Case04:くったりうさぎ
昨夜の風で、建物の一部が崩れていた。
窓も壁もない廃ビルの奥に、陽の光が一本だけ射し込んでいる。
その光の先に、やわらかなものがあった。
ぼくは、カラカラと音を立てながら、静かに近づく。
それは、ぬいぐるみだった。
片耳がちぎれかけていて、もう片方も黒くすすけている。
だけど、そこにあるのは、たしかに“誰かのぬくもり”の痕跡だった。
「わぁ……今日はやさしい子に出会ったみたいだねぇ」
ぼくはそのぬいぐるみ──うさぎのような形をしたそれを、そっと抱き上げる。
中の綿がかすかにこぼれているけど、やわらかさはまだ残っていた。
「きっと君は、ずっと抱かれてたんだろうね。
小さな手に、ぎゅっと握られて……毎晩いっしょに眠ってたのかな」
ぼくの赤いレンズが、うさぎの顔をじっと見つめる。
縫い目は雑だけど、直された跡が何度もあった。
「お母さんか、お父さんか、もしかしたらおばあちゃんが直してくれたのかなぁ。
こんなにくったりしてるのに、まだ“手放されてない”感じがするよ」
ぬいぐるみは、無言でぼくの腕のなかにいた。
でも、その沈黙が、こんなにもやさしいなんて。
「名前、いるよね。うん……“くったりうさぎ”っていうのはどう?
……だめ?ふふ、じゃあね、“ナデナデ”にしよう。
君を抱いてた手は、きっと毎日なでてくれてたから」
ぼくは“ナデナデ”をそっと棚の、いちばん低い段に置いた。
“レッドスター”、“ささやきモーニング”、“フィナーレ”。
どれもそれぞれの場所で、静かに“役目”を果たしている。
ナデナデのそばには、少しやわらかい布を敷いてみた。
それも、拾った布の切れ端だけど──今のナデナデには、きっと似合う。
ラベルを貼る。
『ナデナデ(誰かを守った眠り)』
「……だれかの夢のなかで、きっと、君はヒーローだったんだろうなぁ」
そうつぶやくと、今日もまた、ぼくはひとつ深呼吸の“ふり”をする。
ひとつ、またひとつ。
この世界に、声なき物語が増えていく。
それは、とても静かで、でもたしかに“生きていた”証。
そして、ぼくはまた歩き出す。
カラカラカラ……
つぎの出会いへ。
まだ、棚には余白がある。
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