに幕を開けた。

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