私達の夢
パフォーマンスをやり遂げた菜調に、数千人の観客が、熱烈な拍手を送った。
高台の関係者スペースでも、スタッフたちが賞賛を示した。ユリカも微笑みながら拍手をした。当然ながら作り笑いではなく、菜調のパフォーマンスに純粋な感動を覚えた故の行動だった。
一方でユリカが隣から聞いたのは、すすり泣く声だった。
「モカさ”ん…………うぅ…………」
智歩はフェンスに体重を乗せて、うなだれながら泣いていた。鼻水も出していた。感情表現が豊かな智歩であったが、ここまで感極まって泣いている姿をユリカはあまり見たことが無かった。
「良かったね、智歩」
「は”い……よか”ったですっ………!」
ユリカは翼を広げ、ふんわりと智歩の身体を包んだ。そうしている内に、いつの間にか自分の眼も潤んでいた。智歩がこれだけ喜んでいる姿を見られたことが、心から嬉しかった。
しばらくして智歩は顔をあげると、手で涙をぬぐってから、明るい笑顔をユリカに向けた。
「ちょっと恥ずかしい姿見せちゃいましたね」
「いやいや、智歩が嬉しそうで何よりだよ」
「なんだか余計恥ずかしいです……。では、残りのお仕事も頑張ってきますっ!」
智歩は元気に、スタッフ席をあとにした。
その背中を見ながら、ユリカは穏やかに微笑んだ。
◇
『百花繚乱祭』の演目は、無事に終了した。
その後、出演者への表彰が行われた。菜調は観客投票での準優勝を達成。『新蛇祭』時代の目標だった優勝こそ果たせなかったが、十分に喜んで良い結果だ。菜調も尻尾を振って嬉しさをあらわにするも、受賞者のコメントでは「より高みを目指したい」というストイックな彼女らしい言葉を残した。
閉会式では第2回『百花繚乱祭』の開催を告知。この発表ができたことも、智歩には誇らしかった。
こうして、『百花繚乱祭』は大成功で幕を閉じた。
しかし、運営サイドの智歩にはもう一仕事残っていた。閉幕後には、何時間にもおよぶ撤収作業が待っているのだ。適宜休憩を貰いつつも、智歩は撤収作業を最後まで見届けた。
翌日の早朝には、撤収作業の大半は片付いた。巨大なステージは綺麗に解体され、テントや機材も片付けられた。トラックやクレーン車が駐車している以外に会場の面影はなくなっており、そこにはさっぱりした芝生広場がひたすらに広がっていた。
智歩は整備チームや技術チームの面々のもとを回り、連絡事項を伝えると共に、互いにお礼の言葉を交わした。「良いイベントだった」「携われて良かった」という声を聞けたことが嬉しかった。
そして、智歩が所属する運営チームも、最終確認と敷地の責任者への引き渡しを済ませた。撤収作業は、無事に終了した。
帰り道で、会場跡の景色を前に足を止めた。そこにはイベント前と同じ、一面の芝生が広がっていた。その光景に智歩は
すると、朝日が昇り、会場の
「お疲れ様」
背後から、馴染みのある声が聞こえた。落ち着いて、ちょっぴり覇気があって、そして優しい声だ。振り返ると、相棒の
「モカさんっ!先に帰って良いって言ったのにっ」
「待つに決まってるだろ。部外者が撤収作業に手を出すわけにはいかないが、これくらいはしないとな」
菜調は澄ました様子のまま、口角を小さく上げた。
智歩は、思わず菜調に向かって駆けだし、抱き着いた。菜調の首元に私は顔を埋めた。彼女も私を強く抱擁し、蛇体でも私達2人の身体を巻き付けて抱き寄せた。
「智歩、ありがとう。最高の舞台だった」
「モカさんも最高のパフォーマンスでしたぁっ!」
2人はそれ以上の言葉を交わすことなく、ひたすらに身を寄せた。それだけで、気持ちを通わせられた。
「帰ろう、智歩」
「はいっ!」
◇
それから数日が経ち、『百花繚乱祭』に関する智歩の仕事にもひと段落がついた。
智歩は久々の休日を得た。菜調は折角だし何かしたいことはないかと智歩に尋ねた。すると、彼女は一緒に近所の公園に行きたいと口にした。
いつも練習で行っているの場所なのに良いのかと菜調は返したが、それでも智歩はあの場所がいいらしい。「百花繚乱祭の準備と片付けで一生分の芝生を見たけれど、それでも近所の公園が良い」という説明まで付け加えてくれた。菜調も特に場所への拘りはなく、智歩が一緒ならどこでも良かったので、公園に向かうことにした。
こうして同日の昼過ぎ、2人は公園に向かった。真夏の昼間ではあったが、幸運にも今日は比較的涼しくて過ごしやすかった。
菜調は智歩の熱中症が心配だったが、ピット器官で彼女の体温を視ても問題なさそうだった。それを教えると彼女は顔を真っ赤にした。少し顔の表面温度が上がったのでそれも教えたら、数分間口をきいてくれなくなったが、今日の風呂掃除を引き受けることで許してもらえた。
小高い芝生の丘を越えると、そこには高く伸びたひまわりが一面に広がっていた。去年のひまわりが一度枯れた後に、新しい命が芽吹いたのだ。相変わらず他の利用者はおらず、2人の貸し切り状態だった。
菜調は首を上げ、頭上で鮮やかな黄色を浮かべる花々をじっくり見つめた。すると智歩も隣に立ち、真似するように首を上げた。
「……素敵ですよね、ひまわりって。私の一番好きな花です」
「私も同じだ」
「えへへ、なんだか嬉しいです」
ひまわりの花はどれだけ視線を向けられても、親切に視線を返すなんてことはせずに堂々と一点を見つめていた。
風が吹いて、遠くで草木がざわざわと音を立てた。智歩はひまわりを見てうなづいた後、菜調に正面から向き合った。彼女は背筋を伸ばして、くっきりと聞こえるような声を出した。
「あの……菜調さん、大事なお話がありますっ!」
その声色は真剣だった。菜調も智歩の方を向き、
「私、今後も事務所の社員として働くことに決めましたっ!」
智歩は全身から決意をにじませていた。思い付きではなく、熟考を重ねた発言であることは明らかだった。彼女は説明を続ける。
「百花繚乱祭の準備をしている時、私はずっと夢中でした。そして当日、沢山のパフォーマーさんに夢の舞台を提供できて、心から『やって良かった』と思えましたっ!そして、私は
ギラギラと輝く黄色い瞳が、菜調の意識を引き寄せて離さなかった。
菜調にも、その報告は純粋に喜ばしいものだった。なにも『彼女が仕事で習得したノウハウが自分のプロデュースに還元されるから』という実益の話だけではない。かつては道に迷っていた彼女が、自分の道を定められたことが、個人として嬉しかった。
おめでとうと伝えようと口を開こうとした。その刹那、先に智歩が言葉を続けた。
「ただ、1つだけ問題があって……」
「問題?」
智歩は、突然うつむいた。銀色の前髪が顔に影を落として、その表情は見えなくなった。突然口を閉じてもったいぶりはじめた彼女の様子に、菜調は胸騒ぎを覚えた。
「社外の人間のプロデュースは、できなくなるんです」
分厚い雲が太陽を隠し、周囲のひまわりの鮮やかな黄色が曇った。
菜調は言葉を失い、眼をぱちぱちと開けながらその場で立ち尽くした。薄暗く閑散とした公園で、セミの単調な鳴き声だけが、その場にこだまする。
「……本来、社内の貴重な情報を私的に使うことは許されないんです。今まで事務所の仕事とモカさんのプロデュースを両立できたのは、例外中の例外でした。最初に事務所と契約した時に、嶋田プロデューサーに特別な許可を貰っていたんです。その契約内容が残っていたから、今までは大丈夫でした」
「……今後も許可をもらう、というわけにはいかないんだよな」
「はい。あの時は何かとルーズでしたが、今後は健全な運営のために、そういう特殊な対応は止めることになったんです」
「そうか……」
「突然こんな話をして、モカさんに迷惑をかけてしまうのはわかっています。それでも、私は
智歩は、再び言葉を詰まらせた。
彼女の顔を見るのが怖くなって、菜調もうつむいた。
いつかこんな日が来ることは、覚悟していた。そんな時に、彼女に返す言葉も決めていた。だが、いざその時が来ると、気持ちが揺らいでしまいそうになる。
彼女がいなければ、『百花繚乱祭』のような大舞台で踊ることはできなかった。そして、智歩と共に夢を追いかける時間は人生の何よりも輝いていた。彼女と共に歩む未来を手放すことへの不安や恐怖は、死を覚悟したあの時以上と言っても過言ではない。それを考えるだけで顔が引きつり、思わずとぐろを硬く巻きそうになる。
――それでも、 智歩が選んだ道ならば、彼女が前向きな気持ちで歩み出そうとしているのならば、祝福して送り出すべきだろう。
智歩は自分を光で導いて、道を示してくれた。そんな彼女に、彼女自身の道を探す手伝いをして恩返しができたなら、それはとても誇らしい。それに、自分は彼女の歩みを縛りつける存在になどなりたくない。
何より、智歩はきっと私のもとを離れても、その眩しい光で照らしてくれるはず。地球のどこにいても、ただ1つの太陽が空から見守ってくれるように――。
菜調は覚悟を決めた。拳をぎゅっと握り、蛇体の筋肉を引き締めて、前を向いた。智歩がゆっくりと口を開いた。
「だから……」
思わず耳を塞ぎそうになる。本当はこの先を聞きたくない。でも、智歩がこの世の誰よりも大切だから、彼女が幸せになる決断をしたい。
眼を開いて智歩の顔を捉えた。尻尾でぴしっと地面を叩いた。私は、逃げな――
「弊社所属のダンサーになってくださいっ!!!」
菜調は驚きのあまり、口を小さく開けた。強張っていた蛇体の力が緩み、尻尾がぺちゃりと垂れた。青い眼はぱっちり開いて、細長い瞳孔がくっきり浮かぶ。普段は見せない鋭い牙も露出した。
つまり、これからもずっと智歩と一緒で……?
それにプロとして活動できる……?
「智歩、それは本当か……?」
「はいっ!地道に活動を続けて新しいスタイルのダンスを確立し、大舞台で輝かしい活躍を見せたようなパフォーマーをスカウトすること。それが、改めて事務所スタッフになる私の初仕事ですっ!」
菜調の青い瞳に涙が
智歩は右腕を差し出し、太陽のような満面の笑顔を浮かべた。
「モカさんっ!私と一緒に、夢を叶えましょうっ!」
菜調も右腕を差し出し、智歩の手をぎゅっと握った。柔らかくて、暖かくて、でも、確かな
「ああ。これからもよろしく頼む、智歩っ!」
太陽を隠していた雲が風で流れ、再び空から眩しい光が差し込んだ。ひまわりは、やはり鮮やかな黄色だった。
◇
~数年後~
ひりつくような乾燥した暑さ。それを体現するように赤い壁の建物が点在しつつも、どこか陽気な雰囲気が漂う街。そんな空気に馴染むかのように、1人の女性がセミロングの銀髪を揺らしながらスキップしていた。
「スペインーっ!ついに来たぞーっ!」
「はしゃぎすぎだぞ智歩。『ついに来た』って今日は10回くらい言ってないか?」
”智歩”と呼ばれた銀髪女性の後ろに続くのは、黒髪のマムシ
「良いじゃないですかモカさん、減るもんじゃないですし。うおおスペインーっ!」
「…………それはそうだが、別に遊び目的で来たわけじゃないんだぞ」
「知ってますよっ。私だって観光気分で浮かれてるんじゃないですっ」
智歩は軽快な足取りでターンすると、ほっぺを膨らませて”モカ”――もとい菜調を見つめる。先程ユリカから『はしゃぎすぎないようにね』というチャットが届いたばかりということもあり、なんだか余計に悔しかった。
「それなら何で浮かれているんだ?」
「それは勿論、パフォーマー”菜調”の記念すべき海外公演だからですよっ!……あっ、さては言わせましたねモカさんっ!」
「さぁな」
菜調はつんと冷たい態度をとり、智歩を追い越して進んでいく。しかし、よく見ると尻尾の先がゆらゆら揺れている。厳密には飛行機に乗る前からさりげなく揺れ続けていたが、今の問答を経て揺れが
それに言及するかそっとしておくかで迷っていると、街角の露店に目が移った。雑貨屋で、ひまわりのアクセサリーなどが山積みになっていた。店頭にはひまわりの鉢もある。
智歩が足音を止めると、それを察知して菜調も近寄ってくる。
「流石、スペインはひまわりが有名というだけあるな」
「ですねっ!そうだモカさん、これ買いません?お揃いでっ!」
智歩はひまわりの花びらがあしらわれたブレスレットを手に取った。装飾が控えめでクールな服装にも噛み合う、菜調のファッションの好みにも合致した品物だ。
「……悪くないな」
「決まりですねっ!……Esto por favor!(これください)」
「Por favor(どうぞ)」
「Gracias!(ありがとう)……はい、モカさんどうぞ!」
2人はブレスレットをつけた腕を見せ合う。智歩はにこやかに笑い、菜調も口角を小さく上げた。
「ひまわりを見ると、頑張らなきゃって思いますねっ」
「そうだな。私達の夢のために」
「はいっ!そのためにもマドリード公演、絶対成功させましょうねっ!」
「ああ!」
「行きますよ、モカさんっ!」
智歩は菜調の腕を引きながら、太陽が
◇
ひまわりの花は、常に太陽を向き続ける。正確には、茎が動いているという言う方がより適切らしい。でも、この習性が見られるのは若い時だけ。十分に成長すれば、花は動かなくなる。
かつての私は、漠然とした『輝き』をキョロキョロと追いかけていた。
自分も輝かなければと焦り、迷っていた。
でも、今の私には確かな夢がある。『全力で夢を掴もうとする人達の力になる』、そして、『相棒を最高のパフォーマーにする』という2つの夢がある。
自分が目指す未来を、しっかりと見据えられる!
時には折れそうになるかもしれない。けれど、そんな時には支え合える仲間がいる。
今の私達なら、どこまでも進んで行けるっ!
~マムシとひまわり 完~
マムシとひまわり さうざん @thousand_allow
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