第2章 滝壺のアーチ
わくわくプロデュース
2025年7月2日(水) 曇り
何かに夢中になる人のように輝きたくて、半人半蛇の”蛇人”の土地で自分探しをはじめて1ヵ月。”輝き”を見つけられず途方に暮れていたところ、蛇人のパフォーマー”菜調”と出会い、彼女から「自分のプロデューサーになってほしい」と依頼された。
正直、自分にそれが務まるとは思えなかった。でも、『パフォーマンスで人々に希望を与える』という夢をまっすぐ見つめる彼女が、とても輝いて見えた。
こうして明日から始まる、プロデューサーとしての生活。依然として不安もあるけれど、元気を出して明日から頑張ろう!
◇
ぴぴ……ぴぴぴ……
うっすらと明るい、あるアパートの一室。
布団から伸びた腕がアラームを止める。
智歩は起き上がると、布団の脇に転がっている『プロデューサー入門』と書かれた本を拾いつつ、窓へと向かう。
カーテンを両手で思いっきり開くと、窓から薄い青色がにじみ出る。
涼しい風が部屋に吹き込み、凝り固まった部屋の空気を塗り替える。
夏の朝は好きだ。素敵なことが起こりそうな気がして。
青空でも夜空でもない、幻想的な空の色。
太陽が寝ぼけている僅かな間だけ許された、特別な空間。
カブトムシでも採りに行くわけでもないのに、いつもとは違う出会いに期待してしまう。
これから始まる新生活も、自分にとって特別になれば良いな……、そんな漠然とした期待を膨らませながら、身に纏った青白いカジュアルシャツを”ぴしっ”と伸ばした。
「よ~し!行ってきますっ!」
◇
徒歩20分程度で、菜調が住むアパートに到着した。
そこへの移動が丁度良い散歩となり、智歩の身体はあたたまっていた。胸に手を当てると、脈がとくとく動いているのを感じる。
鼻歌を歌いながら菜調の部屋の前に到着すると、インターホンに野生のキリギリスが陣取っているのを発見。小さな先客を傍らの草むらに逃がし、草地に向かって優しく手を振った後、人差し指でインターホンを突いた。
「おはようございますっ!」
「おはよう」
智歩の元気な声に応えて、ゆるい無地Tシャツを着た菜調が扉を開ける。彼女に促されるままに扉をくぐり、来客用のスリッパに足を通す。
スリッパは毛玉の1つもついていなかった。おそらく新品なのだろう。
部屋に案内された智歩は、リビングルームで座布団に座る。こちらも新品なのか、圧迫されておらずふかふかしていた。
よく考えたら、身体の接地面積が大きい蛇人が、小さな座布団を使う意味はなさそうだ。蛇人以外の客人に向けて用意されたのだろうか。
それに、スリッパも同様だ。脚がない彼らが、スリッパなど履くわけがない。
これらが自分のために用意されたのか、と考えるのは自意識過剰だろうか。そんなことを考えると、近くでとぐろを巻いていた菜調と目が合った。
「えっと……スリッパや座布団って、私のために……?」
「ああ」
「その……ありがとうございますっ!」
智歩は思い切った様子でお礼したが、それを聞いた菜調の表情は変わらない。彼女は「そうか」とぼそりと呟くだけだった。
そして、そのまま菜調は、仕事内容に関するミーティングを始めた。
◇
ミーティングの中で、菜調は特に智歩に仕事を指示することはなかった。菜調は自分の仕事内容について説明をした後に、「智歩が必要だと思ったこと、やりたいとことを自由にやってくれ」とだけ言い残したのだ。
それには智歩も無責任さを覚えた。しかし、最初にやりたいことは既に決まっていたこと、そして何よりプロデュースへのモチベーションが高かったことから、無責任さに強い怒りを覚えることはなかった。
そして、智歩はミーティングが終わり次第、夢中で仕事に取り組んだ。
気が付いたら、時計は昼12時を指していた。菜調の家に着いてから5時間が経過したようだ。
朝には全開だった窓はぴしゃりと閉められ、エアコンが音を立てて回っている。
エアコンの無機質な音が充満する空間に、”がちゃり”とドアが開く音が響いた。
それを聞いた智歩は、反射的とすら言える勢いで、顔を振り向いた。智歩の視線は、帰宅して顔を出した菜調に向けられた。
「菜調さん、見てくださいっ!」
描いた絵を見せる子供のように、智歩はうきうきした様子でPC画面を見せた。
そこに映っていたのは、『新蛇祭』というイベントのホームページだ。
「智歩、これは?」
「蛇人の新人パフォーマー向けの、大型イベントですっ!」
新蛇祭。新スター発掘を目的に毎年開催される、大型の野外イベントだ。イベントの活動実績やSNSを参考に選抜された蛇人の新人パフォーマー達が公演を行うのだ。
多くの人物がこのイベントでの注目を契機に活躍の幅を広げており、観客による投票の上位入賞者には、テレビの全国放送などの声もかかるようだ。
参加応募の締め切りは9月末、つまり約3か月後である。そこから倍率数十倍の選考を勝ち抜いた約20人が、年末にイベントでパフォーマンスができるのだ。
智歩はイベントについて説明する傍らで、キャスタ付きホワイトボードに太いマーカーでせっせと文字を書きこむ。そして、再び菜調の方を向いて、こう言った。
「このイベントへの参加、そして観客投票での優勝。これを目標にしましょうっ!」
大きな『優勝』の文字を背中に、智歩は自信満々に言った。
菜調を飛躍させるためのチャンスを見つけ出した上に、短期目標に設定して今後の活動方針を固める。プロデューサーの初仕事として、我ながら上出来だと、智歩は思った。
菜調もそれには感心したようで、目標に同意すると「流石だ、智歩」と、智歩の銀髪の上にぽんと手を置いた。
――プロデューサー業、意外と”できる”かもしれない。
智歩は、自身の胸が高ぶる感覚を覚えた。
冷房の風が強く吹いて、風鈴がちりんちりんと鳴った。
◇
それから約1週間、智歩のプロデュース業は順調だった。
パフォーマンスのイベントに招致してもらえるよう商業施設などに営業をかけたり、SNSの活動を強化したりと、汗を流しながら充実した時間を過ごしていた。
そして、この日の智歩は、”新たなパフォーマンス会場の発掘がしたい”と菜調にプレゼンしていた。
智歩には”広い地域の人々に菜調の舞を知ってほしい”という想いが少なからずあった。それが動力になり、企画書の完成まで時間はかからなかった。
「……というわけで、パフォーマンス会場の拡大をしようと思います。どうですか?」
「良いな。許可を取るのは大変だが、頑張ってくれ。応援する」
菜調の反応も良かったので、小さくガッツポーズ。まずは申請に必要なことを知らなければと、智歩はピアノを弾くようにキーボードを叩き、過去の申請資料に目を通す。
次の瞬間、智歩の眉間にしわが寄った。
空調の自動運転のタイマーが切れ、ひらひら舞っていた風鈴の下部が、だらんと力なく垂れ下がった。
見落としていたのだ。彼女のパフォーマンスにかかる制約を。
まず、3m以上の身体を全力で振り回せるスペースが必要だ。さらに、観客との接触を避けるため、空間にはある程度の余裕が要求される。
結果、半径5mほど――小学校の教室くらいのスペースが要求されるのだ。
そして、大規模なストリートパフォーマンスでの会場確保には、基本的に施設の所有者らの許可が必要だ。
しかし、最近では多くの施設で、大道芸などの許可が下りづらくなっている。特に、広いスペースを要求する上に、同ジャンルのパフォーマーによる前例も提示できない菜調が許可を得るのは、極めて困難だろう。
エアバッグが起動したように、膨大な懸念事項が脳内で膨んだ。脳が破裂しそうだ。
会場拡大は、得策ではなさそうだ――。
そうだ、私は菜調さんのブレーンとして成果を出さなきゃいけないんだ。実現不可能な施策に、ぐずぐず引っ張られてはいけない。優秀な仕事人は、取捨選択が上手いんだ。
幸いにも、菜調さんに伝えた話は草案の段階だ。まだ軌道修正は可能――いや、軌道修正するなら今しかない。
智歩は右手で頬をぺしぺし叩き、気合いを入れなおした。
◇
さらに3日後。
白紙の企画書を前に、智歩の眼は、虚ろになっていた。
智歩は現在、菜調の活動の舞台をネットに移せないか考えていた。それなら、会場の制約に悩まされることはない。しかし、智歩自身が『菜調のパフォーマンスはリアル体験でこそ輝く』と考えていたため、作業の手があまり進まなかった。
かといって、リアル会場を拡張することも現実的とは思えなかったので、そちらに手を付けることもなかった。
ときどき何かを思い出したように顔を起こすと、焦って時計の針を確認し、時間の経過にため息をつく。そして、再びうんうんと悩み続ける。そんな時間を、ただただ繰り返していた。
突如、強烈な冷気の塊が、額を突き刺した。
「びゃぁっ」と声を上げて、智歩は尻もちをつく。
顔を上げた先には、菜調が2本の棒アイスを持っていた。片方は食べかけ、もう片方はパッケージに包まれた未開封状態だ。
「……何ですか、菜調さん」
「食うか?」
「……はい」
不機嫌な態度を隠さないまま、智歩は菜調の手から青いアイスを掻っ攫った。アイスを咥えると、自ずと口先が尖った。
ふと時計を見ると、18時だった。『今日は一日中の時間を使えるから、遅れた進捗を取り返すぞ』と息巻いて取り組んだのに、結局のところ進捗は白紙。一日寝ていた方が、まだ有意義だったとすら思える。
菜調の視線がこちらを捉えた。思わず智歩は身構えるが、菜調は何も言わない。彼女は静かにアイスを食べながら、練習で身に着けた新しい技について、眼を輝かせながら語っていた。それに反して、何もできていない自分が、とてもちっぽけに見えた。
「凄いですね……菜調さん。何もできない私と違って」
溶けたアイスでべたついた手をハンカチで拭いながら、智歩はぽつりと呟いた。
菜調は驚いたように青い瞳をぱちぱち開くと、智歩の隣にすっと腰かけた。気が付けば、智歩の腰周りを黄土色の蛇体が囲っていた。そして、蛇体が智歩の身体を、やさしく包んだ。
菜調は横を向き、彼女の青い瞳が、再び智歩を見つめた。
「そんなことはない。智歩には、私を導く
細いが筋肉で引き締まった腕が、おもむろに智歩の頭を撫で始めた。
彼女のやさしさを、智歩は上手く呑み込めなかった。
上辺だけは張り切って、実際は無力な自分。そのぺらっぺらの表皮だけを無理やり褒められているようで、彼女を裏切ってしまっているように感じてしまう。
屈辱、反抗心、劣等感、無責任さ、罪悪感、焦燥感――色々な感情が、闇鍋のようにごちゃ混ぜになって、ふつふつと煮詰められていた。そこから醜い感情が悪臭となって溢れ出すのを、抑えることができなかった。
今は、関わらないでほしい。放っておいてほしい。どんな言葉も、呑み込めない。
「……ありがとうございますっ」
智歩は左手で菜調の腕をのけながら、乱暴に返事をした。
それからしばらく、無言の時間が続いた。菜調は夜勤のアルバイトのために家を出た。
ぱたん、と扉が閉まる音と共に、智歩は我に返った。
――何やってるんだ、私。
ふと、真っ白なホワイトボードに、『優勝』の文字がかすれているのが見えた。
1人だけの部屋に、ひぐらしの鳴き声がさびしく響いた。
◇
翌日。智歩は重い足を引きずるように、菜調の家に向かっていた。
この日は夏の酷暑がやけに早起きだった。すれ違った散歩中の犬が、病院で診察を受けているかのように舌を出している。
身体からにじみ出る汗の不快感が、足取りをいっそう重くする。まるで、粘着剤を全身で浴びているかのような気分。起きがけにシャワーを浴びたことが、もはや信じられなかった。
汗でべたついたシャツを身体から引き剥がし、ぱたぱたと仰いで身体に風を送り込んだ。その中で智歩は、高校時代の部活動でも、夏には同じように体操服をぱたぱたしていたことを思い出す。
そのまま智歩は、部活の思い出について回想を始めていた。
何かに夢中になって、輝きたい。
その想いは、部活動での青春で叶えられるはずだと思っていた。
そこで、特に活動が活発な陸上部に入部した。陸上に特に思い入れはなかったが、大会を目指して汗を流せば、自ずと夢中になれるはずと期待していた。
だが、1年目では『輝けた』手ごたえを感じられなかった。そこで、さらに部活にのめり込む必要があると、2年生になった時に、副部長に立候補した。
任命されて数週間は、『自分が部活を変えるぞ!』と息巻いた。そして、練習メニューの変更、今まで出ていなかった大会への出場などの検討をはじめた。
しかし、目の前にはたくさんの壁が、山のようにそびえ立った。部員の意見の取りまとめ、顧問との交渉……。それらの壁を乗り越える自信は、自分にはなかった。
選んだのは、それらを迂回する道だった。
結局、議論のテーブルに何かを上げることもなく、その後の生活は毎日同じコースを走るだけのものとなった。副部長の仕事が忙しい、受験もあると言い訳して、大会への練習すらいつの間にか疎かになっていた。
そして、足を踏みしめた感覚がないまま、気が付いたらゴールラインを踏んでいた。それが、部活の最後の大会だった。
――もしかしたら、今の自分も当時と同じコースをぐるぐると周回し続けているのかもしれない。
ぺたりと肌に吸い寄せられるシャツを見つめながら、智歩は高校の思い出を今の自身と重ねていた。
菜調さんは、夢を追う輝きを再認識させてくれた。そんな彼女とならば、どこか別の所に行けるかもしれないという希望を見た。でも、結局のところは、何も変わっていないのでは?
だとすれば……これ以上彼女と一緒にいても、何も得られないのでは?
そんなことを考えながら、下を向いてとぼとぼ歩いている内に、菜調の家の前に到着していた。この建物を見るのも、あと数回だけかもしれない。そんな発想が頭をよぎる中、扉を開けた。
「菜調さん、おはようございま……!?」
入室した智歩の眼に映ったのは、大きなバッグパックに荷物を詰める菜調の姿だった。
「あの……それは?」
「明日、山に泳ぎに行こうと思ってな。……そうだ、智歩も一緒に来ないか?」
◇蛇足のコーナー◇
「……そういえば、菜調さんっていつ寝ているんですか?早起きだと思ったら、夜勤入れていて……。でも、この前は昼に公園で練習していましたよね」
「特に決めてないな。バイトのシフト次第で柔軟にやっている。生活リズムを整えた方が良いとは、常々思っているんだがな」
「昼行性とも夜行性とも言えないんですね」
「ああ。ある意味、マムシと同じだな」
「そうなんですか?なんとなくマムシは夜行性のイメージがありましたけど」
「確かに夜に動く傾向は強いが、種全体が一貫した夜行性だとは言いきれないんだ。季節や生息地によって、活動時間が変わるんだ」
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