翼人のピアニスト

~同時期、菜調の自宅周辺~

  

 菜調は1人で、いつもダンスの練習をしている公園の空きスペースに来ていた。智歩と再会した思い出の場所だ。

 だが、今日は隣に智歩はいない。彼女は『大会実現のためにやることがある』と、早朝から東京に向かっていたのだ。

 

 最近はそのような日が続いていた。彼女は私のプロデューサーとしての営業に加えて、大会を実現させるべく、毎日忙しそうに各地を回っている。そして、夜には夕食をおいしそうに頬張りながら、その日の成果を報告してくれるのだ。そんな彼女を見ていると、自分も彼女の努力に応えなくてはとトレーニングに身が入る。


 菜調は身体を伸ばして準備体操をしながら、周囲を見渡した。

 夏であれば一面のひまわり畑が咲いていたのだが、10月ともなれば黄色い花は見えなくなっている。粉をまぶしたようにまだらな雲がかかった空の下で、黄色のグラデーションがかかった広葉樹が揺れている。今日は日曜日だが、人の気配は見られない。もっとも、ひまわりが咲いていた時期ですら閑散としていたので当然ともいえるし、そもそもその点が好きでこの場所を練習拠点にしたのだが。


 そんな場所で、いつものように技の練習に入ろうとした、その時だった。


 その時、打ち寄せる大波のような、力強い連続的な音が響いた。

 上空からだった。

 

 菜調はとっさに上を向くが、そこには澄み切った青い空。


「ごきげんよう、菜調さん」


 正面から声がした。

 前を見ると、両翼を畳んだ金髪の翼人――三根ユリカが顔を突き出していた。彼女の白い鼻が、自分の鼻と擦れそうだ。

 ユリカはパッケージされたような笑みを浮かべると、前傾させていた身体をひっこめる。


「……智歩ならいないぞ」

「ええ、存じ上げていますよ」


 ユリカは片翼を口元に当て、くすくすと笑う。

 

「今日は貴女とお話しをしに来たんです」


 ユリカは片方だけで1mを超えるような翼を広げると、ばさばさと重低音を立てて、近くの木の枝に腰かけた。

 菜調は木の近くまでのそのそと近づくと、半目で彼女を見上げた。

 

「そもそも何故ここがわかった」

「以前、智歩から聞いたんです。ひまわり畑のある公園で、ダンスの練習をしている貴女と出会ったと」

「その情報から割り出したのか」

「ええ。難なく会えて良かったです。……ところで、今更ですが、ちゃんと智歩に気持ちを伝えられたようで良かったです」

「ああ。助かった」

 

    ◇


 

――それは、嶋田と戦闘する前、ユリカに連れられて菜調が東京に向かう電車での出来事だった。


 車内には、隣り合って座る菜調とユリカの2人だけだった。夜間であったため窓の中は真っ暗で、見えるものといえば建物の黄色い光が、窓の下部で左から右へと走っていくくらいだった。


 菜調はどこか胸騒ぎを覚えながら、静かに黒い窓を見つめていた。耳に入ってくるのは、がたんがたんと電車が動く音だけ。情報がどこまでも絞られた空間に座して、ひたすら智歩のことを案じていた。――そうして30分ほどが経った時、ユリカがぽつりと口を開いた。

 

「単刀直入に聞きます。貴女にとって高崎智歩とは何なんですか?」

「……太陽」


 少し考えてから、思い浮かんだ単語を素直に口にした。

 横に目をやると、ユリカは驚いたのか目を数回ぱちぱちさせた後、穏やかに目を閉じた。


「”太陽”ですか…………」

「何かおかしいか?」

「いえいえ。抽象的すぎるとは思いますが…………確かに、彼女は太陽ですね」


 同意を得られると思っていなかったので返事の言葉を詰まらせていると、隣から低いトーンの声が続いた。


「では、その想いはきちんと彼女に伝えていますか?」

「それは……」

「貴女は智歩のことが好きなのでしょう?智歩がいたから、今まで貴女は諦めなかったのでしょう?」


 驚いて思わず隣を見ると、金髪の翼人が胴をこちらに伸ばし、上目遣いで真剣なまなざしを向けていた。

 その静かな迫力に、言葉だけでなく喉まで詰まりそうになる。


 まさか、彼女は私の10年前のことを知っているのだろうか。あるいは、私の考えを見透かしているとでもいうのか!?


「どうなんですか、菜調さん?」

「……ああ」


 観念して返事をすると、ユリカの両の爪が自分の肩をわしづかみにした。鱗の隙間にめり込むような力が服越しに伝わって、彼女の真剣な想いが感じられた。

 

「では、貴女の言葉で貴女の想いを伝えてください。シャイだろうが口下手だろうが知りません。彼女がいちど自己嫌悪に囚われたら、どんどん悪い方向に考えて歯止めが効かなくなるのは知っていますよね?……ですから、貴女にとってどれだけ智歩が大切かをきちんと伝えて、智歩を暗闇から解き放ってください。それが、智歩を救けるの方法です」



    ◇



 このやり取りを経て、菜調は『智歩が夢を応援してくれたから、自分はずっと頑張れた』と伝えることを決心したのだ。もっとも、実際には状況が状況だったので、ユリカに促されていなくても智歩に想いを伝えていた可能性は考えられる。それでも、菜調はユリカの助言に感謝していた。

 

「……しかし、まさかお前が智歩の幼馴染だなんてな。何故あの時言わなかった」

「ご想像にお任せします」

「そうか。それで、話とは何だ?」


 彼女の要件としてまず思いつくのは、『NEO蛇祭』のことだった。智歩は計画への協力を仰ぐべく、真っ先にユリカを訪ねたのだが、返事を保留されたというのだ。その件で、智歩には言えない事情を伝えに来たのだろうか。

 もしくは――あまり考えたくないが、再び智歩の身に何かあったのだろうか。


 蛇体の筋肉を張りながら彼女の返事を待った。帰ってきた答えは、意外なものだった。

 

「大した用事ではありませんよ。お休みをいただいたので、智歩の友人同士で親睦を深めようとしただけです」

 

 肩透かしだった。

 

 木の上からにこにこ笑うユリカに対して、菜調はそっぽを向き、ダンスの練習をしていたコートに戻ろうとした。

 自分は智歩の努力に応えるべくパフォーマンスを磨かなくてはならない。よくわからない翼人と遊んでいる暇はないのだ。


「……知りたくないですか?

 

 うねる蛇体を、ユリカの一言が引き戻した。

 振り返ると、変わらず彼女はにぱーっと笑っている。

 

「あら、素直ですね」

「悪かったな」

「素直なことは誇るべきことだと思いますよ。しかし、こんな場所で長々と話すのも何ですね……」

 

 ユリカは話の途中で、突然空の方を見た。金色の髪が、風によって風鈴のように揺れる。

 

「移動しましょう。着いてきてください」


 傘を開くような軽快な音を響かせて、ユリカは灰色の両翼を広げる。

 ほぼ同時に、強烈な風が吹き付ける。周囲の木々が一斉に意識を宿したかのように、ごうごうと音を立てる。

 

 そして、ユリカは木から飛び降りると、風に乗って悠々と飛んで行った。


「ま、待てっ」


 姿勢を低くして2本の腕で地面を蹴り、普通の蛇そのもののような体勢をとってユリカを追いかけた。



     ◇

 

 

 2人が向かったのは、公園の端にある建物だった。

 ”住民文化館”と呼ばれるそれは赤いレンガのような外壁に覆われていて、芝生の緑を背景に映えて存在感を放っていた。

 

「…………ふぅ。思い切り飛ぶのは久々ですが、やはり気持ちいいですね。これだけ広い公園なら、思う存分に羽を伸ばせます」


 ユリカは建物の前に着地すると、上腕骨をぴんと伸ばして両翼を左右に広げた。

 

「ここで何をするんだ?」

「貴女に見せたいものがあるんです」

 

 ユリカは羽を畳み、水かきがついた健脚をちょこちょこと動かして建物に入った。建物はレトロチックな外装に対して、入り口はガラス張りの自動ドアが整備されており、清潔感がある。

 内部は大きい公民館のようなものだった。内装は素朴で飾り気がなく、顔を上げれば太い文字で施設の案内が書かれたパネルがぶら下がっていた。視認性重視のデザインというものだろう。


 ユリカに連れられて建物の一室に入ると、そこには大きな黒いグランドピアノが鎮座していた。

 机やイスが片付けられていて解放感がある部屋で重量感をかもしだしながら黒光りするその存在感に、思わず見入ってしまう。


 彼女は部屋の端から丸椅子を持ちだし、鍵盤を真横から見ることができる位置に椅子を置く。

 そして、ユリカ自身はピアノの正面に回り込み、走者用の椅子に腰をかける。黒い扇状に白い1本線が入った尻尾が、ぴょこんと飛び出した。

 

 その様子を、菜調は立ったまま不審な目で遠くから見た。

 彼女が見せたいものとはピアノの演奏なのだろうか?もし智歩とは無関係に彼女の特技を見せたいだけなら、さっさと帰りたいのだが……。

 

「さぁ、座ってください。特等席です。次世代を担う稀代のピアニストと呼ばれた私の演奏を独り占めできるなんて、なかなか得難い機会ですよ」


 ユリカの声は声量こそ控えめだったが、何にも動じないというような迫力があった。

 状況を理解できないのが半分、反論するのが億劫なのが半分という気持ちで、菜調は丸椅子に腰を置き、椅子の脚に蛇体を巻き付けた。


 一方でユリカは、カバンから薄手の黒い装束を取り出して羽織りだす。歴史の教科書で見た十二単のように大きな袖に、灰色の翼をくぐらせる。腕の付け根からへそまで届くような羽毛は、すっぽりと覆い隠された。

 逆側の翼についた黄色いかぎ爪が、袖口についていたファスナーをつまみ、絞り上げる。”ずずず”という音と共に、彼女の羽毛は黒装束の中に閉じ込められていく。”ぴっ”とファスナーが袖の末端に到達すると、ふわふわした羽毛は完全に黒い袖の中に閉じ込められた。その工程は、布団のカバーをつけ直す作業を彷彿とさせた。


 菜調がきょとんとしていると、それを察してかユリカが口を開く。

 

「ピアノはある種の精密機械のようなものです。羽毛のカスが鍵盤に詰まるなど許されませんから」


 ユリカは仮面のような笑顔を浮かべながら、もう片翼も同じように覆い隠す。ファスナーが閉まる音と共に、翼人のアイデンティティである翼はすっかり見えなくなってしまった。爪や脚先の形状や尻尾という相違点こそあれど、遠目からでは智歩たちと同じ霊長類に見えてしまうほどだ。


 続いて彼女は、血肉を抉るために造られたような黄色の鉤爪に、シリコンのようなカバーをはめていく。鈍い光沢を放つ鋭利な爪は、のっぺりした灰色のシリコンに覆われた。


 「では、菜調さん。しっかりくださいね」


 ユリカは目を閉じて深呼吸。水かきのついた平たい鳥脚をぐにっと曲げてペダルを踏む。

 シリコンカバーでマイルドになった強靭な鉤爪が、白い鍵盤を突く。


 心臓に染み渡るような、慈愛に満ちた音色が響いた。角のない、丸みを帯びたような音だった。音楽には明るくない菜調でも、その演奏が卓越したものであることを疑わなかった。

 その旋律は、菜調を素朴な公民館から別の世界に誘った。ある時は花が咲き誇る宮殿に、ある時は悲劇が重なる戦火の中に。調べに耳をすませれば、海も時間も越えて羽ばたいていけるような気がした。

 

 それを奏でるのは、ごつごつとした4本の鉤爪。菜調や智歩の指のように指がしなやかに曲がらないそれが、機械のような角ばった動きで鍵盤の上を駆ける。鍵盤の端に爪を届かせようと翼を伸ばすと、羽毛を覆うカーテンのような布がぶわっと揺れた。


 

 じゃんっ!

 

 鉤爪が鍵盤を弾くように叩き、つかの間の異世界旅行に幕が降ろされた。

 ユリカは両翼を膝の上にそろえてから、”はぁ”と小さく息を吐いた。


 「どうでしたか?菜調さん」


 無音の部屋の中で、爪を隠したような優しさを纏った声が、菜調の耳を撫でた。


「良い演奏だった……」

いびつでしたよね?」


 菜調の感想をさえぎり、穏やかさの中に静かな迫力を孕んだ言葉が横から刺した。防音設備が整った部屋が、ユリカの言葉を閉じ込める。その響きが耳にこだまする。

 2人きりの部屋で、彼女は目を細めて口角を上げながら、じっとこちらを見つめている。


 菜調は返事に困った。気を抜いたら、雰囲気に流されてうなづいてしまいそうだ。だが、それでも彼女の発言は肯定できなかった。


「……そんなことはないと思うが」

「そうですか、ありがとうございます。でも、私は自分自身を酔狂だと思っています。翼を覆って爪を塞いでまでして、ピアニストという狭き門を叩く――。もちろんそれは悪ではないですが、賢い道ではありません」


 ユリカはゆっくりと歩いて壁際に向かうと、閉じられた窓を解き放った。ガラスでせき止められていた太陽の光が、にわかに薄暗い部屋に漏れだした。


「――それでも、私はピアノを弾くことを望んでしまったのです」


 光の中でユリカは、外を見つめながら口を開く。


「そんな私に手を差し伸べてくれたのが、智歩でした」



 ◇蛇足のコーナー(簡易版)◇


 ウミネコは、灰色の翼と黄色の脚が特徴の海鳥です。

 雑食性で、魚や甲殻類、虫までなんでも食べます。ゴミを食べたり、他の鳥から獲物を奪うこともあるそうです。

 縄張り意識が非常に強いのも特徴です。

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