変わらないもの、変わるべきもの

 消えた昼食のサンドウィッチを追って、大きな街路樹のもとにやってきた智歩。彼女は顔を上げ、木の上でサンドウィッチを夢中でほおばっている翼人を見やった。

 そして、ため息を1つついてから、低い声を翼人にかけた。

 

「……やっぱり貴女でしたか、ユリカさん」


 ユリカと呼ばれた金髪の女性は、反射的に首を動かして智歩に顔を向ける。そして、サンドウィッチの残りを口に放り込むと、ばたばたと両翼を振って返事をした。


「智歩っ、久しぶり~!実際に会うと、やっぱり感慨深いねぇ!最近急に涼しくなったけど、体調崩してない?」

 

 ユリカが翼を動かすと、布団をたたいた時のようにグレーの羽毛がふぁさっと舞い、ひらひらと落ちていく。

 それが美しい天使が降臨する場面なら神秘的だろう、と智歩は思った。残念ながら目の前にいるのは、食い意地が張った幼馴染なのだが。


 ユリカがはしゃぐ一方で、智歩は”再会の感動”のようなものは覚えなかった。彼女と同じ事務所に所属した時点で、いつか顔を合わせるだろうという予測はできていた。

 ここまでの条件は彼女も同じかもしれない。だが、自分は今猛烈に機嫌が悪い。ゆえに、実際に会ったことへの感動よりも、怒りの方が前に出ていたのだ。


「どうも。誰かさんのせいで、すっかり冷えた気分ですよ」

「そっか、元気そうで良かった。本当に寒くなったら私に言うんだぞぉ、羽毛貸したげるからさ」


 ユリカはウミネコ譲りの灰色の翼をゆさゆさ揺らしながら、得意げな顔をする。彼女の振る舞いや発言。それらは、智歩が幼少期に接していたユリカの姿と変わらなかった。



    ◇



 幼稚園で、智歩が独りでお弁当を食べていた時におかずをユリカに盗られたのが、智歩とユリカの出会いだった。それからもユリカは智歩の気を引くためか、隙を見つけては智歩の食べ物をつまみ食いを続け、その度に智歩はユリカに怒っていた。それを繰り返すうちに、2人は友達になっていた。


 それから2人は中学卒業までの間、常に一緒にいた。その中で、ユリカは智歩のことを何かと気にかけていた。日常的な悩みから進路の決断まで、智歩が悩んだときはいつでも、ユリカは相談に乗ってくれていた。智歩がくしゃみをした日には、ユリカが駆けつけて、智歩を羽毛で包んでいた。



     ◇

 


 好きなところも残念なところも、全て智歩が知っているユリカのままだった。そんな彼女に、智歩は少しの呆れと、無自覚だが確実な安心感を覚えた。


「はいはい……。しかし、中学生のころから変わってないですね、ユリカさん。まさか、つまみ食いの悪癖が治ってないとは思いませんでしたよ」

「ごめんって、久々に智歩の顔見たら我慢できなくってつい……。普段はこういうことする相手いないからさ」

「そうですか。……で、どうしてくれるんです?私の昼食」

「それは……本当にごめん。今度ごはん奢るよ、何でも好きな物!」

「うなぎ。この辺りで1番美味しいうなぎ丼の店をお願いします」

「マジか……」

「言いましたよね?好きなもの奢ってくれるって」

「しょ、証拠はあるのかな……」


 ユリカは苦笑いを浮かべるものの、智歩が硬い表情で”きっ”と睨みつけてくるのを見て、しゅんと口角を下げる。そして彼女は、観念したように思い切り頭を下げた。


「わ……わかった!ウナギ奢るからっ!」

「約束ですよ」

「はいはい。それにしても智歩、相変わらずウナギ好きだねぇ。……って、そんなことより大事な話があるんだわ」


 ユリカは広げた翼をばさばさと動かして木の枝から飛び出すと、智歩の隣に軽やかに着地した。体重がかなり軽いためか、着地音は非常に静かだ。

 そのまま彼女は目の前にあったベンチに座ると、片手の爪で羽を弄りながら地歩を見やった。


「意外だよ、智歩がタレントデビューなんてさ。すっかりコンサル辺りに興味を持つものだと思い込んでたよ」

「……私も驚いてます。ユリカさんに『芸能は辛いぞ』って呪いのように刷り込まれましたしね」

「呪い!?そ、それは単に愚痴に付き合ってもらっただけでしょうが!」


 ベンチにちょこんと座ったユリカが、丸い眼でじっと智歩を見やる。


「…………で、どうして芸能の世界に来たの?」


 智歩もとぼとぼとベンチに向かうと、ユリカの隣に腰かけた。そして、うつむきながら口を開いた。


「輝きたいという”夢”を叶えるためです。」

「そっかぁ。……そこも変わらないんだね、智歩の”輝き”好き。なんか安心したよ」


 ユリカはどこか安堵したように、目元を緩ませる。冗談を言うような雰囲気ではなく、もっと穏やかな表情だった。

 その一方で、智歩の顔は曇りつつあった。”変わっていない”という言葉が、ぐさりと智歩の胸に突き刺さっていた。そんな智歩を横目に、ユリカは話し続ける。


「でも、やっぱり智歩自身がタレントになるのは意外だなぁ。芸能界に来るにしても、智歩は裏方志望なイメージだったから。ほら、一緒にバンド組んでた時もライブの準備とか頑張ってくれたしさ」

「そうですね。――私は変わってない」

「……どういうこと?」


 深刻そうな様子を見せた智歩に、ユリカも両翼を膝の上に置いて、真剣な表情で智歩を見やる。智歩はユリカに目を向けず、うつむいたまま話し続ける。


「ユリカさんの言う通り、私は裏方の人間でした。元々は、知り合いのダンサーのプロデューサーをしていたんです。それが、本当に楽しくて。今までにないくらい、無我夢中でのめり込みました」

「え?だったら、それで良いんじゃないの?」

「でも、その時の私は”私自身の夢”から目を反らしたまま、他人の夢に乗っかるだけで満足しちゃっていたんです。それじゃあ、私は輝けない。だから、私自身が努力する姿で、沢山の人に元気を与えるんですっ!」


 気迫に満ちた勢いで、智歩は叫んだ。乾いた空気に、智歩の想いが染み渡った。

 

 ユリカは驚いて目をぱちりと開き、何か言おうとしたが、ぐっと吞み込んだ。

 そして、智歩の背中を翼でやさしく包んだ。


「そっか。ほどほどに頑張りなよ。何かあったら相談に乗るからさっ」

「ユリカさん……」


 智歩はうつむいたまま、ベンチから腰を上げた。相談に乗ると言ってくれたのは嬉しいが、多分彼女に相談することはないだろうな、と智歩は思った。


 ユリカは、幼い頃から常に自分のことを気にかけてくれていた。

 だからこそ、そんな彼女の元から巣立ちしなければという想いが、無意識の内に芽生えていた。その結果、蛇人の土地への引っ越しをした辺りから、ユリカへの相談はしないようになっていた。ユリカと同じ事務所への所属が決まったことも、彼女には一切伝えなかったのだ。


 ――そうか。自分が夢に近づくきっかけを掴めたのは、ユリカへの甘えを断ち切ったからなのかもしれない。私は甘えられる相手がいれば、とことん甘えてしまう。


 ならば、菜調さんへの依存も、断ち切らなければいけない。


 覚悟を決めた智歩は顔を上げると、空元気の笑顔をユリカに向けた。


「ユリカさん、ありがとうございます。お陰で考えを整理できました」

「……良かった。じゃあ私は次の用事があるからこの辺で。私も”気になっていたこと”を確認できて良かったよ!じゃあねっ!」

 

 ユリカは智歩に背を向けると、瞬く間に身をかがめ、両翼を思い切り広げた。

 その左右を合わせた幅は、身長を大きく超えるほどだ。縮こまっていた身体から一気にそれが展開するのは迫力満点で、幼少期から見慣れていてた智歩でも、心臓がきゅっと驚いてしまうほどだ。


 智歩がびっくりしている間に、ユリカはばさばさと飛んで行ってしまった。


 智歩は彼女を見送る中で、腹の虫が鳴くのを感じた。

 そういえば、結局のところ昼食はまだ食べられていないのだった。


 智歩は腕時計を見やる。幸い、昼休みの終了まで、時間はまだ残っている。早足で近くのコンビニに向かう中で、智歩はユリカの行動について思い返した。


 よく考えれば、ユリカに昼食を奪われたことへの呆れと怒りで気持ちをリセットできたから、ある程度冷静に話をすることができたのだろう。――実際に、自分がどこまで冷静でいられたかはわからないが、多少はマシになっていたはずだ。

 もしかしたら、自分が悩んでいるのを察して、ユリカは狙って行動したのかもしれない。


 それに、自分がユリカへの相談を控えようとしていることも、彼女はおそらく察している。だからこそ、「なんで事務所入りを伝えなかったんだ」という当然の疑問は口にせず、相談ごとがあったら受け入れるということだけを私に伝えたんだ。


 やっぱり、彼女はすごい。だからこそ、自分も立派にならなければ。



    ◇



 ユリカと向き合ってから、智歩は一層タレント活動の準備にのめりこんだ。

 嶋田も智歩の想いを汲んだのか、タレントになるための指導も本格化させるようになった。


 一方で、菜調さんとの会議は淡々と済ませるように意識するようになった。

 必要な要件を伝え、彼女からの質問や報告に対応する。それだけをスマートに済ませるようになった。


 こうして、芸能事務所に所属してから、あっという間に数週間が経過した。


 この日の夜、智歩は嶋田から呼び出され、錦糸町にある巨大な電波塔を訪れていた。

 高さ600mを超えるその塔は、合金の強靭なボディを輝かせながら、黒く染まった空を貫いている。

 

 そんな塔の展望台の入場口前で、智歩は夜風に当たりながら、嶋田の到着を待っていた。


 今日はスーツのボトムとして、普段のズボンではなくスカートを履いてきていた。これも、かつての自分から変化したいという気持ちの表れだ。晒された素足に、ほどよい涼しさの風が吹きつけて気持ちがいい。

 

 何分か待っていると、嶋田が到着した。


「お待たせ、高崎さん。仕事が少し長引いちゃって」

「いえ、平気です。しかし、何で電波塔の展望台に?」

「好きなのよ、ここからの夜景が。高崎さんは最近になって東京に来たんでしょう?だから、折角だし紹介しておきたくて」

「なるほど。ありがとうございます」

「ささ、早く行きましょう。もうすぐ入場可能時間を過ぎてしまうわ」

 

 智歩と嶋田は塔の入場口を区切り、展望台に向かうエレベーターに入り込んだ。


 自動ドアがゆっくりと閉じられて、密室には智歩と嶋田の2人だけになった。

 

「どう?1週間、タレント活動をやってみて」

「正直なところ、いろいろなことが起こりすぎていて、理解が追い付いていない部分もあります。でも、自分が変化できているという手ごたえは感じますね。だから、やれて良かったと感じてます」

「そう言ってもらえると嬉しいわ。まだ分からないことばかりなのは大丈夫よ。だれだって初めはそうだから」

「そうなんですか?」

「ええ。高崎さんならきっと、立派なスターになれるわ」


 狭くてエレベーターの中で、嶋田の声が反響する。薄暗い足元では、嶋田の蛇体がびっちりと詰まっている。

 自分ならスターになれる――その言葉が、智歩の頭の中で存在感を強めていった。

 

 エレベーターの扉が開く。

 営業時間ギリギリの深夜だったため、展望台にはあまり人影は見られなかった。もはや貸し切り状態に近い。


「高崎さん、いらっしゃい」


 先導する嶋田に手招きされて、智歩は展望台のガラス窓に近づいた。


 足元には、どこまでも夜景が続いていた。満天の星空をひっくり返して、地面側に移動させたかのようだ。

 それでいて、暗闇の中に浮かぶ建物の光がビルや街の輪郭を描き、生き生きとした都市の姿を映し出している。

 手が届きそうにない神秘的な光の幻想と、自分たちの現実の生活に紐づいた臨場感。その2つが絶妙に混ざった景色には、ただただ息をのむしかない。


「私はね、この電波塔のようになりたいと思っていたの」

「え?電波塔に……ですか?」


 驚いて目をぱちぱちと開ける智歩に、嶋田は「ふふっ」と優しく微笑んだ。


「私はもともと、自分がスターになりたいと思っていたの。TVのチャンネルを変えても画面上に映り続けているような、国民の誰もが釘付けになるスーパースターに。……でも、それは無理だとすぐに悟ったわ」


 嶋田は目線を、眼下に広がる夜景に向ける。それに釣られて、智歩も景色に視線を向ける。


「ここに広がる建物の光……街に人々が息づく証なの。遠くから見れば同じ光に見えるけれど、目を凝らせば色も形も微妙に違う」

「たしかに。白や黄色、長方形に正方形――1つ1つが違いますね」

「――そう。人は皆、”同じ”ではないの。人の数だけ趣味があり、趣向がある。だから、”誰からも愛されるスーパースター”なんて存在は、実現しえない。……でもね」


 嶋田の声のトーンが、1段低く、力強くなった。

 智歩の目の前にあるガラスの窓に、嶋田の穏やかな顔が映りこむ。その赤い瞳は、炎のように燃えている。

 

「ここから見える街の人々は皆、この塔から放たれる電波に乗って届く”誰かしらの”スターの姿に夢中になっている。この展望台から見える景色の隅々まで――いや、それよりも遥か遠くまで。そこにいる誰もが、この電波塔によって夢を見ている。そう、この塔は正に、趣向を問わずにたくさんの人を夢中にしているの。高崎さん、これが何を意味するかわかる?」

「つまり、1人のスターが全ての人を釘付けにするのが無理でも、多様なスターを送り出す存在になれば、結果的にあらゆる人を夢中にできる――?」

「そう!だから私は、プロデューサーの道を選んだ。それも、他の業界人がやらないくらい、幅広い分野に手を出したの。既存の事務所だとそれを実現できないから、自分の手で新しい事務所も立ち上げたわ」


 智歩の耳元で、嶋田はゆっくりと、熱く夢を語った。

 静かな展望台の中で、嶋田の言葉の1つ1つが、くっきりと輪郭を描いた。暗闇の中に街の姿を描く、夜景の光のように。


 地平線が見えるほどまで広がる景色と、嶋田が語る壮大な野望。その2つが、糸で縫い付けられるように結びついた。


「なるほど、電波塔のようになりたい――素敵だと思います」

「ありがとう。でもね、私が電波塔に憧れているのは、それだけじゃないの」


 嶋田は微笑みながら振り向いて、ガラス窓に向けていた視線を展望デッキの内側に向ける。

 彼女はゆっくりと周囲を見渡し、2人から離れた場所で夜景を楽しんでいる他の客を撫でるように眺めながら、口を開いた。


「この電波塔はテレビ電波を届ける機能性の施設でありながら、塔自体も多くの人を魅了している。都市のどこからでも見える、偉大なランドマークとして。そして、観光施設としてもね」

「……」

「――私はプロデューサーの道を進みつつも、自身がスターになる夢にも未練があった。だから、自分自身もタレントとして売り込んでいたの。だから、そんな私にとって、この電波塔は私が目指す姿なのよ」


 嶋田は遠くの観光客をしみじみと眺めながら、やさしく息を吐いた。智歩には、彼女の姿が凛々しく、力強く見えた。彼女の腰から伸びる金色の蛇体が、展望デッキ内の妖しい紫のライトで照らされて煌めいていた。その光沢が、夜景に負けないくらい光っているように見えた。


 以前、彼女の赤い瞳に吸い込まれるような感覚を覚えたことがある。だが、今は違う。嶋田という女性のすべてが、ブラックホールのごとく自身の意識を吸い寄せていた。


「カッコいいです。嶋田さん」

「ありがとう。高崎さんにそう言ってもらえると嬉しいわ。――そんな高崎さんに、お願いがあるの」


 嶋田は微笑むと、蛇体を優雅にうねらせながら、静かにこちらに近づいてきた。

 壮大な夢を語った存在が、こちらに視線を向けて、接近してくる。その姿に、巨大な象が一歩ずつ迫ってくるような緊張感を覚えた。足音を立てない彼女の代わりに、どくんどくんと自分の心臓が音を響かせる。


 女性の細い腕が、自分の肩の上に乗せられる。ふわりと軽い感触なのに、漬物石を載せられたような重量感。

 

 嶋田はゆっくりと、小さく口を開く。サメのような細かい歯が口の中から現れ、ぎらりと光る。赤い瞳が、じっとこちらを見る。

 智歩はごくりと唾をのんだ。

 

「高崎ちゃん、私の後継者になってくれない?」

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