信頼の瞳

菜調なつきさん、助けてください!」


 青井は縋り付くような必死さを感じさせる声を出しながら、勢いよく頭を垂れた。

 纏っていた装束が、”ばさり”と重い音を立てる。

 

 おっとりしていた少年が突然に深刻な様子を見せたため、智歩は少し驚く。

 しかし、助けを求められた当人である菜調は、冷静なままだった。そんな彼女に、改めて智歩は頼もしさを覚えた。


「どういうことだ。説明してくれ、青井」




「え、えっと……神社の”儀式パフォーマンス”で、神社を再興させたいんですっ!そこで、菜調さんの力が必要なんですっ!」


 青井はそれまでになかったような真剣なトーンの声で、事情の説明を始めた。

 

「この神社は今、維持が困難な状況に陥っています」


 話を横から聞く智歩は、周囲の景色を見渡す。

 境内の施設は、いずれも整備が行き届いていない。お守りが売られている売店も無人だ。

 曇り雲のような石の床の上を、寂しく木の葉が舞っている。


「ボクはここの”後継者”として、大切な場所を守り抜くために、自分にできることをしてきました。でも、中々上手くいかなくて……」


 智歩は自分達がこの神社に足を踏み入れた時の、青井のリアクションを思い出した。改めて考えると、彼があれだけ喜んだのも納得だ。


 智歩の横から、菜調が疑問を投げる。


「入り口が山奥にあるから参拝が難しいんじゃないか?」

「いえ、皆さんが入ってこられたのは、いわゆる裏口です。集落とのアクセスが良い入り口が別にあります」


 青井はそう言って、大きな白いそでで遠くを指した。その先には大きな石の鳥居、その下にはぽつぽつと民家が見える。


「……でも、山奥だから参拝客が少ないというのは、あながち間違いでもないですね。この辺りの集落は、数十年前から過疎化が深刻なんです。参拝客が減るだけでなく、地元の住民や企業からの支援も滞っているんです」

「なるほど……」

「なので、観光方面で活路を見出そうとして……そこで白羽の矢が立ったのが、ここの伝統的な”儀式”です。それを使って、神社をPRします」

「儀式?」

「はい!ボクたちは神様に、舞の奉納をするんです。ある意味では、神様に向けたパフォーマンスと言えますね~。とてもダイナミックで、見応えがあるんですよ~」

「舞?聞いたことがないな」


 腕を組んで話を聞いていた菜調が、疑問を口にする。彼女は、蛇人ラミアの舞やダンスについては書籍でみっちり調べていた。しかし、青井が語る「ダイナミックな舞の奉納」には心当たりが無かった。

 

「それもそのはずです。ボク達の儀式は、長い間、関係者だけで密かに受け継がれていたんです。……でも、ボクはこの儀式を公開することが、大切な神社を救える切り札だと思いました。それだけの魅力が、ボクの儀式パフォーマンスにはあると信じてるんです」


 それを聞いて菜調は納得したものの、それと同時に別の疑問が発生した。

 儀式が今まで秘匿されていたのには、何らかの然るべき理由があるはずだ。それを公開してしまっても良いのだろうか?


「その儀式は、人に見せても良いものなのか?」

「大丈夫です~。家の資料を調べたら、どうやら元々は、一般の皆さんにも公開していたみたいなんですよ~。なので、バチ当たりの心配は無いと思います。……それを確認してから、ボクは儀式パフォーマンスの様子を動画で投稿しようとしました。でも、一度は尻込みしちゃいました。先代がやっていないことに手を出すのが、怖かったんです」


 青井は話の途中で、菜調をじっと見つめた。

 

「そんな中、街で菜調さんのパフォーマンスを見たんです。数週間前のことでした。菜調さんは見たことが無いダンスで道を切り開いていて、この地域で少しずつ注目を集めてる……。その姿に、ボクは勇気をもらいました」

「私の……?」

「はい!それから、ボクはもう一度、PRへの挑戦を始めました。そして動画を投稿したのですが、中々注目されなくて……」

 

 一瞬だけしんとした静かさが場に漂う。

 少年は祈るように両腕をぐっと握り合わせながら、再び菜調に強い視線を送る。

 

「そこで、新しいダンスで活躍している菜調さんに、アドバイスをいただきたいんです!もちろん、図々しいのは理解していますが……お願いしますっ!」

 

 少年は再び、より強い勢いで頭を垂れた。

 そんな彼の話を聞く菜調は、最後まで冷静だった。彼女は淡々とした口調で、彼にコメントを返す。

 

「事情はわかった。ただ、広報は私の仕事じゃない」

「へ……?」

「私には敏腕びんわんのプロデューサーがいる」


 菜調は視線を横にスライドさせて、智歩に目配せを送る。

 青井のまんまるの瞳孔も、糸で引っ張られるかのように智歩に向かう。


 突然2人の蛇人ラミアから視線が向けられて、智歩は若干慌てる。

 話自体はしっかり聴いていたけれど、自分が喋る準備なんてできてないぞ。


 こほん、と咳払いをしてから、智歩は声を張った。


「ど、どうも……菜調さんのマネージャーの高崎智歩ですっ!」

「広報のことなら、智歩に聞け」


 菜調の案内に促されて、青井がキラキラした顔を智歩に向ける。

 

「貴女が菜調さんを躍進させた立役者……!」

「は、はい……」

「高崎さん、お願いしますっ!ボクに力を貸してくださいっ」


 少年に迫られる中、智歩は少しの迷いを感じた。

 思わず後ずさりして、足元の砂利が音を立てる。


 幼少期から将来を考える立派な少年と違い、自分は情けない存在だ。

 

 自分は、彼に対して真摯にプロデューサーとして対応できるのだろうか。

 真剣な彼に、中途半端な気持ちで踏み込みたくはない。


 申し訳ないけどここは断ろう――そう覚悟を決め、深呼吸。

 ゆっくりと腰を低くして、少年に目線をそろえる。

 

 少年の緑色の瞳が、ぎらぎらと輝いていた。

 無垢で、透き通っていて、まっすぐだ。そして、”見覚えがあった”。


 智歩は隣を向く。無意識だった。

 隣にいた女性と目が合うと、彼女は静かに尻尾を伸ばし、自分の足の上に、ぽんと置いた。

 そして、青い瞳の彼女は、小さく口角を上げて頷いた。

 

――『大丈夫。智歩にならできる』

 その言葉が、不意に思い出された。


 智歩は唾をぐっと呑み込んで、口の中に在るものをリセットした。

 そして、呼吸を整えてから、改めて口を開いた。

 

 「……わかりました。一度、儀式を見せてください。可能なら、映像ではなく現地で。それを見た後に詳しいお話を聞きながら、どう協力するかを考えますっ!」


 それは単なる、回答を引き延ばすための口実ではなかった。

 パフォーマンスを見れば、その先の道が見える――そんな意識が、智歩には刻まれていた。

 

 智歩の力強い返事に、少年はぱぁっと顔を明るくして、尻尾をぶんぶん振り始めた。


「わかりました!是非、儀式パフォーマンスを観ていただきたいです~」


 少年の尻尾で周りの石がかき乱されてがしゃがしゃと五月蠅かったが、嫌な音では無かった。……神社の石から嫌な音が鳴ってほしくはないが。

 

 

     ◇



 山道に積もる落ち葉を掻き分けながら、3人は5分ほど山を下った。

 その道は大きな段差などもなく、頻繁に”人”の往来したような跡があったため、かなり歩きやすかった。

 

 「…………着きました」


 少年は移動を止め、再び足元での”がさがさ”という音も鎮まった。

 その静かさも相まって、どこか身が引き締まるような気分を覚える。


 智歩は、顔をゆっくりと上に上げる。

 

 そこには、天に届くような岩壁がそびえ立っていた。

 壁面の凹凸による陰影がランダムな迷彩模様を描き、大自然に晒され続けたことを無言で示している。


 その頂点を見つめると、首の後ろが痛くなる。

 かつて、15階立てマンションに住む友人を訪ねた際に、1階から最上階を見上げて驚いたことを思い出すが、この岩壁はそれ以上だ。15階立ては凡そ45mと言われてるから、岩壁は50mを超えてもおかしくない。


 頭上に天井を作るように生い茂っていた木々も、当然ながらその崖の高さには及ばない。崖の大部分は何にも遮られることなく、その鈍色の肌を堂々と晒して、陽光で直に炙られていた。

 無数の木が我先にと背を伸ばしあって日光を奪い合っている森の中では、考えられない光景だ。

 

「ここが、目的地……?」

「はい。お二人に実際に儀式を観てもらいたくて、ここに来ていただきました」


 2人がそびえ立つ壁に圧倒されている傍らで、青井は自身の胸に手を伸ばす。そして、胸の直下に巻かれた、太い赤帯を解き始めた。

 ロングスカートのような赤い袴がぺろりと開くと、下着のような布の下から、少年のへそが顔を出した。体型こそ細身だが、板チョコみたいに腹筋が浮かんでいた。


 赤い装束が完全に脱げると、彼は慣れた手つきで折り畳んだ。アパレル店員のように、素早くて丁寧だ。それから彼は、きょろきょろと何かを探す。そして、清潔で日の当たる手ごろな岩を見つけると、ふわりと袴を置いた。

 大切な衣装だから、神聖な場所に置く必要があるということだろう。


 続いて青井は、白い装束の帯をほどきはじめた。大きな袖の白い上着が、胸元からぺろんとめくれると、紺色のタンクトップが内側から出現する。

 顕わになっている肩は幅が広くて、細身でありつつもしっかりと筋肉がついていた。ゆったりした白い袖の内側からは、松の木みたいな腕が現れた。


 白い上着も綺麗に折りたたむと、彼は蛇体を伸び縮みさせる。おそらくは準備運動だろう。その傍らで、彼は説明を始めた。


「ボク達の儀式では……高い岸壁を一瞬で駆け上がって、瞬時にふもとに戻ります。ボク達は、太陽と繋がるための媒体として岩を大切にしています。そんな岩を経由しながら空に近づいて、太陽への感謝を示しつつ、その恵みを授かって地上に持ち帰る……という意味があるんです~」


 智歩は初めて菜調に山へ連れられた時のことを思い出す。

 あの時は5m程の崖を菜調が登っていたが、それでも息を呑むような迫力があった。一方で、彼女は崖登りが得意というわけではなく、10mを超えるような崖は登れないんだとか。


 その一方で、目の前の巨岩はビルの15階立てのビル程の高さだ。数値にして40mはあってもおかしくない。

 それを彼は登ろうとしているのだ。その光景を想像し、期待で胸が膨らむ。


 危険なので離れてくださいね、という青井の案内に従い、2人は壁面から路線バス1~2台ほど離れた場所でスタンバイ。

 

「では行きます~。しっかり見てくださいねぇ~」


 

    ◇


 ~蛇足のコーナー~


「今日はボクが日本の蛇信仰について説明します~」

「よろしくお願いしますっ!」

「日本は世界でも特に蛇を神聖視する傾向が強いんです。蛇が信仰対象になった理由は色んな説がありますが、蛇の脱皮が『再生』『不死』などの象徴とされた、というのが有力なんですよ~。ボクは『再生』と言われると、切られた尻尾が再生するトカゲのことを考えちゃいますけどねぇ~」

「面白いですよね、昔と今の価値観を比べるの!」 

「そうですねぇ。ちなみに、人に目撃されやすくて神社にも好んで生息するアオダイショウは、特に大切にされることが多いんです~。特に、白いアルビノ個体が神様の遣いとして信仰されているのは有名ですね~」

「確かに、お正月に見た巳年グッズはやたら白いのが多かったですね!」

「ボクの神社にもたくさんありますよ~。お買い上げお願いします~」

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