第7章 希望の日差し
雨上がり
これは、後に”菜調”と名乗る少女の物語。
~11年前~
「次、斎藤さん。発表お願いします。」
「えっ、えと……さ、斎藤
――おい、あいつまだダンサーになるとか言ってるぞ。
――ダンサーって踊るのを職業にする人だっけ。そんなんで稼げるの?
――バカ、そんなの聞いたことねーよ。
――しかも、世界中の人を元気にするって。頭お花畑か?
――アイツに元気にされる人なんて、この世に1人もいねぇだろ。
――まともに喋れねぇもんな、あいつ。気持ちわりぃ。
――そもそもマムシだろ?あいつ人を楽しませる権利はねぇよ。
「ぇ、ぅ、ぅぅ……」
「皆さん、静かに。斎藤さん泣いちゃったでしょ。……斎藤さん、発表続けられますか?」
「ひぃ、うぇ……」
「仕方ないですね。じゃあ次、酒井さんお願いします……」
将来の夢の発表を失敗に終えた私は、泣きべそをかきながら席に座った。
原稿用紙に書いた私の夢は、涙で滲んで読めなくなっていた。
私は用紙をくしゃくしゃに丸めて、落書きされた引き出しの中にしまいこんだ。
◇
私はいつも、独りだった。
牙から毒が出るから?
喋るのが苦手だから?
怖がりで泣き虫だから?
何が原因なのかはわからない。でも、とにかく私は孤独だった。
学校では常に、とぐろをぎゅっと締めてうずくまり、耳をふさいでいた。
私はずっと、自分が生きる意味を見出せなかった。
そんな私が出会ったのが、ダンスだった。
親が家にいない時、偶然TVに映った人魚のダンスに、私は目を奪われた。
人魚が何mものジャンプを決め、空中でくるくると旋回し、大きな着水音をたててダイブする。
その迫力に満ちた姿が、目に焼き付いた。
私は人魚のことを、大人しくて優雅な人だと思っていた。
しかし、そのイメージは彼らのダンスを見て、一瞬で崩された。TVの中のダンサー達は、一言も喋らないで、私の偏見を塗り替えたんだ。
その体験は、私にとって希望になった。
――私もこんなダンスができれば、新しい自分になれるのかな?
口下手で泣き虫でも、毒蛇でも、友達ができるのかな?
気が付いたら、テレビの録画ボタンを押していた。
真っ暗だった私の世界に、一筋の光が見えた。
◇
その日から私は、人魚のように踊ることを目指した。
図書室でたくさん本を借りて勉強して、自分なりにジャンプやスピンの練習を重ねた。
やればやるほど、私はダンスに夢中になっていた。空虚だった私の人生に、ダンスを上達させるという明確な行動指針が生まれた。TVで観たパフォーマーのようにダンスを職業にしたいと考えるようになるまで、時間はかからなかった。
あのパフォーマンスは、まさに私の人生にとって希望になっていたのだ。
そして、私にも夢ができた。
私が光を与えられたように、私もダンスで誰かの希望になりたい。
一方で、そんな私を応援してくれる人はいなかった。
それも嫌われ者の私が芸者として皆に希望を与えるだなんて、鼻で笑われるのも当然だ。
新しい自分に変わりたくて踊り始めたのに、踊れば踊るほど、私はますます孤独になっていた。
◇
それから、1年が経った。
学校の窓の外でクマゼミがしゃあしゃあとやかましく鳴く中で、クラスメイト達が夏休みの予定について楽しく話している。その傍らで私は独り、他人の視線に怯えながら、自分の席にぎゅっと巻き付きついてうずくまる――そんな日が続いていた。
大好きなダンスの練習も、学校では怖くてできなくなっていた。もはや学校では生きた心地がしなかった。
それでも、私は踊るのを止めなかった。
私にはそれしかなかったから。踊ることを止めたら、私という存在も止まってしまいそうだから。
だけど、そんな私にとっても、オアシスと呼べるような場所があった。
街の図書館だった。
ここには、私の夢を実現する方法がたくさん書いてある。蛇体の鍛え方も、他の種族の人たちのダンス技術も、好きなだけ知ることができる。本は自ずと私に知識を教えてくれるから、喋るのが苦手でも関係ない。そして、静かな図書館では誰にも悪口を言われない。誰にも邪魔されず、思う存分に私の夢を追及できる。
私は図書館の虜になっていた。放課後や休日の時間の多くはダンスの練習に割いていたが、天気が悪かったり脱皮の前後で激しい運動ができない時には、図書館で時間を過ごしていた。
この日も、雨が降っていたので図書館に籠っていた。ざあざあという心地の良い雨音に耳を傾けながら、自分の世界に浸る至福の時間は、何にも代えがたいものだった。私は閉館時間まで読書を満喫した。
◇
図書館からの帰路。
雨雲で月が隠されて、夜道は真っ暗闇だった。田舎町だから外灯の整備も進んでいない。ピット器官である程度は周囲の状況を把握できるが、それでもなお漠然とした不安を感じた。
その中で、自宅の窓に明かりが灯っているのを発見。だが、それは私に安寧を与えるものではない。気分が楽になるどころか、蛇体がずしりと重くなるのを感じた。
深呼吸して、蛇体をぎゅっと引き締めてから、ドアノブに手をかけた。
夏の外気に晒された金属のぬるさが、薄い鱗に覆われた右手を覆った。
私は無言で扉を開く。私の黒い長髪から、ぽとぽとと雨水がしたたり落ちる。玄関に備え付けられたタオルで髪を拭き、別のタオルで蛇体についた泥を拭いていると、耳に馴染んだ甲高い声が建物の奥から聞こえた。
「あら、モカちゃんおかえり」
私はとっさにタオルから手を離し、近くに置いていたバッグに手を伸ばした。
声の主――母がやってきた。 母は首を下に傾けて私と目を合わせようとするが、それに応じようと思わなかった。うつむきながら、はちきれそうなくらいに本を詰め込んだトートバックを抱きしめる。
「……お、お母さん、もう帰ってきてたんだ」
「用事が早く終わったのよ。あら、この前買ってあげたお洋服着てくれたの?嬉しいわ。雨で汚れてない?」
「大丈夫」
「良かった。すぐお洗濯してあげますからね。それで、今日も図書館でお勉強してきたの?」
「う、うん……」
私はバッグを力強く抱きしめたまま、ひっそりと部屋に戻ろうとした。母と目を合わさないようにして、何も起きないことを願った。
「ねえ、モカちゃん。図書館で人魚向けのダンスの本借りてるって本当?」
私の両手が、ぷるぷると震えた。姿勢を低くして、身を埋めるようにバッグを強く抱きしめた。
下半身は無意識の内に硬いとぐろを巻いて、身をきゅっと締めていた。
「司書の方に電話で聞いたのよ。モカちゃん、どんな本を読んでるか全然教えてくれないから、まさか怪しい思想の本を読んでないか心配だったのよ。何度も電話しても教えてくれなくて、大変だったんだから」
「えっ、ぁ…………」
母はずんずんと私の方に近づくと、カツアゲするように私のバッグをかっさらう。私は身体のバランスを崩し、床にべちゃんと転がった。
しかし、母の関心は私ではなく、私のかばんに向けられていた。彼女の腕が野菜を引き抜くように、カバンの中から本を抜き出す。そして、彼女は本を片手に、私のことを見下ろしながら睨んできた。
「モカちゃん、これは何? もうダンサーになるのは諦めるって、約束したよね?」
その声は、怒りと失望で溢れていた。他人の気持ちを考えるのが苦手でも、あからさまにわかった。
全身の鱗が逆立ち、夏だというのに寒気が身体中を覆いつくした。
「そ、それは…………」
「やめて、恥ずかしいから。もう4年生なんだよ?」
母の瞳は、色褪せていた。それだけでなく、私の”色”までもをかき消してくるみたいだ。本能的な恐怖を覚えた。
私は無意識に、自らの震える蛇体にしがみついた。蛇体から拭き取れきれていなかった泥が、顔にべちゃりと貼りついた。冷たくて、気持ち悪い。
「ダンサーって真面目に働かないで、乞食みたいに駅前でお金をもらうんでしょ?みっともないから、止めなさい」
「ちがうっ!だ、ダンサーはそんな、そんなんじゃ、ぁ……」
反射的に否定したが、具体的な言葉は続かなかった。パニックで、頭の中がぐちゃぐちゃだ。
口をあわあわと震わせているうちに、”私の番”は終わり、母が再び話し手となった。
「私はね、モカちゃんのことが心配なの。考えたことある?近所中から、後ろ指刺されて笑われるんだよ?『またあの子、働いてないでダンスなんかしてる』『あれって斎藤さんの子でしょ?』って。お母さんはね、耐えられない。一生懸命育てたモカちゃんに、嫌な思いしてほしくないの」
その仕草は、ミュージカルを想起させるほどに感情的だった。雨音を打ち消すほどに声は大きくて、言葉の1つ1つが太い文字で脳内に浮かんだ。眼は獲物をみつけた熊のように開かれていた。それでも、色褪せた視線がどこに向けられているかはわからなかった。
「特にモカちゃんは他の人以上に努力しなきゃいけないの。わかるよね?だからね、お願い。頼むから、変なことしないで。普通にお友達と同じように遊んで、普通に就職にして、普通にお嫁さんになってくれれば、それで良いのよ。……前に学校の授業参観で、将来の夢を”ちゃんと”発表してくれた時には、お母さん本当に嬉しかったんだよ。それなのに……、それなのに、モカちゃんは私のことを裏切るのっ!?」
母は突然叫び出した。私の一切の発言を打ち消すかのような権幕だった。
私はひたすら、頭を垂れることしかできなかった。
視界が無機質な床で埋まった。涙の洪水で、何も見えなくなった。
「全く、昔は”ママ大好き”が口癖の甘えん坊だったのに、どうしてこうなっちゃったの!?…………良い?これは私が明日返してきます。もうこんなことは止めなさい」
私は自分の部屋に逃げ込み、叩きつけるように尻尾で扉を閉めた。ばんっ、と衝撃音が響いた。
明かりもつけずに部屋の隅に飛び込むと、楕円状のとぐろを巻いて、その隙間に顔を埋めた。頬に触れた冷たい鱗に、どこか寂しさを覚えた。
その晩中、私は泣き続けた。弱々しい私の声は、ざあざあという激しい雨音に打ち消された。
窓の外から、からからと硬いものが転がる音が聞こえた。植木鉢が雨風で飛ばされたのだろうか。
私の世界を照らしていた光は、もはや今にも消えそうなロウソクのようになっていた。
次に風が吹いたら、今度は私の夢が吹き飛ばされるのかな。
◇
翌日の土曜日、私は朝ごはんも食べずに家を飛び出した。
昨日の雨はあがっていた。空は澄んでいるのかもしれないし、虹を探す人もいるのかもしれない。でも、私はそんな気分ではなかった。私はひたすらうつむいたままで、空なんて見なかった。
蛇腹が汚れるのも気にせず、ぬかるんだ地面を突っ切った。向かったのは、いつもダンスの練習をしている寂れた空地。
周囲が木々に覆われていて目立たないし、ちゃんとした公園でもないからクラスメイトと遭遇することが少ない。それに、当時にしては珍しく土管があったから、誰かが来ても隠れられた。どこかから種が飛んできたのか、一輪のひまわりが咲いているのもお気に入りだった。
その場所で私は、ひたすらに踊り続けた。
波打ち際のように泥のしぶきがあがるが、気にしなかった。
踊っている間だけは、頭を空っぽにできる。苦しみから逃れられる。
私が、私のままでいられる。
私の夢は、もはや風前の灯火だった。でも、絶対に手放してはいけないような気がしていた。
だから、あがくように踊り続けていた。
その時だった。
「わぁっ!すごいダンスだぁっ!」
背後から声がした。透き通るように綺麗で、それでいて弾けるように元気だった。
「え、だ、だれ…………なに……」
恐る恐る振り返ると、少女が2本の脚で立っていた。
彼女はセミロングの銀髪を風に揺らしながら、明るい笑みを浮かべていた。
暗闇で生きていた私には、その光はあまりにも眩しかった。
まるで、彼女は太陽だった。
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