高崎プロデューサー
青井の崖登りを見た後、3人は神社の関係者スペースへと戻った。
改めて、青井からのPRの依頼について話し合うのだ。
和紙が張られた照明の柔らかい光が滲む、落ち着いた雰囲気の畳の部屋。
どこか薄暗さを感じるその空間で、青井の蛇体を覆う深緑の鱗が光沢を放つ。干し草のように生気のない畳の床に、蛇体の表面に走る光の筋が映えていた。
そんな下半身で大きな楕円を描きながら、巫の装束を再び纏った少年が口を開いた。
「ボクからお願いしたいのは、ボク達の
「なるほど。……そうなると、やっぱり
「はい、将来的にはそれを予定しています~」
「儀式はそんな頻繁にやっていいものなのか?」
「大丈夫です、菜調さん~。元々、週に1回やることになってましたから!それ以上増やすと太陽の神様も飽きちゃうみたいですけどねぇ」
菜調の鋭い指摘に、青井は柔和な笑みを浮かべながら答える。
彼は従来の慣習を柔軟に見直す一方で、『ここは変えてはいけない』という軸をしっかり持っているようだ。
「青井さんの話をまとめると、儀式をアピールして興味を持ってもらうこと、現地で儀式を公開すること……それらのサポートを私に頼みたいんですね」
「そうです~!そうそう、父上――管理人からも許可は取りました!ある程度も出してくれるそうです~」
「えっ、良いんですか?」
「はい〜!前から父上に菜調さんのことを話していて、父上も興味を持ってくれてたんです!だから、菜調さんの活躍を裏から支えた実績がある高崎さんになら、任せても良いって」
青井は手元にあったノートに綺麗な字を書きこみ、宣伝に使える予算と報酬を提示した。
それを見て、智歩の胸がきゅっと締まる。
普段、自分が見る額じゃない。大手の業者を動かせるほどではないにしろ、学生のポケットマネーのそれを逸脱している。正に”桁違い”だ。
金額の大きさが、そのまま重量を示す値に見える。それが肩にずしりとのしかかる。
建物の和の雰囲気が、緊張感を底上げする。座禅を組んでいるかのような気分。中途半端な気持ちが僅かにでも漏れ出したら、背後から木の棒で引っぱたかれそうだ。
でも、今の自分の気持ちはブレない。
むしろ、責任の大きい仕事に、どこか心を躍る感覚すら覚えた。
「わかりました、私達に任せてくださいっ!」
◇
「まずは、具体的な目標を考えたいですよねっ」
「ああ。私も智歩に目標を貰ってから、身が引き締まった」
「わかりました~!それなら、良いものがありますよ~」
青井は”白衣”と呼ばれる白い小袖の服に、ごそごそと腕を突っ込む。
そこから端末を取り出すと、何かのチラシの画像を映した。
「毎年、8月末にささやかな夏祭りがあるんです。……といっても、最近は屋台を1,2つ出すだけで、なんとか祭の体裁を保っているだけですが……。でも、ここにお客さんをたくさん呼びたいですっ!」
「わかりました!……となると、やることは2つですね。1つ目は夏祭りにお客さんを呼ぶためのPR。そしてもう1つは……」
「夏祭りの時に、実際に
「その通りですっ!では、まずはPRから考えていきましょう。確か青井さんは既に撮影しているんですよね?」
青井はこくこくと頷くと、端末で動画を映した。
その映像は、地面に固定した定点カメラで、青井の崖登りを撮影したものだった。
青井は無邪気に、にっこり笑った。
「どうです~?床を這ってるのと同じように崖を登ってるように見えますよね?」
「……確かに、この映像は青井さんの”滑らかさ”や”スピード”をばっちり捉えています。説明されなければ、地面を滑っている動画を縦向きに撮影したのかと勘違いしてもおかしくないほどです。……でも、それじゃダメなんです」
「へ?」
「青井さんの崖登りは”冷静に考えれば凄い”んです。でも、この動画を観る人たちは、冷静に考えるまで待ってくれません。一目で”凄い”と思わせなきゃダメなんです」
智歩は、初見で青井の崖登りに感動した。しかし、そこに至ったのは、様々な”前提”の積み重ねがあったからだ。
高くそびえる崖に実際に相対し、その迫力を味わったこと。
蛇人がどのように崖を登るか、菜調から教わっていたこと。
そして、青井の儀式のどこに魅力があるのか、目を凝らしていたこと。
しかし、映像を見せるべき人々には、それが無い。
だからこそ、多くの人に”魅力”を届けるには、知恵と工夫が必要になる。
どのような手段で、何を魅せるのか。
無数の取捨選択と判断を、ひたすら繰り返す必要があるのだ。
青井は不安そうな様子だった。彼らの儀式は身内だけで引き継がれてきたものだから、”客観的な評価”を考えたことが無かったのだろう。
ゆったり広がっていたはずの彼の蛇体は、紐を硬く結んだかのようにぐるぐると巻かれていた。その先端はふるふると小刻みに震えている。
そんな彼の震える蛇体に、智歩は”ぽん”と手を置いた。
心臓が鼓動するように、筋肉が収縮するのが手に伝わる。つやつやの鱗に肌を馴染ませるように、手のひらに優しく力を籠める。
この時、智歩の身体は自ずと動いていた。
自分でも奇妙に思えた。でも、不思議としっくりきた。
「大丈夫です、青井さん。――それを考えるのが、プロデューサーのお仕事ですっ!」
智歩は黄色い眼で、不安げな少年の顔をしっかりと捉えた。
彼と目線が合うと、智歩は優しく口角を上げた。
「……といっても、私も菜調さんとのお仕事で、最近になってから理解したんですけどね……」
智歩は苦笑いを浮かべながら、隣に座る菜調を見やった。
菜調も口元をわずかに緩めて、智歩に視線を送った。
「では、具体的な作戦を考えましょうっ!」
「はい、高崎さん!……あっ、菜調さんはどうされるんですか?」
「確かに……一旦帰ってから、ビデオ通話で話します?」
「私のことは気にしなくて良い。鉄は熱いうちと言うだろう」
「わかりましたっ!青井さん、やりましょうっ!」
そこから智歩と青井は、冬のテントウムシみたいに身を寄せ合いながら、夢中で作戦会議をはじめた。
「青井さんの崖登りの真髄は、単にスムーズなだけじゃないと思います。崖の凹凸に瞬時に吸い付いて、稲妻が走るように蛇行しながら駆け上がる……その迫力と正確さも見逃せないと思うんですっ!」
「言われてみれば、確かに……」
「でも、動画の中の青井さんはランダムに這ってるようにしか見えないんです。……いや、現地で普通に観ても、変わらないかもしれません。だから、青井さんの動きにフォーカスして……」
智歩ははしゃぐような声をあげ、青井はオリーブ色の尻尾をぶんぶん振りながら、2人は白熱の議論を交わす。
2人はせわしなくキーボードを叩いたりメモを取ったりしていたが、その顔には笑顔がずっと浮かんでいた。
そんな2人を、菜調は壁際から目を細めて見守っていた。彼女の黄褐色の尻尾も、ゆらゆらと揺れていた。
◇
それからは、光のような速さで時間が過ぎていった。
智歩は青井と毎日ビデオ通話してPRの計画を練りつつ、時間を作っては彼の元に訪問。PR用の動画を撮影したり、現地でのパフォーマンスを公開するための準備をした。
菜調の手が離せない時には、電車とバスを使って智歩が1人で向かうこともあった。
菜調も彼の元を訪れた際には、マンツーマンで指導を行い、彼のパフォーマンスを磨き上げた。
そして、数週間が経過した。
智歩は自宅で、残り1枚だけになった日めくりカレンダーを見つめた。
8月31日。今夜が、勝負の時だ。
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