EP15 重みの理由

 ふと、体にのしかかる重みを感じて、意識が浮上した。

 目を開けると――そこには佐山くん。私に馬乗りになる形で、息を荒げていた。


 暗がりの中でもわかる。額に浮かぶ汗、硬く噛み締められた唇。理性と本能がせめぎ合う、その表情。

 

 を見た瞬間、胸の奥でなにかが弾けた。まるで誰かがスイッチを押したみたいに、私の身体は熱を帯びる。


「どうしましたか? もしかして……夜這いですか?」


 わざと囁くように問いかけると、彼はびくりと肩を震わせた。


「っ……! お前が……っ! そうやって……っ!」


 今にも堤防を決壊させそうな、危うい声。煽れば確実に理性が崩れ去る――そのことがひしひしと伝わってきた。


 ……それでも。


 私は、その瞬間が見たかった。彼の感情が剥き出しになるところを、この目で確かめたかった。


「私が……なんですか? 我慢できなくなっちゃいましたか?」


「あ、当たり前……だろ……っ! 俺がどれだけ我慢して……っ!」


 必死に言葉を紡ぐ彼の姿が、どうしようもなく可愛らしくて。私はさらに胸の奥が熱に支配されていく。


 だから――こう言ってあげた。


「……いいですよ」


「……え?」


「我慢なんて、しなくていいんですよ」


 その一言は、彼のなけなしの理性を刈り取る魔法だった。


 あぁ……この獣のような目。

 

 これこそが、私が見たかったもの。

 私が彼を獣に変えた――その事実が、途方もなく甘美に思える。


 鎖がちぎれたように、佐山くんが私に覆いかぶさる。視界が闇に呑み込まれていく――。


 そして世界は暗転した。



     * * *



 目が覚めると――まず感じたものは重さだった。

 

 …………?

 

 視界を上げれば、私の体の上に右隣で寝ていたはずの真夏と、さらにその反対側――左側で寝ていたはずのひよりまでもがのしかかっていた。


 ……真夏はともかく、ひよりも寝相悪い勢の一味だったのか。

 

 思わず心の中で嘆息が漏れる。


 なんて夢を見たんだろう。まるで欲求不満そのものじゃないか。胸の奥に、まだじんわりと甘い痺れが残っている。


 ふと窓の方へ目をやると、空はまだうっすらと白み始めたばかり。夜明け前の中途半端な時間に起こされてしまったことが、甘美な夢を邪魔された苛立ちと重なり、さらに不機嫌を募らせる。


「……どいてください」


 ぼそりと呟き、真夏とひよりをやや乱暴に引き剥がす。上半身を起こすと、真夏は熟睡したまま規則正しい寝息を立てていたが――ひよりの方は違った。


「ふぎゅ!」


 妙な声を上げて、目を白黒させながら起き上がる。


「あ、あれ? 葵さん? な、なんで……?」


 まだ寝ぼけている様子だ。


「……今は修学旅行ですよ」


「しゅーがく……りょこー……はっ! そうだった!!」


 突然目を見開いたかと思うと、さらに焦ったように声をあげる。


「そ、そうだ、お風呂!! 私、お風呂入らないと!!」


 そういえば――昨日の夜、ひよりは結局大浴場へ行かず仕舞いだったのか。


 そんなこと寝起きの回らない頭で考えていた私に、ひよりはおずおずと視線を寄越す。


「あ、あのぅ……よろしければ、葵さんも一緒に……」


「なんか昨日、矜持がどうこうとか言ってませんでしたっけ?」


「そ、それは……そのぅ……陽の方たちと同じ釜の湯に入るのが、怖かったというか……なんというか……」


 なるほど。そういうわけだったのか。彼女の言い訳は、少ししょんぼりしていて、妙に子犬みたいだった。


 チラチラとこちらを伺うようなその目に、昨日の『性と愛の伝道師』の顔は見当たらない。

 

 ――まぁ、一応、昨日は恩もある。


「いいですよ。いきましょうか」


「あ、ありがとうございますぅぅ! 神様仏様葵様!!」


「はいはい。たかがお風呂に行くくらいで大袈裟ですね」


 呆れつつも、肩をすくめて立ち上がる。

 そうして私とひよりは、まだ寝静まる部屋をそっと抜け出し、大浴場へと向かうのだった。



     * * *



 脱衣かごに服を畳んで入れていくと、すぐ隣でひよりが小さく震える声を上げた。


「あ、あ、あの、粗末なものをお見せしてしまい、申し訳ないですぅ……」


 彼女はタオルを胸の前にぎゅっと抱きしめて、まるで裸身そのものが罪悪であるかのように縮こまっている。


 けれど、隠そうとしても――隠すべき自体がそこにはない。

 胸はほとんど平面で、肋骨の起伏すら見えてしまう。お尻もほっそりしていて、布を脱いだ今の方がむしろ儚さを際立たせているほど。


 ……ここまで脂肪がないと、むしろ芸術的ですらある。

 ただ、同時に『折れてしまいそうだな』と思ってしまうのも事実で。


「……あの、ちゃんとご飯食べてます?」


「た、食べてるよぉ! で、でも太らなくて……」


「……色々な人を敵に回すと思うので、発言には気をつけた方がいいですよ」


「えっ!? な、なぜっ!?」


 しょんぼりしながらも、気まずそうに肩をすくめる。

 そんなやり取りをしてから掛け湯を済ませ、湯船へと身を沈める。


「はぁ……生き返るぅぅ……」


 ひよりが背中を反らせて声を漏らした瞬間、濡れた鎖骨から胸元へ、しずくがつーっと伝った。細い体だからこそ、その一筋の水がいやに艶めかしい。


「ここで、葵さんにあんなことやこんなことが、むふふふふふ……」


「わざわざ蒸し返さなくていいんです」


「いやいや、胸に刻んでこそ、後の糧に……」


「遠慮しておきます」


「強情な葵さんもまた、むふふ」


 そう言いながら、ぴとりと隣に擦り寄ってくる。お湯の中でひよりの肩や足がやけに密着してきて、体温なのか湯気なのかわからなくなる。


「……あの、不躾ながら葵さんにお願いが……」


「…………嫌です」


「ま、まだ何も言ってないのに!」

 

 そう言われても、嫌な予感しかしないのだから仕方がない。


「……どうせ変なお願いでしょう?」


「そんなぁ! 私のことをなんだと思ってるんですか!」


 思い切り抗議しながらも、ひよりは目を泳がせて、結局こう言った。


「わ、私はただ……その立派なたわわのご利益を賜るべく……揉みしだかせていただければと……!」


 顔まで真っ赤に染め、指先をもじもじさせながら。


「……論外です」


「そ、そんなぁ〜〜っ!」


 ひよりの情けない悲鳴が、朝の大浴場に高らかに反響した。

 その声に、つい口元が緩んでしまうのは、きっと彼女の人の良さがなせる技なんだろう――そう思うのだった。

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