隣で

 私は口角をぐっと上げて、智歩に語りかけました。

 

「大丈夫、彼女は忙しくて連絡できてないだけだよ」

「そうなんですねっ!良かったぁ~」

「私も彼女に負けないよう頑張るからっ!応援してね、智歩っ!」

「はいっ!ユリカさんっ!」


 通話画面が切れると、暗転した画面の中に、私の歪な笑顔が浮かびました。その瞳には光が灯っていませんでした。

 私は力なく口角を落とし、大きくため息をつきました。


 

    ◇



 それから私は、智歩の純粋さを失わせないように、策略を巡らせました。


 まず、『絶対に失敗しない』ことを音楽活動の軸に据えました。夢が折れるところを智歩に見せるわけにはいかないからです。

 自責の意識が強い智歩のことです。もし彼女自身が背中を押した友人が挫折したと知ったとして、平然としていられるとは思えません。


 幸いにも、私には運に恵まれていたようでした。実は当時、嶋田の事務所の関係者と繋がりがあったのです。珍しい翼人ハーピーのピアノ奏者として、小学生時代から注目していただいたようです。彼からは、”ピアニスト”になりたいなら上司――嶋田プロデューサーに紹介すると伺っていました。


 当時はロックの道を諦めきれなかったので返事を保留していました。しかし、どんな道でも良いから音楽で生き残ると決意した次の瞬間、私は迷わずに担当者に連絡をつけました。


 芸能の道では、成長する環境も関係者との繋がりも重要です。それに、嶋田の事務所は所属タレントの”打率”の高さで有名でした。――今になってこそ”打率”がまがい物だとわかりますが、当時は恥ずかしながら疑問を抱きませんでした。とにかく、嶋田の事務所からの話は、まさに渡りに船だったのです。

 クラシックのピアニストはもともと目指していたので興味はありましたし、智歩への説明にも困りません。

 

 もはや、迷う余地はありませんでした。

 

 連絡してから数日で嶋田との面会が実現しました。彼女のフットワークは軽さは流石と言わざるを得ませんね。そして私は嶋田の事務所で育てていただけるようになり、晴れて数年前にデビューを果たしたのです。

 

 

 そして、もう1つ。私は智歩を芸能の世界から引き離そうとしました。


 彼女は具体的な進路を考えていませんでしたが、芸能の世界に興味を持つことは容易に想像つきました。

 彼女は夢にひたむきに向かう人が大好きです。どんな職種も夢に結びつきますが、芸能はとりわけその側面が強調されがちです。それに彼女には、実質的なバンドのマネージャーを楽しそうにこなしていた経験があります。そして何より、大親友がピアニスト志望ですからね。

 

 しかし、裏方だとしても芸能社会のリアルに一度触れてしまえば、彼女の純粋な笑みは失われると考えました。

 

 そこで、愚痴というていで芸能界に関するネガティブな印象を様々な角度から刷り込み、進路としての芸能界が魅力的に見えないように仕向けました。

 

 他にも、彼女自身が挫折することが無いように、進路を相談された時には平坦な道に行くように示しました。



 そんな私の傲慢な企みを、智歩は薄々感じ取っていたのでしょう。

 気が付けば、彼女は私に相談せずに物事を進めるようになっていました。後から聞くには、私に依存しすぎていると感じて距離をとるようにしたそうです。


 その末路が、芸能事務所で彼女と再会という有様です。あまりにも滑稽ですね。

 逃げ出したいとも思いましたが、それでも智歩のことが心配だったので、話しかけてみました。

 

 彼女は自身の夢のことで思い詰めていて――そして、心配させまいと私に空元気の笑顔を向けてきました。


 私は膝から崩れ落ちそうになりました。

 自分の愚かさを、間違っていたことを、これでもかと突きつけられました。

 

 それでもぐっと堪えて、明るく振舞い続けました。もはや、身体にそれが染み付いていました。



     ◇


「こうして、智歩の純粋な笑顔を守るという私の目論見は、あっさりと水泡に帰しました」


 ユリカは静かに演奏の手を止める。

 菜調の意識が現実の部屋に引き戻されて、ウミネコ翼人の姿を意識が再び捉える。


 ユリカは手を鍵盤から離して膝の上に置くと、ピアノの方を向いたまま口を開く。

 

「しかし、智歩は私の想像より、ずっと強い人間でした。――智歩は絶対に、貴女の夢を諦めなかった。


 誰に何を言われても。

 芸能社会の残酷さの根源に触れたとしても。

 その命を脅かされても。

 ずっと目指していた夢を、無情な現実に切り捨てられたとしても。

 

 彼女はその輝きで、菜調あなたの夢を照らし続けた」


 ユリカは身をひねり、菜調を黄色い瞳でじっと見つめた。


「私は智歩を鳥籠に閉じ込めようとしましたが、貴女は違った。貴女は智歩を鳥籠から解き放ち、共に大地をかけたのです。2人で一緒に苦しんで、一緒に困難を乗り越え、一緒に夢を誓った。だからこそ、智歩は貴女のため、絶対に諦めなかったのです。……智歩の隣には、貴女がいるのが相応しい。私にできるのは、それをお膳立てするくらいです」


 ユリカは立ち上がり、菜調の目の前に歩み寄った。そして、右翼を前に差し出した。翼を覆う黒い幕の先端から、黄色いかぎ爪がちょこんと顔を出した。


 「改めて、智歩のことは貴女に任せます」


 彼女の顔に、穏やかな笑みが浮かんだ。それが本心なのかはわからないが、それまでの仮面のような笑顔よりも、どこか柔らかかった。

 菜調も椅子から立って握手を交わすと、ゆっくりと頷いた。


 窓からは、オレンジ色の光が漏れ出していた。


 ユリカは握られた手を離すと、縦に翼を伸ばしながら、深いため息をついた。


「ぷはぁ……………………。スッキリしたぁ」


 彼女はピアノの鍵盤の上にカバーを降ろすと、翼を覆う布を外しながら口を開く。


「言葉に出して、やっと気持ちが整理できました。『ちゃんと話せ』と貴女に伝えた手前、私が一人で抱え込むのも変ですしね」

「私も聴けて良かった。……お前に感謝することがたくさん増えたな」

「そうです、感謝してください?なんなら、”お前”じゃなくて”ユリカ姐さん”と呼んでも良いんですよ」


 ユリカは翼のカバーを引っ張り上げながら胸を張り、目線を上にやって菜調を見つめた。吹っ切れてハメを外すユリカに対して、菜調の方は冷静だった。

 

「演奏をつけたのは何故だ、ユリカ」

「私なりの気遣いです。ただの自分語りを長々と聞かされても退屈でしょう?」


 だからといって迫真のピアノ演奏をつけるのか?と菜調は思ったが、気持ちは受け取ることにした。

 実際、演奏のお陰で話に聞き入ることができた部分もあるかもしれない。ピアノの演奏が世界観に調和するあまり、一周回って音楽が頭に入ってこなかったほどだ。

 

「そうか、良い演奏だった。準備していたのか?」

「アドリブですよ。喋りながら、感情に任せて手を動かしていました。大まかなイメージはここに来る移動時間で考えましたけどね」

 

 ユリカは軽く言ってのけていたが、菜調にとっては目を見張るほどのものだった。素人目だが、ピアノを身体の一部のように扱えなければ成しえないことだろう。

 彼女は間違いなく、手練れのピアニストだ。確かに身体とピアノの相性は悪いかもしれないが、彼女はピアノと調和していた。

 

 荷物をまとめるユリカを眺めながら、菜調は彼女の演奏について考えていた。

 

「さて、これで心置きなく智歩に協力できます」

「『NEO蛇祭』のことか。なぜ今まで協力しなかったんだ?」

「今後智歩とどう接していくかを決断できていなかったのです。まぁ、裏ではいつでも動けるよう、色々と手を回してはいたんですけれどね。今回のプロジェクトでやれることはやり切って、それ以降は智歩を遠くから見守るようにします」


 ユリカはうつむきながら目を閉じ、すっきりした顔で言い切る。鳥脚が前に動き、彼女は部屋を出ようとする。すると、菜調が真剣な目つきで返事をする。


「ユリカ、これは知っておいてくれ。智歩が立ち直れたのは、他でもないお前が智歩の想いを受け止めたからだ。お前が相手だからこそ、智歩は悩みを吐けたんだ。そして今、智歩は1人で悩まずに誰かに頼る努力をしている」

 

 黄色い鳥脚が止まった。閉じていた黄色い瞳が開いた。


「だから、これからも智歩のことを見守ってくれ」


 ユリカはため息をつくと、顔を上げて横目で菜調を見やる。


 「……貴女に頼まれたなら、仕方ないですね」


 ユリカは口角をあげた。

 彼女の本心からの笑みだった。


 

    ◇

 


 2人は文化館の入り口に出てきた。低くなった太陽から橙色の光が漏れていて、赤茶のレンガに淡い色が滲んでいる。

 周囲に広がる芝生の広場も、日に当たる部分が麦畑のような黄色に染まり、くすんだ緑色とのグラデーションをかもし出していた。

 

「では菜調さん、私は早速『NEO蛇祭』に向けてやることがあるので、失礼します」

 

 ユリカは微笑むと、ポーチからサングラスにもなる飛行用ゴーグルを取り出して装着。菜調に背を向けて、”ばさっ”と灰色の翼を広げた。

 地面に落ちていた木の葉が風で動き出す。それと同時に、数歩の助走をつけてから、彼女は力強く飛び立った。


 灰色の羽毛が一枚、頭上からひらりと舞い落ちた。

 彼女の黒いシルエットは瞬く間に小さくなり、野鳥と見分けがつかなくなったと思えば、もう一度息を吐くころには消えていた。



    ◇


(目標の大型イベントが無くなったから新しく作るなんて、智歩の行動力も来るところまで来たか……)

 

 ユリカは公園の上空を羽ばたきながら、親友のことを考えていた。

 視界には、サングラス機能付きのゴーグルによってセピア色ににじんだ公園の景色が映っていた。

 

 その中に、気になるものを見つけた。木製であろう扇状の座席に囲まれた、簡易的な屋外ステージだ。町のミュージシャンやパフォーマーなどがライブをするのに使うのだろう。


(……そっか)

 

 ユリカは、バンド活動中の、とある1日を思い出した。


『ユリカさん、出られるライブ全然見つからないです……』

『良いよ智歩、ありがとう。何日も探して見つからないなら仕方ないよ』

『でも、新曲を披露するタイミングが無くなっちゃいますよっ。ユリカさんが作曲した渾身の新曲が』

『私はどの曲にも全力だよっ。でもまぁ、皆で頑張って練習したのに不完全燃焼になるのは残念だけど、ハコがないなら仕方ないよ』

『うーん…………。そうだっ!私達でライブを立ち上げましょう!』

『えっ!?どうやって!』

『近くの公園に自由に演奏できる場所があったはずですっ!そこなら人も集まりますしっ。今から確かめて来ますっ!』

『ちょっと智歩!?あーっ、行っちゃった』

 

 ユリカは顔を上げた。サングラス越しに、太陽が淡い黄色に輝いていた。

 

(やっぱり、智歩は智歩なんだね)


 ユリカは両翼に力を込めて、太陽の方向に大きく羽ばたいた。

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