交わる赤と青

~『NEO蛇祭』計画発足と同時期~


 アオダイショウ蛇人ラミアの少年、青井将晴はとある大学の説明会のためにキャンパスを訪れていた。


 休日のイベントかつ、学園祭やオープンキャンパスのような大層なものではないから、敷地内はがらんとしている。

 屋外ではキンモクセイが黄色い花をつけていている。匂いを知覚する器官でもある長い舌を出してみると、その甘い香りが風に乗って運ばれてくるのを感じる。

 不思議と切ない気分にさせるその匂いで呼び覚まされるのは、憧れのパフォーマーである菜調、その活動休止の知らせだった。考えるだけで胸が張り裂けそうになる。午前中に受けた説明会の話も、上の空だった。


 高崎さんからはチャットで「大丈夫」と言われたが、実際に菜調さんが再び踊る姿を見るまでは安心できない。

 なんとなく校内のベンチに腰掛け、スマホを出して菜調の動画を眺めてしまう。最近は、学校でも神社でもこんな具合だ。

 

「はぁ……。菜調さん、大丈夫かな……」

 

 鍋の隙間から湯気が噴き出すみたいに、ため息が漏れ出てしまう。開いた口から飛び出た舌にキンモクセイの香りがまとわりつき、それがうっとうしく感じて口を閉じる。

 そういえば、菜調さんが舌を出しているところは見たことがない。自分たち蛇人ラミアは無意識に舌を出してしまうことがあるが、彼女に関してはそれが見られない。育ちが良い人は舌を出さないと聞いたことがあるが、彼女も実はお嬢様なのだろうか。


 普段なら彼女の新しい魅力に気づけたと喜べたかもしれないが、やはり彼女は活動休止中。余計に切なさが増すばかりだ。


「へぇ、君も菜調ちゃんのファン?」


 耳元から、快活な女性の声。


「そうですね。…………え?」

 

 振り向くと、グレーのパーカーを被った赤髪の女性が、身体を伸ばして自分の真横から端末を覗き込んでいた。少し顔を揺らせば触れてしまうような距離だった。


「っうわあっ!」

「っ!?ごめんね、大丈夫?」


 驚いて、小さく身体を跳ねさせてしまう。背もたれに背骨がぶつかり、痛みが身体の芯に染みてくる。

 舞の練習で身体をぶつけるのは日常茶飯事なので、痛み自体はどうってことないものだ。それよりも、女性のことが気になった。知り合いに赤髪の女性なんていない。


 女性がベンチの向こう側から回り込んでくる。その下半身は、紅色の甲殻こうかくで覆われたムカデの身体だった。

 パーカーの影に隠れた前髪をよく見ると、その隙間からは触覚が飛び出ている。ムカデの蟲人なのだろう。しかし、種族がわかったところで、彼女が何を意図して自分に話しかけたのかはわからない。


「……平気です。それよりお姉さん、何者なんですか」

「ここの学生だよ。それでキミは…………ん?キミ、どっかで見たことあんな」


 ムカデの女性は腕を――人体の腕だけでなくムカデ部分の脚の一対を組みながら、頭を傾けて考える。それに合わせて、おでこから伸びた触覚が重力でぺろんと傾く。


「ん~、このキャンパスでアオダイショウ蛇人は見たことないし、アタシのファンでもなさそうだしな……」

「えっとボクは……」

「待て、まだ言うなっ!」


 赤いショートボルヘアの女性は、手のひらを出して”ストップ”の姿勢をとる。


「これはアタシの記憶力をかけた勝負なんだっ!手出しは無用で頼むっ!」

「そ、そうですか……」

「かたじけないっ。…………えーと、多分見たのは最近なんだよなぁ……。となるとあり得るのは……」


 女性は触覚をぴくぴくさせながら、顔をしかめて思案にふけり始めた。

 変な人だなぁ、と率直に感じた。

 

「むぅ…………、あっ!キミ、神社で踊り子やってるよねっ!確かは名前は、青井将晴まさはる……」

「!?……せ、正解です」

「よっしゃぁっ!!」


 女性はガッツポーズ。それに合わせて触覚もピンと縦に伸ばしながら、声を出してはしゃいでいた。もはや彼女は1人の世界に浸っていて、自分が入り込む余地すらないと思わせるほどだ。

 愉快な人だなぁ、と率直に感じた。


 すると彼女は両手の平をこちらに向けてくる。赤い目を真ん丸にして、「わかるでしょ」と言わんばかりの表情。どう返事をしたら良いかもわからないまま、自分も同じように両手を出してハンドタッチ。”ぱちん”と軽快な音が響いた。はじめましての女子大生を相手に、自分は何をやらされているのだろう……。


 置いてけぼりな気分になっていると、それを察したのか彼女がこちらに顔を向ける。

 

「ごめん、お姉さんも自己紹介しなきゃだねっ。アタシは赤城千尋ちひろっ!チヒロって呼んで良いよ~。よろしくね、マサくん」

「よろしくお願いします、”赤城さん”……」

「お、おぅ!よろしくぅ!」


 赤城はにこにこ笑いながら、青井が座るベンチの隣に腰かけた。自分よりも少し視線が高いムカデの女性が、やたら近い距離感で座っている状況に青井は緊張と混乱を覚えていた。


「いや~まさか界隈で密かに話題な青井クンに会えるとはねぇ、ツイてるなぁ~!」

「赤城さんは何でボクのこと知ってるんですか」

「そりゃ普通にネットニュースよ。友達に紹介されたんだわ。さて、マサ君は何しに弊学に?」

「学校説明会です。舞の文化や歴史に興味があって、その道の第一人者がいるこの大学を目指してるんです」

「マジっ?アタシが目指してる研究室の後輩ってことじゃん!嬉しい~っ!」


 赤城は片腕を伸ばし、一方的に肩を組んできた。

 流石に青井もびっくりして、ベンチの脚にオリーブ色の蛇体をぎゅっと巻き付けてしまう。

 

「目指してるって……まだ入ってはないんですね」

「まだ2年生だもん。まっ、たまにゼミに参加させてもらってるし、100%配属決定みたいなもんだけどね」


 触覚を右手の指で撫でながら、赤城はドヤ顔を決めた。反応に困っていると木枯らしがぴゅうと吹いて、落ち葉がくるくると転がっていった。

 

「……しかしキミ、菜調ちゃんに目をつけるとはセンスあるねぇ」

「お姉さんもファンなんですか?」

「そうだね。一応ファン……ってことになるのかなっ」


 赤城は腕を組みながら、少し落ち着いた声を出した。

 それまでの明るく弾けるようなテンションの延長線上ではあったものの、何か”にごり”のあるような声だった。


 青井が不思議に思っていると、冷たい風がびゅうと吹き付ける。

 2人は野ざらしになった下半身が寒くて、それぞれの長い身体をぎゅっと丸めた。それに気づき、2人は目を合わせて見つめあう。


「寒いですね」

「だね。…………もし良かったら、暖かい所で話さない?ジュース奢るからさ」

「そうですね……お願いします」

 

 青井は少し迷ったが、彼女に付いていくことにした。彼女と話すことは、あまり嫌には感じなかった。それに、彼女が菜調について何かしっているかのように感じたのだ。もちろん、単なる変なファンの可能性も捨てきれないが……。

 

     ◇


 2人がたどり着いたのは、大学寮の一室だった。

 

 扉を開けると、無数の本や資料、それにタオルや筋トレグッズなどが散乱していた。

 ゴミ屋敷の数歩手前と呼べるような状況に、青井は肩をすくめた。扉を開けるまではウキウキだった赤城も、その光景を見て”あちゃ~”と頭を抱えた。

 

「こういうのを”足の踏み場がない”って言うんでしたっけ」

「もの知りじゃないか少年。さらに補足すると、それは悪口だっ」

 

 本人は自覚していなかったが、今日の青井は少し毒舌だった。本来の彼のマイペースさに、菜調のことで神経がピリピリしていることが合わさった結果もたらされた、レアな光景だ。

 

「まぁアタシは脚が細いからどうってことないんだけどねっ!……あー、でもマサ君的にはスペースないと困るのか。ちょっと待って、今片付けるわ」

「あの、手伝いましょうか?」

「助かる~!空のペットボトルとかまとめといてよ」

「了解です」


 こうして、2人は狭い部屋の掃除を始めた。

 

 あまりにもスペースがなかったから、あちこちでムカデの身体と蛇の身体が交差する。

 たくさんの細い脚が鱗に擦れるのがくすぐったくて、青井はしばしば「ひゃっ」と声を上げる。


「……なんかゴメンね」

「気にしないでくださいっ」


 青井は赤くなった顔をそっぽに向けながら、やや投げやり気味に返事をした。

 大学生の女性の脚にわしゃわしゃとくすぐられたら、流石に恥ずかしくなる。ムカデの彼女はそんなこと全く気付いていない様子なのが、余計に恥ずかしい。それを隠すように、青井は無理やり話題をらそうとしてみる。


「にしても、随分散らかしましたね」

「下半身が多少何かに埋もれてた方が居心地良いじゃん?」

「それはまあ……わからなくもないです」

「だよねだよねっ!」


 雑談の傍らで、彼女は強盗でも入ったかのように散乱していた本を集めると、山にして部屋の隅に積み上げる。ざらざらした質感の分厚い表紙には、太いかすれた文字で”百足むかで舞踊近代史”と書かれている。よく見れば山積みの本はいずれも、百足むかで舞踊に関する学術的な本だ。


百足むかで舞踊……日本のムカデ蟲人の伝統舞踊でしたっけ」


 その言葉を耳にするなり、赤城はムカデの身体を”ぐいん”と直角以上に捻って青井を見やる。

 

「うむ、その通りっ。伝統ある、世界一カッコいい舞が百足むかで舞踊なのだ!」

「その歴史まで調べられるなんて、相当お好きなんですね」

「どれだけ熱意を向けても、百足むかで舞踊はそれに応えてくれるほどの魅力があるからねっ!……まっ、シンプルにアタシが歴史とダンスが好きってのも大きいけどね」


 赤城が体勢を戻して掃除に復帰しようとすると、身体がぶつかり本の山が倒壊。彼女が慌ててそれを直そうと長い身体をもぞもぞ動かすと、今度は逆サイドの本が崩れ落ちる。赤城は悲鳴をあげ、青井は頭を抱える。


「赤城さん、本棚を買いましょう」

「……はい」


     ◇


 数分間の片づけの末に、床の面積がそれなりに見えるようになっていた。


「ふぅ、片付いた~。ありがとねっ」

「大丈夫です、良い気分転換になりましたから」

「そんな気遣わんで良いよ~。ほれっ、お礼」


 赤城は冷蔵庫から取り出した缶ジュースを、ぽいっと曲線状に投げた。

 缶はくるくると回転しながら、青井の手の中に飛び込んだ。ホールインワンだ。


 青井がジュースを投げられたこととその精度に驚いているのを、赤城は座りながらにやにやと見つめつつ、ぷしゅっと缶を開ける。その音に目を覚まされたように、青井も慌ててそれに続いて缶を開けると、隙間に細い舌を差し込んだ。果汁の甘さが、舌に染みてくる。


「……美味しいです」

「そりゃ良かった」

「ところで、赤城さんも舞……百足舞踊をされるんですね」

「そう!正確には伝統的な百足舞踊から派生したダンスだね」


 青井はスマホで映像を見せられる。

 そこに映ったのは、薄暗い屋内ステージいっぱいに集まった観客を前に、青白いスポットライトを当てられて踊る赤城の姿。

 その一挙手一投足は空気を切り裂くように鋭く、顔つきは凛としている。


 自分に掃除を手伝わせた気さくな女性と、映像の中の凛々しい女性が同一人物だということがどうにも実感がわかない。思わず目の前の女性を二度見する。しかし、映像の女性と外見は一致している。本当に同一人物らしい。


「どぉ?カッコいいっしょ」


 彼女は腰を曲げ、視線の高さを合わせながら期待のまなざしを向けてくる。


「確かに良かったです」

「でしょでしょ!?やっぱムカデのダンスが世界一ってことよ!」

「いや、3位です。ボクの実家の舞と菜調さんのダンスが同率1位です」

「手厳しいなぁ~」

「気遣いはいらないって言いましたよね」


 目を細めて女性を見やると、彼女の触覚がしおれていく。かわいそうなので、これ以上は言わないことにした。

 そんなことより、映像を見て気になることがあった。”世界一”という言葉で思い出したのだが、どうやら大会が国内のものではなさそうなのだ。


「赤城さん、これって海外の大会ですか?」

「そぉの通りっ!ムカデのダンスを世界一にするべく、日夜戦っているのだぁ!」


 赤城はえっへんと、背中を後方に逸らす。腰の下に連なるムカデのお腹が突き出され、てかてかした光沢が目に映った。


「良いですね、夢があるって」

「そういうマサ君はどうなの?夢とか目標とかさっ!」

「実家の神社を守り、あわよくば繁栄させることですねっ」

「おっ、即答。すごいねぇ」

 

 赤城にそう称されたことに、青井自身も少し驚いた。


 自分はいつの間にか、神社を守り抜くという夢をはっきりと口に出せるようになっていた。

 

 この想い自体は、幼少のころから抱いていた。

 だが、どこかで半分諦めていたのか、これが自分の夢だと言い切ることはできなかった。少なくとも夢やビジョンを聞かれた際、即答するような真似はできなかった。

 

 いつから自分は変わったのか一瞬だけ疑問を覚えたが、すぐに答えにたどり着いた。

 

「……菜調さんのお陰です」

 

 即答した理由を問われたわけでもないのに、気が付いたら口から出ていた。

 それを聞いた赤城の目つきが変わり、触覚がぴんと立つ。

 

「以前のボクなら、こんな自信をもって夢を語れなかったと思います。でも、菜調さんのパフォーマンスに勇気づけられたんです。不可能なんてない、諦めちゃダメなんだって。彼女がそうしたように、ボクも自分が信じるパフォーマンスで、人の心を動かせるはずだって!」


 彼女のことを語っていると、自然と胸が熱くなっていた。口を動かしている間は、なんだか晴れやかな気分だった。


「わかるよ、その気持ち」

「えっ!?」

「……アタシも、彼女に夢を動かされたんだ。世界中からダンサーが集まる大会で優勝すれば、ムカデのダンスが世界最強だと示せる……アタシはずっとそう考えていた。でも、彼女のダンスを見て、ちょっと考えが変わった」


 赤城は持っていた缶をテーブルの上に置く。”こん”と金属の音が小さな部屋に響いた。

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