真っ白な景色

「そんな私に手を差し伸べてくれたのが、智歩でした」


 窓から漏れる光を見つめながら呟いたユリカは、すたすた歩いてピアノの演奏席に戻った。そして、鍵盤に両手を置くと、ピアノを弾きながら智歩との思い出について語りだした。


 「15年前以上の前のことです……」



     ◇


 

 私が生まれ育ったのは、北国の港町でした。

 電車が来るのは30分に1回。1時間は待たされないが、都市部よりはずっと本数が少ない――そのくらいの規模感の町でした。

 

 そこの住民の多くは霊長類の人間で、私のような翼人は珍しかったですね。それでも、身体の形が彼らと似ていることもあって、生活に大きく困ることはありませんでした。


 私も幼稚園に入ったばかりの時には周囲から浮いていましたが、すぐに他の子と遊ぶようになりました。私自身も積極的に他の子に話しかけようと努力したのですが、両親がサポートしてくれたのも大きかったですね。


 そんな私が智歩と出会ったのは、その年の冬でした。

 

 当時の彼女は病弱で、たまにしか園に来ませんでいした。

 それ故にか、園でも彼女は独りでした。特に、友達同士が自由に集まってご飯を食べるお弁当の時間になると、暗い顔をした彼女の姿が目立っていました。


 そんな彼女に、私は話しかけました。独りでいることの辛さを知っていたから――というのは過言かもしれませんが、とにかく彼女が心配だったのです。今思えば、実際のところは私の方が親友を欲していたのかもしれません。話せる相手は園にたくさんいたけれど、互いに心を許せるような相手はいなかったのです。事実、私も個食をしていました。

 

 しかし、私が何度話しかけても、彼女は『別に良い』『私なんかい構わないで良いよ』とそっぽを向くばかりでした。当時の智歩は、今の彼女の暗い部分が目立つような人柄でした。とことん根暗で、いつも何か思い詰めているように見えたのです。そんな対応を繰り返されると、私もますます彼女のことが心配になりました。


 遂に我慢の限界に至った私は、強硬手段に走りました。お弁当のおかずを奪い、それを人質にして対話を強要したのです。食欲には逆らえまいと幼いなりに考えた末の答えです。


 あまり褒められた行為ではありませんが、結果的としてそれをきっかけに私は智歩と話すことができました。その後も食べ物を人質にする形で彼女の気を引いたり、一緒に遊ぶように要求することを繰り返しました。――こうして口に出すと、中々に酷いことをしていますね。トラブルに至ってもおかしくありません。しかし、幸運にも私は彼女と距離を縮めることに成功し、私たちは友達になりました。


 気が付いたら、智歩は私にべったりと懐いていました。幼稚園では常に一緒で、園から帰った後も私は智歩の家に通い詰めるようになりました。


 それから1か月ほど経った時、幼稚園以外では引きこもりがちだった智歩を外に連れ出そうと考えました。私が智歩を心配していただけでなく、智歩のお母さんからも彼女を外で遊ばせてほしいと頼まれていたので、私はやる気でいっぱいでした。しかし、病気がちで寝ていることが多かった智歩は、『外の寒さが怖い、布団にくるまっていないと落ち着かない』と訴えました。


 そこで私は、自分の羽毛で智歩を包みました。『外が寒くても、いつでも私が暖めてあげる。智歩に風邪は引かせない』と宣言したのです。私の想いが伝わり、智歩は玄関からの一歩を踏み出してくれました。


 しばらく2人で散歩をしていると、粉雪が降ってきました。私は慌てて智歩を両翼で包み込み、『智歩ちゃん、大丈夫!?寒くない!?』と問いました。すると彼女は私の翼をぎゅっと抱き寄せてから、こちらに振り向いて『ユリカちゃんがいるから寒くないよ』と言ってくれました。白い雪がふわふわと舞う中で、彼女の赤い頬が際立って見えました。


 それから私たちは、近くにあった公園の屋根付きベンチに座って、雪が止むのを待ちました。もちろん、智歩を羽毛で包みながらです。私たちは雪景色を眺めていました。雪が多い土地だったので、私にとっては見慣れた光景です。しかし、智歩は目を輝かせていました。今まで彼女にとって雪は恐怖の対象でしかなく、そもそも降雪の日に外出することも少なかったため、それまで雪を”美しい景色”として認識したことがなかったようなのです。

 

 しばらくして雪が止み、私たちは家へと帰りました。その途中、太陽に照らされた雪が白く発光する中で、智歩は私にこう言いました。


「ありがとうユリカちゃん、私1人じゃ見られなかった雪景色を見せてくれて!」

「大袈裟だよ、智歩ちゃん。雪なんていつでも見られるよ」

「私にとっては凄いの!」


 智歩があまりにもはしゃいでいたので、私も雪景色をじっと眺めてみました。すると、いつも通りだと思った景色の中に、イチョウ型の足跡と楕円状の足跡が混ざりながら連なっているのを見つけました。それが、とても珍しく見えました。


「確かに、足跡は面白いかも」

「ホントだ!ユリカちゃんの脚おっきい!」

「智歩ちゃんの足跡もかわいいよっ」


 私たちは、2人で見つめあい、大口を開けて笑いました。



 それから彼女は少しずつ外で遊ぶようになりました。1年ほど経った時には身体の弱さも克服し、外を元気に駆け回るようになっていました。一方で私の羽毛はすっかり彼女のお気に入りになりまっていて、春になっても彼女は隙を見つけては羽毛に身体を埋めていました。実のところ、私もまんざらではありませんでしたが……。


 加えて、根暗だった彼女の振る舞いも快活になってきて、私以外の友達も作るようになりました。すっかり智歩のお姉さん気分になっていた私にとっても、智歩の変化は嬉しいものでした。

 


 さて、小学校にあがる少し前、私にもう1つの大きな出会いが訪れました。ピアノです。

 プロのピアニストを幼稚園に呼んで、演奏してもらうというイベントがありました。そこで私は心を鷲掴みにされました。


 後日、私は幼稚園の先生に頼み、教室のピアノを触らせてもらいました。園には『翼人に楽器を触らせる時には注意』というノウハウが無かったのか、私の頼みはすんなり受け入れられたのです。私はむき出しの羽をぶんぶん振りながら、ピアノの演奏に挑戦しました。


 最初は上手く弾けませんでしたが、園の先生に教えてもらいながら、なんとか簡単な曲を弾けるようになりました。自分の手の動きで音楽を奏でることができたことに私は感動して、ピアノが大好きになりました。

 

 それからは、幼稚園の自由時間には常にピアノにはり付くようになりました。隣には必ず智歩がいて、身体を揺らしながら私の演奏を楽しそうに聞いてくれました。園の先生もコーチとして熱心に指導をしてくれたので、私の腕はめきめきと上達しました。当然、将来の夢を問われたらピアニストと答えるようになりました。智歩にその夢のことを話すと、「絶対なれるよ!」と純粋な瞳を輝かせてくれました。


 月日を重ねるにつれて、鍵盤の表面は少しずつ傷ついていきました。それを園の先生に報告したら、少しむず痒いような顔をされましたが、先生はすぐに笑って『大丈夫、どんな道具も使ったら傷がつくんだよ。これはユリカちゃんが頑張った証だよ』と優しく笑いかけてくれました。

 両親にピアノのことを話した時には意外そうな顔をされましたが、特に咎められることはありませんでした。私は何の不自由もなく、のびのびとピアノを弾き続けました。


 そんな楽しい日々が続き、幼稚園の卒園まで残り1か月になりました。

 小学校にあがったら園でピアノを弾けなくなるから、入学祝で自分用のピアノを買ってもらおう、ピアノ教室にも通わせてほしいとお願いしなきゃな。――そんなことを考えるようになった、ある日のことでした。

 

 案の定、ピアノが壊れました。

 

 突然、音が鳴らなくなったのです。私は壊れたピアノが心配だと幼稚園の先生に訴えました。その原因が自分の身体だとは、夢にも思いませんでした。すると、業者の方を呼んでピアノを修理してもらうことを伝えられ、その様子を見学させてもらえることになりました。


 修理は休日に行われました。親の送迎で園に着いた私は、雪が降るのにも構わずに、ピアノがある教室へと駆けだしました。


 それからしばらくして業者さんが到着。私はそわそわしながら、業者さんがピアノの内部を開くのを見守りました。

 そして、青ざめました。


 ピアノの内部から、灰色の羽毛や羽カスが溢れ出してきたのです。


 激しい動揺と不安が私を襲いました。今まで自分が見ていた世界が、一瞬にして真っ白に塗りつぶされたようでした。

 その恐怖に対して『頼れる大人に助けてもらわねば』と本能が判断したのか、私は顔を上げて、そこに集まっていた園の先生たちを見つめました。

 

 先生たちは、苦虫を噛み潰したような顔で立っていました。

 私達と遊んでくれる時とは違う、冷たい目をしていました。

 

 追い打ちをかけるように、修理業者の方の口から、園児からしたら途方もないような桁数の数字が告げられました。先生の1人が、低くて小さい声で、業者さんに返事をしていました。


 付き添いで来てくれたお父さんが、先生たちに何度も頭を下げていました。


 いつも優しく私を助けてくれた大人達が、みんな、私が見たことがないような顔をしていました。

 全部、私のせいで――。

 

 思わず泣き出しそうになった時、私にピアノを教えてくれた先生が、中腰になって私に目線を合わせてくれました。先生は、嘘みたいに穏やかな笑顔を浮かべていました。

 

「自分たちの責任だ、ユリカちゃんは悪くないよ」


 先生たちは私を責めるどころか、むしろ落ち込む私をなだめてくれたのです。

 お父さんも同じように、私に優しい言葉をかけてくれました。


 大人たちは笑顔でした。でも、その直前に彼らが浮かべていた表情を、私は忘れられませんでした。

 私に気を遣って苦しさを隠しているのは、幼い私にもわかりました。そんなことをさせてしまったことが、私には耐えられませんでした。


 

 私は泣き出しながら、幼稚園の部屋を飛び出しました。

 外では強い雪が音を立てて吹き付けていました。視界には一面の灰色が広がっていて、どこが道なのかすら見えませんでした。雪のせいで、飛ぶこともままならない状況でした。それでも私は少しでもその場から離れたいという一心で、鳥脚を動かして走りました。


 しかし、数歩進んだだけで、つまづいて転んでしまいました。そもそも飛行に比べて脚を動かすことは不得意な上に、雪道ともなれば当然です。顔面から雪の中に倒れこみ、羽毛がない顔の表皮に雪の冷たさが”きん”と染みました。


 よれよれと身体を持ち上げると、倒れた跡にはたくさんの羽が舞い落ちていました。

 

 擦りむいた鼻先に氷水がにじむ痛みに耐えながら、私は1つの確信を得ました。

 

――私の身体は、ピアノを弾くためのものじゃない。

 

 私は、ピアノを弾くべきではない。

 

 

     ◇



 翌日には大雪はすっかり止んでいました。しかし、私の頭の中は真っ白なままでした。それでも、智歩の前では何事もなかったかのように、明るく振舞いました。

 

 きっとこの瞬間から、智歩の前では曇った顔は見せないようにしようという意識が芽生えるようになりました。――皮肉なものですね。


 その週の金曜日には、教室のピアノは復活しました。修理に成功したのか新品を買ったのかはわかりません。先生が幼稚園のみんなに向けてピアノのことを話している時にも、私は必死に意識を逸らしていましたから。


 ピアノが復活しても、当然私はそれを弾こうとはしませんでした。

 すると、帰りのバスで隣に座った智歩が、不思議そうに声をかけてくれました。


「ユリカちゃん、何でピアノ弾かなかったの?」


 私は彼女から顔を背けました。視界には曇った窓ガラスが映りました。少し考えた後、私は平然とした態度を意識しながら答えました。

 

「……羽がピアノに刺さったらピアノ壊れちゃうんだって。だから、もう弾かないよ」


 今の私なら、間違いなくピアノが壊れた原因のことははぐらかすでしょう。心配されまいとしているのに一番肝心なことを口にしてしまうあたり、色々と知恵を回していた私も結局は1人の園児に過ぎなかったということですね。


 智歩は口を大きく開けて驚いていました。自分の演奏を楽しんでくれた彼女にも申し訳ないことをしたなと思っていると、智歩は私のごつごつした手羽先をぎゅっと握りました。横を向くと、彼女の顔がくっきりと目に映っていました。


「じゃあ、羽が飛び出ないようにしようよっ!」


 智歩の無垢な笑顔は、日の光を反射する雪に負けないくらい眩しく見えました。

 かじかんでいた手羽先が、智歩の手の暖かさでほぐれていきました。


「えっと……私、ピアノ辞めるんだけど」

「え~、勿体ないよ!ユリカちゃん演奏上手なのに!」

「でも、私がピアノを弾いたらみんなが……。それに、羽が漏れないようにって、どうやるのっ」

「これから考えるっ!」

「これから?」

「うん!……あっ、バス着いたっ!お休みの間に凄いアイデア考えておくから楽しみにしててねっ!ばいばーいっ!」

「えっ!?智歩……」

 

 私が何かを言うのを待たずに、智歩は座席からぴょんと飛び降りると、元気よく駆けていきました。



    ◇



 それから2日が経ちました。

 

 私は何かをする気力もなく、ぼんやりと窓の外から曇り空を眺めていました。空はにわかに暗くなって、カラスが飛んでいるのが見えました。日曜日の夕方――以前なら「明日は園でピアノが弾けるぞ」と心を躍らせていました。それを思い出すと、きゅっと胸がしめつけられました。ここ1週間、自分は本当にピアノが大好きだったんだなと、ことあるごとに実感していたのです。その度に、「私はピアノを弾くべきではない」と、必死に自分を説得していました。


 その時、インターホンの音が聞こえました。


「高崎ですーっ!ユリカちゃんいますかーっ!」


 私は驚きました。特に遊ぶ約束はしていませんでした。それに、当日に遊びの誘いをするにしても、日曜日の夕方という時間帯は奇妙です。私は頭の上に疑問符を浮かべながら、玄関の扉を開けました。

 

 すると、智歩が大きなトートバックを抱えながら、にこにこと立っていました。バッグからは布のようなものがはみ出ていていました。


「智歩ちゃんどうしたの?」

「今日はねぇーっ、ユリカちゃんに凄いモノ持ってきたんだぁっ!ユリカちゃん絶対驚くよっ!」

 

 彼女は嬉しそうにバッグの中のものを出そうとしましたが、彼女を寒い玄関先に立たせたくなかったので、自室に招き入れました。

 

 私の部屋に入った智歩は、バッグの中身を自慢げに掲げました。


「じゃーんっ!」


 それは、黒い服のような”何か”でした。


「えっと……それは何?」

「羽が漏れないようにするためのカバーだよっ!」

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