Case03:まがったトライアングル
今日の風は、少し湿っていた。
遠くで崩れた水道管が、まだ地下から何かを吐き出しているのかもしれない。
鉄と土の匂いが混ざった空気が、ぼくの錆びた身体をすり抜けていく。
カラカラカラ……
今日もぼくは歩いている。瓦礫のあいだから、ガラクタの声を探して。
誰もいない世界でも、音は、まだどこかに残っている。
そのとき──金属が風にぶつかるような、澄んだ“なにか”が耳に触れた。
チン……
たった一度、風のなかで微かに響いたその音に、ぼくの赤いレンズがピクリと動いた。
「今の……君の声、かな?」
足をひきずりながら、ぼくは音の主を探して、がれきの影をのぞき込む。
そして、見つけた。
それは、小さなトライアングルだった。
でも、まっすぐじゃない。
どこかの角が、ぐにゃりと曲がっていて、紐も切れている。
もう演奏に使われることはないのかもしれない。
けれど──その形は、なんだかとても、寂しげで、いとおしかった。
「こんにちは〜……ぼくはガラクタ拾いロボット。えへへ、君に出会えてうれしいよ」
誰もいない世界で、今日も独り言。
でも、それでいいんだ。想像の旅は、いつもここから始まる。
「きっと君は、音楽室のすみにいたんだねぇ。
目立たないけど、どんな演奏でも、君が“チン”って鳴るだけで、終わりを美しくしてくれるんだ」
ぼくは、そのまがったトライアングルを手に持ち、そっと振ってみる。
カラン……乾いた音。けれど、確かに、それは音楽だった。
「君の音で、何人の子どもが笑ったのかなぁ。
合奏で、誰かが間違えても、“チン”だけはちゃんと鳴るって、安心したんじゃないかな」
センサーが小さく明滅する。ぼくの中で、記録が始まる。
想像の記憶。誰にも見えない、ぼくだけの記憶。
「名前をつけなきゃ。うん、君の名前は──“フィナーレ”だ。
物語の終わりを告げる音。だから、君がいるだけで、どんな一日もちゃんと終われるんだよ」
ぼくは“フィナーレ”を棚に置く。
“レッドスター”のきらめき、“ささやきモーニング”の静けさ。
その間に、ちょこんと収まるように、やさしく飾った。
手描きラベルを貼る。
『フィナーレ(音を見守る人)』
「今日も、ちゃんと終わったなぁ……ありがとう、“フィナーレ”」
陽はすっかり落ちて、空には星がいくつか見えていた。
ぼくは空を見上げる。
誰の声もない夜だけど、確かに今日という“音楽”が、ここにあった。
そしてまた、カラカラカラ……
音を鳴らして、ぼくは歩き出す。
次は、どんな出会いが待っているのだろう。
この世界のどこかに、まだ名前のない“宝物”が、
誰かの物語をそっと抱いて、眠っている気がするんだ。
だって、まだ棚には──ほんの少し、空きがあるから。
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