ドキュメンタリー動画

「菜調さんの活動に注目した、ドキュメンタリー動画を撮影しましょうっ」


 ショッピングの翌日、菜調宅にて智歩がホワイトボードを背後にこう言った。

 

「夢に向かって突き進む菜調さんの姿を非常に魅力的です!なので、それをストレートに推し出して、ファンを獲得する作戦ですっ!」

 

 それを聞いた菜調は、照れくさそうに背中の後ろで尻尾で床をぽりぽりと掻きはじめた。

 ……智歩の視界に映ったのは、いつも通りのすまし顔だけだったが。

 

「具体的に何をすればいいんだ?」

「サンプルになる動画を選んでおきました!まずは、これを見てイメージを持ってください!」


 菜調は眼鏡をかけながら、動画を再生する。

 液晶には、若い女性が堂々とした態度でインタビューに臨む姿が映っていた。

 

「誰なんだ?彼女は」

「ピアニストの三根さんです。私と同い年なのにプロデビューしている、すっごい人なんですよ!天才肌だけどそれ以上に努力家な、世界で最も偉大なピアニストですっ!」

「随分と詳しいな」

「はいっ!実は私、昔から三根さんのファンなんですっ!」

「……なるほどな」


 三根の古参ファンだった智歩は、鼻を鳴らして嬉しそうに語った。

 それを聞き流しながら、菜調は下半身をゆったり伸ばしつつ、動画の視聴を始めた。

 

 動画の中では、ピアニスト・三根の活動に密着しながら、困難に立ち向かう彼女の姿が描かれていた。

 

 三根という女性は、音楽で生きていくという夢を諦めなかった。彼女は前例の少ないでの演奏に挑戦しており、インターネットや図書館で資料を集めたりしながら、自分なりに成功への道を模索し続けていたらしい。


 確かに自分とはいくつかの共通項があるから参考になりそうだと、菜調は納得した。ただ、1つだけ懸念点があった。

 

「彼女と違って、私は目立った成果は出していないぞ。良いのか?」

「まぁ……そこはあるに越したことは無いですけど、一旦やるだけやってみましょう」

「わかった。……インタビュアーは、智歩なんだよな?」

「……?そ、そうですけど」

「そうか、なら問題ない。ところで、智歩はそろそろアルバイトの時間じゃないのか?」


 そうでした、と智歩は慌てて帰り支度をしながら、カバンから数枚の紙資料を取り出した。

 数ページにわたるドキュメンタリー動画の企画書と、動画中のインタビューでの質問リストだ。質問の各項目には意図も添えられていて、動画の方向性が伝わりやすいよう工夫されている。智歩が自宅でこつこつと準備していたのだ。

 

「はい。なので私はこの辺で!できれば動画に目を通してもらえると助かりますっ!」

「任せろ」


 菜調はばたばたと部屋を出る智歩を見送ると、1人だけの部屋で動画と向き合った。

 片手でメモを取りながらドキュメンタリー動画についてイメージを固めている内に、智歩が紹介した動画はあっという間に終わってしまった。


 関連動画として、同じピアニストに関する別のインタビューがサジェストされたので、それを見ることにした。どうやら、たった今投稿された、最新の動画のようだった。

 

『成功した秘訣……ですか。とにかく、セルフプロデュースの戦略を徹底的に凝ったことですね。そのお陰で、早い段階で事務所に入れてもらえました。もちろん、事務所に入ってからも自分でできることはやっています』

『なるほど。戦略を真剣に考え始めたのはいつ頃からですか』

『時期ですか……。音楽のプロになりたいと本気で思ったその日からです。だって、やるからには絶対に実現させたいじゃないですか』


 無意識のうちに、菜調はとぐろをきつく巻いていた。尻尾の先が、小刻みにぷるぷる揺れていた。

 

『闇雲にピアノの練習だけしたところで、成功は見込めません。だから、必要な要素を逆算して、プランを固めてから行動を始めたんです』


『事務所に入るまでは、宣伝も営業も、自分で徹底的にやりました。音楽のプロになることに繋がる行為は、何であれ一切妥協しません』


『絶対に失敗するわけにはいきませんからね。私、本気なので』


 菜調は机の傍らに積まれた資料に目をやった。すべて、智歩が1人で準備したものだ。


――私は本当に、本気で夢を追っているのか?

 


    ◇

 

 

 翌日、動画撮影のために2人が向かったのは、臨海地域の公園だった。

 海岸線に沿って松の木が並んでおり、その隙間から水平線が見える。


 上を見上げれば、空には鈍色の雲がいくつもの層を作って、太陽を覆い隠している。それを映すように海もまた薄暗くなっており、対照的に波打ち際の白い泡が目立っていた。

 しかし、曇天の影響で夏の昼間でありながら過ごしやすい気候になっていた。のびのびと子供が遊ぶわんぱくな声が時折聞こえ、太陽の代わりに淀んだ雰囲気を明るくしていた。


 2人は、公園の端にある、小規模なステージに向かった。

 

 扇状に3行ほど広がった木造の客席は閑散としており、留守番をしているかのように客席の下に小さな蜘蛛の巣が展開されている。

 イベントの予約がない間はステージが一般開放されていたので、2人は撮影のためにステージに登った。

 

 智歩はカメラの焦点をステージに向け、撮影を始める。


 2人は子供たちが遊ぶ開放的なエリアを避け、2人は防潮林の付近に移動した。

 地面には風で転がされた松の葉や松ぼっくりが転がっていた。時々、松ぼっくりが踏まれて足元から、”ぽきり”という音がする。

 

「まず、菜調さんのパワーを見せてもらいます」


 智歩は車から、厚さ10㎝ほどの木板を持ち出すと、両手で抱えてへろへろと歩き始めた。

 

 それを見て、菜調は困惑。

 菜調はてっきり、インタビューやパフォーマンス活動の様子などを撮影するのだと思っていた。そこに、普段の活動とは無縁の木盤が登場したのだ。

 

「智歩、これは……」

「菜調さんにこの板を割ってもらいます」

「いや、なんでそんなことが必要なんだ?」


 菜調の疑問に対して、智歩も一瞬だけ不思議そうな表情を見せてから、いつもの元気な様子で狙いを説明した。

 

 第一に、菜調がパフォーマンスで重視している”蛇人のパワー”が、そもそもどういったものかを説明するため。

 第二に、”観客にぶつかると危険だからパフォーマンスの場が限られる”という苦労を理解してもらるためだ。

 

「……あとは個人的な話ですが、何気に菜調さんが何かを破壊しているところって見たことないんですよね」

「当たり前だろ」

「そ、それはそうですが……。とにかく、私自身が菜調さんのパワーを直接見たくてワクワクしてる部分もあります」

 

 智歩はにこにこ笑いながら、木盤を公園の地面の上に置く。

 ”どしん”と鈍い音が響いた。


 吹きつける潮風をせき止めるかのような重厚感のある、業務用の木材。

 本来は建築等で使われるもので、加工するにも専用の機材の存在が前提になる。

 これをホームセンターで仕入れた時には、店員から本当にこれで良いのかと念を押されたのを覚えている。


 そんな存在が、海浜公園の一角に鎮座する。

 

 智歩はそれを設置すると、カバンから安全ゴーグルを2つ取り出し、片方を菜調に手渡す。

 

 そして、安全確認のため周囲を見渡し、人影がないことを確認する。

 念のために、「危険なので少し離れてください」と声を出してみると、人の声に代わりに、”ざぶん”と波の音が返事をした。


 「……よし、周囲に人影なしっ。さぁ、やっちゃってください!」


 智歩は木盤から10mほど離れた位置でカメラを構える。

 

 身体を宙に浮かせ、棒高跳びをするように身体の軸を水平にする。

 彼女の周囲から、重力がなくなる。


 次の瞬間、腰に大きなスナップをきかせる。

 

 瞬きする間もなく、4m以上の蛇体が鞭のように大地に叩きつけられる。


 ”溜めた”重力を一気に解放するかのように、体を大地に叩きつけた。

 その挙動は『むちのよう』と形容できたが、一点に強大な力がぶつけられる様は、一筋の雷を想起させた。


 すぱぁん!と爽快感のある音が響き、水風船が破裂するかのように、無数の木片が弾け飛ぶ。

 

 ――持ってて良かった、安全ゴーグル。

 

 智歩はぎゅっとカメラを握りしめ、木片が地面に落ちる音が鳴りやむのを待ってから、木陰から顔を出した。

 服に少しついていた木片や粉を片手で払いながら、カメラを地面に向けた。

 

 家具での使用例がすぐに思いつかないほど分厚かった木盤は、いくつかの破片となって、テニスコートほどの範囲にばらばと地面に散乱していた。そこには、原型の木盤にあった重厚感は残っていなかった。奥から響く波の音と一緒に、木片の存在もどこかに流されてしまいそうなほどだ。

 

 そして、元々木盤があった場所には、大きな溝が出現していた。長さは2m以上、深さは最大30cm。

 粗く削られた溝の壁面を、砂利や木片が転がり落ちていくのが見える。

 

――想定以上だった。


 割ることができると想定していたけど、ここまで派手に、粉々にするとは思えなかった。

 智歩は口をあんぐり開けたまま、カメラを持って棒立ちしていた。


「どうだ?」

「……正直、想像以上でした。この方向性でのコンテンツも色々試してみたくなるほどです。勿論、副業的なポジションで」


 そう言いながら智歩はカメラの撮影を止めると、再び荷物置き場に向かった。

 そしてほうきちり取りを取り出し、散らばった木材をかき集める。


 菜調も箒代わりに身体をゆったりと振って、周囲一帯の木片を一気にかき集める。

 大きく伸ばした身体でブルドーザーのように木片を集めると、身体を先端から少しずつ巻き取って、木片を一か所に集めていく。


 そこに駆け付けた智歩が塵取りで木片をかきこみ、ゴミ袋に入れる。

 その作業中、智歩は真剣な顔つきでぶつぶつと呟いていた。


「えーと……。この方向性で行くなら壊す素材は探さなきゃな……。観客に危険が及ばなくて、かつ硬さがわかりやすいもので……。あるいは動画主体で……」

「凄いな、智歩は。何から何まで用意周到だし、新しい企画もどんどん思いつく」

「えへへ……菜調さんの夢を支える身として、これくらいはしないとですよっ」

「そうか」


 それから2人は、アスファルトのタイルが貼られた海沿いの広場に移動した。


 海岸線に沿って、背面に落書きがされたまま放置された年代物のベンチが並んでいる。

 

 そこから前を向けば、一面に広がる水平線。

 今日は曇っていて見えないが、普段なら海の向こう側にうっすらと都市のビル群を眺められるのだ。


 一方で、足元に目を向ければ、防波ブロックの隙間に白いビニールがところどころ詰まっていて、その中をフナムシが駆けている。


 そんな空間で2人は再び周囲の安全を確認すると、技の練習、およびその撮影を始めた。


 灰色の床が広がる中で、彼女の黄色い鱗が存在感を放つ。

 喧騒から離れた中で、防波ブロックに波が当たって弾ける音と、跳躍する菜調がアスファルトのブロックを叩きつける音が交差して畳みかける。

 背景が曇天であるせいなのか、智歩はその音にどこか、不安を焚きつけるような感覚を覚えた。

 

 智歩は自らの気分を切り替えなければと考えた。菜調の練習がひと段落したところを狙って、彼女にカメラを向けながら問いかけた。

 

「よく作られた練習メニューですね。それだけ、夢の実現に真剣なんですね」


 菜調の前向きな発言を聞いて、自分の漠然とした不安も払拭されないかと、智歩は勝手に期待していた。


 しかし、菜調の返事はなかった。


 立ち尽くす2人の間に、重い潮風がごうごうと音を立てて吹き付けた。

 菜調の長髪を揺らし、彼女の表情を隠した。


「撮影を止めてくれ。……1人で考える時間がほしい」


 菜調はぽつりと呟くと、智歩に背を向けてしゅるしゅると立ち去って行った。


 「待ってください」と智歩は手を伸ばすが、波の音が彼女の声を握りつぶした。

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