日光浴が好き
2人は、山中の散歩を楽しんでいた。
智歩は悩みを完全に忘れた――ということは無いものの、気分転換はできていた。
菜調が山の動植物について説明するのに聞き入ったり、山頂の景色に目を輝かせたりと、それなりに登山を楽しめていた。新しく買ったトレッキングウェアも気に入った。
下山する2人は、山の麓付近まで差し掛かっていた。
それでも周囲は、見渡す限り木に覆われていた。近くに集落があることなど、まるっきり感じさせなかった。
そんな山道を、智歩は落ち葉を踏みしめながら、ずんずんと進んでいた。
その時だった。停止信号でも見つけたかのように、突然その足がぴたりと止まる。
いくら麓が近いとはいえ、山の中に信号などあるはずないのだが、とにかく智歩は足を止めた。
その途端、蝉の鳴き声が耳の中に溢れ出した。音波が周囲に壁を作り、周囲の情報をシャットアウトする。
情報が削がれた空間の中で、智歩の意識は、彼女の足を止めた”それ”だけに向けられた。
目の前にあったのは、急勾配の斜面に敷かれた、巨大な石の階段だ。
階段の両サイドにはうっそうと木々が生い茂り、しばしば低木の細い枝が身を乗り出して、石の上に覆いかぶさっている。
そんな石段の大半には影がかかっており、触らなくても無機質な冷たさが伝わってくる。それが所々に木漏れ日で当てられ、斑状模様のように白い光を浮かべている。
その頂上に何があるのかは、首筋を伸ばしてもわからない。しかし、階段の上からぼんやりと漏れる日の光が、なんだか自分を招いているような気がした。
後ろからやってきた菜調も立ち止まると、被っていたキャップのつばを持ち上げて階段を見やる。
「菜調さん、この先って何があるんですか?」
「私にもわからない」
「……私、確かめたいです。あの先に何があるのか」
「わかった。危険そうなら引き返す。良いな?」
「はいっ!」
菜調の返事とほぼ同時に、智歩は元気よく階段に向かい、1歩ずつ登り出した。
幅も高さもバラバラな階段を、一歩ずつ着実に登る。
高度が高くなるにつれ、周囲の木々のはざまを埋める中小サイズの植物が密度を減らし、奥から漏れる光が強くなる。
いつの間にか、石段の大部分に日が当たるようになっていた。曇り空が晴れていくかのようだ。
グラデーションのように明るく変化していく情景が、頂上に何かあるという期待を膨らませる。
智歩は、石段の最後の一段を大股で飛び越えた。
そして、その先の景色に息を呑んだ。
隙間を埋めるかのように木々が茂る森の中……そこに現れた、開けた空間。
一面に、白い石が敷き詰められた様は、砂浜を想起させる。
その中央、台地のように小高くなった場所に鎮座するのは、厳かな神社だった。
暗い森の中で、境内だけが日の光にたっぷり当てられて、夜空に輝く一等星のような存在感を放つ。
ただでさえ真っ白な地面が、日光でさらなる輝きを放つ。その景色は、蜃気楼で歪みつつある。
そこに人の気配は一切なく、蝉の鳴き声に交じって時折、木がざわめく音が聞こえるだけ。人工の施設のはずなのに、本来は人が立ち入るべきではない、禁足地のような神秘と風格。
神社や宗教への関心が薄い智歩にすら、鳥居の先が異世界のように映った。
遅れて階段を這いあがってきた菜調も、自然と立ち止って景色を堪能。
2人で並び、その光景に見とれていると、頭上から穏やかな声が聞こえた。
「あの……参拝者の方ですか?」
智歩は慌てて左右を見渡すが、周囲の無機質な人工物たちは返事をしない。
まさか、本当に神様……!?
「上だ」
「え、上!?」
菜調が指さしたのは、目の前でどっしりと構える本殿……の天井だった。
白と赤の装束を纏った
両手を屋根に付きながら、身を乗り出してこちらを見下ろしていた。
その身体からは、濃い緑色の蛇体が伸びていた。鱗は陶磁器のようにてかてかと光っている。まさに、工芸品に命が宿っているかのようだ。
深緑の
屋根上の
螺旋状に絡みつく蛇体がくるくると回転し、蛇体同士の間隔をゆっくり広げながら、天井に引き上げられていく。まるで全身がヌメヌメの体液に覆われてるかのように、緑の鱗をまま
マムシのざらざらした蛇体に毎日触ってる自分ですら、ヌメヌメを幻視するんだ。「蛇や
その
そのまま白赤装束の
「久々の参拝者さんだ、嬉しいなぁ……」
その口調はおっとりしていたが、身体はそわそわを隠しきれていないようだ。大縄跳びを横に揺らす”よこへび”のごとく、蛇体がぐにゃぐにゃ波打っている。参拝者が来たことが、よっぽど嬉しいのだろう。
釣られて自分までもが笑みをこぼしてしまいだ、と智歩は思った。しかし、その様子があまりにも幸せそうだから、声のかけ方に困ってしまう。邪魔をしてしまったら申し訳ない。
隣の菜調はどうしているのかと気になり、首を横に向けてみる。
菜調は無表情で、緑の
蛇に睨まれた……というのは、こういうことなのだろうか?
……いや、目の前のアオダイショウのような
暑さにやられてか、智歩が訳の分からないことを考え始めた。
それから少し経って、巫の
そして、何事もなかったかのような調子で、のんびりと自己紹介を始めた。
「ボクはここで働いている”
智歩は菜調の顔を見やる。
まだ太陽は高く昇っている。ちょうど午後の予定がすっぽり空いていたので、時間的な余裕はあるのだが……。
「どうします?時間には追われてませんが」
「私は構わないぞ」
「じゃあ……折角ですし、案内してもらいましょうっ!青井さん、よろしくお願いしますっ!」
”案内したくて仕方がない”と眼で訴えていた青井が、ぱぁっと顔を明るくする。
「本当ですかぁ!?ありがとうございます~っ!」
彼はぶんぶんと身体を蛇行させながら、日陰になっている道を先導し始めた。
勢い余って道からはみ出た緑色の尻尾が、道の両枠に敷き詰められた白い石の海に被さり、じゃらじゃらと音を鳴らす。
静まり返っていた境内が、少年の陽気な振る舞いと音で染まっていく。
智歩は模様のない深緑色の蛇体を追いかけながら、境内一帯に敷き詰められた白い石を見やった。床の石は、バーベキューができそうなくらいに熱そうだ。
先日の旅行でも似たようなことがあったが、旅行先はそもそも蛇人の土地ではない。でも、ここは正真正銘蛇人の生活圏。それなのに、何故こんな過酷な環境になっているんだ。
智歩は1つの疑問を覚え、それを口にする。
「あの……ここってもしかして、
「いや、建てたのはボクのご先祖様ですよ!……でも何でこんな質問を?」
「えっ!?じゃあ、何でこんなに床が熱いことになっているんですか!?」
「確かに、こんな神社は見たことが無いな」
菜調も隣からぼそっと口を挟んだ。
すると青井はぴたりと止まり、長い蛇体をUターンさせてこちらを向いた。
「良い質問ですね!説明させてくださいっ!」
少年は両腕を折って――いわゆる”がんばるぞ”のポーズ。大きな袖が重力でずるっと下がり、しわが何層にも覆いかぶさった。
「ずばり、石の上でお日様の光を浴びること自体が目的なんです~!お姉さん、ボクたちが変温動物ということは知ってます?」
「知ってますっ!自分で身体を温められないから、外から熱を貰う必要があるんですよね」
「お姉さん詳しいですね~!……で、そんなボク達が、身体を温めるのにベストな方法は何だと思います?」
その問いに、智歩はすぐには答えられなかった。というのも、智歩が
菜調は何かわかった様子だが、智歩の方を横目で見つめながら、口を閉じている。
「ん~思いつかないですね……」
「正解は……石の上で日向ぼっこをすることです!これがとっても気持ちいいんですよ~。春にぽかぽかの石の上でとぐろを巻いて、自分の身体を枕にして寝そべると、あっという間に眠くなっちゃって~」
青井はうっとりとした様子で妄想にふけりはじめた。その下半身も、無意識の内にかとぐろを巻きはじめていた。
智歩は「確かに気持ちよさそうですね」と言いながら隣の菜調を見やると、菜調もこくりと小さく頷く。秋になったら、近場の公園に赴いて、2人で日光浴を楽しむのもよさそうだ、と智歩は思った。
視線を前に戻すと、少年はうとうとし始めていた。彼の尻尾の先は日陰からはみ出していて、蛇肉のステーキになりつつあった。しかし、少年は気づかない。蛇体の内側の皮が、もの凄く分厚かったりするのだろうか。
「……あ、ごめんなさい、話を戻しますね。とにかく、ボク達にとっては身体を温めるのが重要なんです」
「うんうん」
「勿論、現代では身体を温める手段はたくさんあります。日向ぼっこをするにしても、アスファルトやコンクリートという選択肢がありますね。でも、昔はそうでもなかったんです。だから、石の上での日向ぼっこが、とても重要視されていました」
「なるほど。身体を温めることと、石上での日光浴が同一視されていた……みたいなことですか?」
「鋭いですね!そう、ご先祖様たちは、石上での日向ぼっこが生きるのに不可欠だと考えてました。そして、いつしか石上の日向ぼっこは『太陽の神様から生きる力を授かる儀式』として神聖視されるようになったんです~」
「そうか!つまり、境内に石が敷き詰められてて、日光が直撃するようになっているのは……」
「はい!建物自体に、石の上での日向ぼっこをしてもらっているんです!」
説明を終えた少年は、どこか自慢げに胸を張った。
智歩も膝を曲げて彼に視線を合わせると、「面白かったですっ!」と賞賛。
少年はぱぁっと顔を明るくして、尻尾をぶんぶんと振った。
「ありがとうございます、お姉さん!」
少年の無垢な様子にほっこりして、思わず頬が温かくなる。
すると、菜調が「お姉ちゃんみたいだな」とぼそりと呟いた。それを聞いたら、途端に恥ずかしくなってくる。
「もうっ!冷やかさないでくださいっ!というか、どう見ても今の”お姉さん”はそういう文脈じゃないですよっ!」
「すまない」
智歩が顔を真っ赤にして振り向いた先では、菜調は借りた猫のようなすまし顔を決め込んでいた。
「ボクはよく”弟みたい”って言われます~」
「青井さんも乗っからないでくださいっ!……菜調さん、冷たい眼でこっち見ないでくださいっ!」
智歩はわめきだし、菜調はそれを冷めたように受け流す。
その一方で、青井の顔からは穏やかな笑顔が消えていた。
彼は、智歩の発言に驚いていた。口を小さく開けながら、2人の……いや、菜調の顔を何度も確認する。
「……今、”菜調さん”って言いました?」
「あ、はい……」
返事をする銀髪の女性と共に、マムシの
キャップの影から見える彼女の顔を、青井はじっとのぞき込む。そうだ、間違いない。
「もしかして、ストリートパフォーマーの菜調さん……ですよね!」
「そうだ」
菜調は深く被っていたキャップのつばをくいっと持ち上げて、青井に顔を見せた。
その瞬間、青井の顔がぼんっと真っ赤に染まった。鉄板のように熱された石の上を這っても平気そうだった彼は、菜調の視線1つで茹で上がりそうになった。
「……っ、まさか本物に会えるなんて……」
青井はうつむきながら、もじもじして蛇体をぐにゃぐにゃ動かし始めた。まるで桶に入れられたウナギみたいだ。
それにしても、まさかパフォーマンスの場以外でファンに話しかけられるとは。最近は公演でファンに話しかけられることも増えたが、それとは別の嬉しさがこみあげてくる。
菜調の方は、手を腰に当てて、じっと彼を見下ろしている。
「私に何か用事があるのか?」
菜調に声をかけられ、青井ははっと意識を戻した。そして彼は、菜調の方をじっと見つめた。
「……菜調さん、助けてください!」
◇蛇足のコーナー◇
「アオダイショウは、主に日本の人里で見られる蛇だ」
「そういえば、この前、町の石垣で日光浴をしてるのを見かけましたね。結構人通りが多い場所にいたので、意外でした」
「彼らは人里で暮らす上に昼行性だから、人と出会う機会も多いんだ。そのためか、人への警戒心が比較的薄いとされている」
「なるほど~!他にも何かアオダイショウの特徴ってあるんですか?」
「そうだな……。例えば、彼らは日本最大の蛇として知られている。大きい個体だと2mを超えるんだ。大型個体でも80㎝程度のマムシと比べると、圧倒的と言えるだろう」
「そんな大きい蛇さんが街中を悠々と這っているのは、中々インパクトがありますよねっ!」
「ああ。大将の名にふさわしいな」
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