第5章 夏の終わり

プロデューサーの重み

<あらすじ>

 商業施設でのパフォーマンスを実現させた私達はに付きつけられた課題……それは、 菜調さんが何を目指しているかがパフォーマンスから伝わらない、というものだった。

 そんな中、気分転換で日光へ日帰り旅行に。そこでは、下半身がムカデのプロダンサー、赤城あかぎ千尋ちひろさんと出会った。夢の実現のために海外の大会を中心に活動する彼女のパフォーマンスは、圧倒的だった。

 そんな彼女との関りから、菜調さんも『海外を旅して各地でパフォーマンスをする』というビジョンを見つけることができた!



     ◇

 


 2人は朝早くから、車を飛ばしていた。

 窓の外は、ゴルフ場のごとく一面の緑が広がる田園でんえん地帯だ。

 

 外で風が吹くたびに、見渡す限りに広がる稲穂いなほがシンクロナイズドスイミングみたいに大きな動きを作る。エアコンをかけるために窓を閉めても、稲穂の動きを見れば外の風を感じられて気持ちが良いな、と菜調は目を細めた。


 それなのに、智歩の視線は外には向けられていなかった。彼女は文庫本サイズの書籍を開いて、うんうんと唸っている。

 

 赤信号。菜調はハンドルから片手を離すと、隣に座る智歩を見やった。

 

「気持ち悪くならないのか?」

「大丈夫です、酔い止め飲んだので」


 智歩は読んでいた本をぱたんと閉じて、膝の上に置いた。

そのまま銀髪の少女は、視線を窓の外に向ける。その先には、田んぼの緑に混じって小さな黄色い塊が見えた。――ひまわり畑だ。

 大きく育ちきっているから、切り花として栽培されたわけではなさそうだ。花が枯れた後に種子が出荷されるのだろうか。


 一方で、菜調は本の背表紙に視線を向けていた。酔い止めを飲んでまでして読みたい本となれば、誰でも中身が気になるものだろう。

 

「……就活本か。どうしたんだ?」


 菜調は顔を前に向けると、いつも通りに冷静な声で尋ねた。だが、その声はどこか寂しげだった。

 それに対して、智歩はあっさりした態度で返した。

 

「特別なことじゃないですよっ。大学2年生ですし、そろそろ考えなきゃな……と思っただけです」

「そうか」

「勿論、最終的には菜調さんのプロデューサーとしての収入だけで生活したいですけれど、そういかないじゃないですしね」


 実績のあるダンサーでも、ダンス関連の収入だけで生活できるとは限らないのが現実だ。となれば、1人のダンサーの専属プロデューサーをするだけで生活するのも極めて困難。

 だからこそ、菜調のプロデューサーを続けるのであっても、就職には意識を向ける必要がある。菜調と夢を叶えることを、現実のこととして捉えているが故の、当然の判断だ。


 それを聞き、菜調は安堵したように小さくため息を吐いた。彼女はある”懸念”を抱いていたのだが、完全に杞憂だったようだ。


「どうしたんですか菜調さん、黙り込んじゃって」

「……すまない。それで、智歩はどんな職に就きたいんだ?」


 菜調は自身の思い込みが空気を悪くしたのではと思い、話題を変える。


 すると今後は、智歩の顔が曇り出す。

 ”どちらかと言えば苦手”な食べ物を前にした時のような、真っ暗ではないが、苦い顔。

 

「…………正直、まだ何もわかってないです。職業ジャンルとして興味があるものが、特にないんですよね」


 智歩は顔を窓の方に向けたまま、”可もなく不可もなし”と言えるような口調で答える。

窓から見える、一面の緑色の世界。そこに、自分の浮かない顔がぼんやり映る。


「何らかのプロデューサーはどうなんだ?」

「正直、いまいちイメージできないんですよね、自分が菜調さん以外の人をプロデュースしてる姿が。……というか、私以外の人をプロデュースするのって、菜調さん的にはアリなんですか?」

「時と場合によるが、”基本的には”問題ないな」

「そうなんですね。……いや、菜調さんが”良い”と言っても、私がそれをイメージできないんですけどね」


 菜調はフロントガラスに顔を向ける。交差点の信号は、未だに赤。

 目の前を横切る車両の姿はなく、開けっ広げな車道が、灰色がかった入道雲に続いている。


 菜調は真面目に車を止めながら、智歩の話を聞き続ける。


「……芸能系のプロデューサーは、1人でたくさん人の夢を預かるんです。私には、その資格があるのかなって。菜調さんと会うまで何にも夢中になれずに、何もかも投げ出してだった自分が、他の人の夢を預かっても良いのか、わからないんです」

「……そうか」


 ゆっくりと、目の前の景色が動き出す。信号は青になったようだ。

 ひまわり畑が左側にスライドして見えなくなり、ぽつぽつと民家が現れては消えていく。その中で、自分の姿だけが、変わらずに映っている。


「少し、昔話しても良いですか?」

「ああ、構わない」

「私、中学の頃にバンドを組んでいたんです。私はベース担当で、他に2人のメンバーがいました」

「……そういえば、赤城とそんな話をしていたな」

「私以外の2人は心の底から音楽を愛していて、中学卒業後にミュージシャンの道に進んだんです。……でも、しばらくして、1人とは音信不通になっちゃいました。別の職業で生活はできているけれど、ずっと暗いままみたいなんです」


 かける言葉が見つからないのか、菜調は黙って聞いていた。変に茶化さずに静かに聞いてくれることが、智歩には有難かった。

 平坦な道を車は進む。無機質なエンジン音だけが響く中、智歩は話を続ける。

 

「もう1人はプロの音楽家として活動しているのですが……彼女は、血を吐くような努力をして、やりたいことを沢山諦めてきました。その上でやっと立てるのが、芸能の世界だそうです」


「……その一方で、私の音楽活動は、中学卒業を期にぷっつりと切れちゃいました。私のベースは今頃、実家でホコリ被ってますよ、きっと。そんな私が、過酷な芸能の世界で戦おうとする人々を助けるのに、釣り合っている気がしなくて」

「でも、智歩は私と共に歩いてくれた」

「それは……菜調さんの方から誘ってくれたんじゃないですか。それに、私も菜調さんに何かを感じたんです。菜調さんは私の憧れで、大切な人です。だから、菜調さん以外にどれだけプロデューサーと熱意を持てるのか、想像できないんです」

 

 菜調は返事の言葉に困っていた。

 智歩に芸能の道には行かなくて良いと伝えることも、選択肢に入っていた。


 別に、自分は智歩に職業プロデューサーをさせたいわけではない。勿論、彼女が職業人としてのノウハウやコネを身に付ければ自分にも利はあるだろうが、それは”最優先事項”ではないのだ。


 しかし、智歩はプロデューサーとしての道ことを真剣に考えているはずだ。そうでなければ、苦い気持ちを吐き出したりしない。あまり過去のことを話したがらない智歩であれば、なおさらだ。

 彼女がロック好きであることすら、自分はこの前知ったんだ。そんな彼女が自ら過去を語るなんて、ただ事ではない。


 智歩はきっと、迷っているのだ。


 でも、そんな彼女にかけられる言葉が、思いつかない。そもそも適切なアドバイスがあったとして、それを彼女に”かけるべき”なのかも分からない。彼女の将来のことは、彼女が自分で悩み、答えを見つけるべきだろう。

 だとすれば、自分は彼女に何ができるのだろうか――。



 しばらくの間、2人は無言だった。

 気が付けば田園地帯を抜け、左右の窓からは森林が見えるようになっていた。


 智歩は突然、がさがさとカバンに本をしまい込んだ。そして、少し無理するような明るい声を出した。

 

「ごめんなさい、これから遊びに行くのに、変な雰囲気にしちゃって!私なら大丈夫ですっ!……あ、見えてきましたよ、目的地!」


 フロントガラスの先には、数え切れないほどの木々が、緑の濃淡のある壁を造っていた。

 その脇には、”登山道入り口”と書かれた、古びた看板。今日の目的地だ。


 そういえば、前にも似たようなことがあったな、と菜調は回想する。

 ……いつかの日か、笑顔いっぱいの智歩と一緒に、山を登れる日が来るのだろうか。

 

「菜調さん、行きましょうっ!」


 気が付くと、一足先に車を降りた智歩が、フロントガラスの先で大げさに手を振っていた。

 

 菜調は決心するようにゆっくりと眼を閉じて、小さく頷きながら車のエンジンを止める。

 そして、智歩の隣に駆け寄った。


「待たせた。智歩、一緒に行こう」


 菜調は、智歩の手をぎゅっと握ると、木漏れ日が降り注ぐ道に進んだ。


 今の自分にできること。

 それは、彼女の隣にいることだ。

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