第二十二話




 ◇




 手を横に投げだした俊麗に、春狼は無駄のない動きで着物をまとわせていく。


 中衣に大口袴、表袴を履いて、中衣の上に鴇色の袍を身に着ける。胸当てをつけ、腰帯を巻くと、燈国の象徴である不死の鳥を模した帯留めで締める。襟部分の紐釦を留めてしまえば、燈服の正装は完成する。


 髪を頭上高くにまとめて団子にし、艶やかな長い前髪を横に垂らす。明るい色を基本として化粧を施すと、そこには誰も文句の言えないほどに、皇族としてふさわしい姿に仕上げられていた。


 俊麗が映った大鏡を見つめて、満足げに春狼は息を吐く。鏡の向こうには新年に合う暖色でまとめられ、洗練した自身の姿も映っている。俊麗単体だけでなく、二人が揃うことでより一層際立っていた。美的感覚に興味のない俊麗も、昨年とは大違いの自分の姿に満足しているようだった。


 春狼もいつもより華やかな、魅力を最大限に生かした衣装をまとっている。男装の正装と比べ、春狼が着用しているのは女装に近い礼装だ。羽衣を肩にかけると、より女性的な姿となる。


 宮中に来た初めの頃は嫌悪を感じていた服装も、自身に似合うものであれば、それはある種の武器になると学んでいた。長い髪を簪で高くまとめ上げ、俊麗の菫として申し分のない格好に仕上げている。


 時刻を知らせる鐘が麗華殿に響き渡る。位によって参列する時間は異なるため、指定されたときに出発を促す鐘が鳴るのだ。


「行くぞ、春狼」


 俊麗はそう言うと、笏を手に取り、長い袖を翻して出入り口へと進んだ。衣裳部屋を出て李と合流し、三人は麗華殿を出る。


 宮中の造りは上層と下層の二階層に別れている。上層には皇帝の住まう宮中や、後宮と燈子宮の殿舎が連なっている。政が執行される各部署は下層の奥。新年祝賀の儀が行われる儀礼殿は下層の中心地に構えられていた。


 皇子が渡る回廊を通って、西側の門から儀礼殿に下りる。後宮の女や皇子たちは滅多に下層へ下りることはない。新年の祝儀のような特別な機会がない限り、一年のほとんどを上層で過ごしている。


 晴れやかな衣装を身にまとった皇族たちが、儀礼殿の高台から広場を見渡す。


 高台の最上段の中央にある玉座に皇帝がつき、その右脇に皇后、側室という順で並ぶ。左脇には皇太子を先頭に継承権を持つ者が連ね、皇位を退いた太上皇やそれに近しい身分は二列目に、皇女などの継承権を持たない皇族は三列目の席に座る。


 広場には千を優に超える家臣たちが、深々と額を地面につけて儀式に則した礼で控えていた。微塵の動きも見せない、訓練された拝謁の礼は圧巻な光景だ。


 各領地を治める貴族が先頭に並び、重臣があとに続く。


 身分の高さの順で一定間隔を空けて跪き、武官と文官で別れた緑と青の鮮やかな発色の正装をまとった者たちが、左右に役職ごとに分かれている。一列に百人ほど、それが何十列も続いていく。後方にいくにつれて身分や役職が低くなっていき、皇族の姿が確認できないほどの距離には女官が大部分を占めていた。


 春狼はそれらを儀礼殿の下手、皇族直属の従者の控えの間で、李とともに見ていた。上辺の笑みを浮かべる俊麗の横顔を、今は空々しいとは思わない。皇帝と亡き母の命令を忠実に実行する姿は、似合わないことに健気であった。


 盛大な銅鑼の音が鳴り響き、冷たい冬の空気により一層、緊張に似た空気が張り詰める。皇帝が立ち上がり、ざざっと衣擦れの音を立てて他の皇族が続く。控えの間の従者たちも総じて頭を低くする。皇帝は広場に頭を垂れた色とりどりの服を満遍なく見渡して、空気を響かせて声が張られた。


「今日という新しい年を、皆と迎えられたこと、幸甚の至りである。東の大国の脅威にさらされる中、燈国に際立った争いの種が飛んでいないこと、我が臣下の多大なる努力と忠実な成果によるものだと理解している」


 皇帝の威厳ある声が、家臣たちの肌にびりりと当たり浸透する。大して声量が大きいわけではない。迫力のある研ぎ澄まされた声質が、静謐な空間に弾き渡っていく。


「これからも、皆々の不変なる忠誠を、余は期待している。――以上だ」


 そう新年の挨拶を占めると、家臣は口を揃えて「燈国への恒久的な忠誠を誓います」という文言を返す。大人数による挨拶の返答が空中に反響して、次第に調和を生む。巨大な建物である儀礼殿に跳ね返って、音は完全な霧散とはならない。


 皇帝は平静な顔で返答を受けとめ、背後の玉座に戻った。進行は丞相に任され、新年の催し事に移り変わる。


 乱れのない動きで家臣たちは脇に逸れると、待機していた燈国屈指の楽師たちが、皇族の前へと歩みでた。新年祝賀の挨拶を述べ、重臣の指示の元、催し事が始まる。


 国旗にも掲げられている不死鳥が、炎をまき散らして踊り狂う。その周囲を、踊り手たちが激しく舞った。それに合わせて豪快で心躍る演奏が響き渡り、明るく華やかな燈国の繁栄を祝う。


 一区切りがつくと、皇族や貴族らの元に酒や食事が運ばれて、また別の演者による催し物が行われる。


 昼から始まった新年の祝儀は、それから夕刻まで続く。夜になれば皇帝と皇后を中心に、貴族を交えた祝いの儀が執り行われるのだ。


「お務めご苦労様でございます」


 儀礼殿の控えの間にて、春狼は祝いの場からはけてきた主人を迎える。周囲には他の皇族がいるため、俊麗は貼りつけた笑みを浮かべたままだ。その顔には長い式典への疲れが混じっていた。


 俊麗を大袈裟に無視する皇族らは好都合であったため、そのまま儀礼殿をあとにする。春狼は去り際に可丹と視線が絡み、可丹からにこやかに手を振られた。


 通路を渡って、俊麗と春狼、そのあとに続く李は、上層の麗華殿に戻る。等間隔に立つ衛兵には聞こえない声音で問う。


「可丹様が手を振っていたの見えたか?」

「ああ」


「可丹様の着物の柄、綺麗だったなぁ。俊麗のも、もっと華やかな柄物にすればよかったな」

「これ以上派手なものはやめろ」


 春狼と俊麗が軽口を叩いたとき、李の足音がぴたりと止む。


「李殿?」


 後ろをついてくる気配がなくなり、不思議に思った春狼は背後を振り向き、俊麗も立ちどまる。


 回廊の中央に立って、李は別の方向を睨んでいる。辺りを警戒したまま動かない。鋭い瞳を周囲に満遍なく向けている。次第に顔を険しくする李に、春狼は嫌な予感がした。


 ぴたりと俊麗に体を近づけ、周囲をうかがう。いつの間にかそばにやってきた李が、二人を回廊の壁に寄せた。李の背に守られながら、李の視線の先に目を向ける。


 視界に映る影は七つ。


 周囲にいたはずの衛兵四人と、黒の服を全身にまとった不審な人物が三人だ。ゆっくりと春狼たちに近づいてくる彼らは、体格から全員が男であろう。衛兵の姿をした者たちは腰に剣を差しているのが見てとれる。


 七人の不審人物たちはためらいのない足どりで接近してくる。手練れであるのだろう、足音を一切立てていない。


 俊麗を守るべく前に立った春狼は、息を潜めて限界まで後退する。灯篭の炎がじりりと音を立てる以外、その場にいる者の息遣いさえも聞こえなかった。


 李は一歩、また二歩と、春狼と俊麗を背中で押した。視線は目の前の七人から離しはしない。


 春狼の脳内にあったのは「俊麗だけでも逃さなければ」という思考だった。


 剣を抜いた衛兵姿の刺客の陰で、黒服の一人が李に向かって、寸鉄を投擲した。素早い動作で李は腰の剣を抜きとると、寸鉄を弾き飛ばす。


 それを契機に、また別の者が小刀を投げる。李は剣で弾かず、目にも止まらぬ速さで柄を掴みとると、逆に敵側に投げ返した。


 その鋭い返しに虚を突かれた黒服の首元の肉を小刀が抉る。血を流して態勢を崩す仲間を気にも留めず、衛兵たちは李に剣を振りかざした。


 李が衛兵三人を相手取り、立ち回る。俊麗たちを守りながらの攻防は人数的には不利でしかなかった。


 目の端で火の揺らめきを感じた春狼は、反射的に頭上の吊り灯篭を、火傷も気にせず掴むと刺客たちに投げつけた。


「皇子! 逃げてください‼」


 かけ声とともに俊麗の肩を押す。俊麗は目を泳がせたものの、瞬時に判断を巡らせ着物を翻し、上層の門へと素早く駆けだした。


 春狼は不審者と俊麗を分断するために、横に立つ灯篭を蹴り倒す。


 最初の火を避けた黒服も、灯篭の火から逃れることはできず、一人が火を被った。「ぎゃ!」という呻き声を耳にしながら、春狼は髪をまとめた簪を手にとる。首元を長い髪がばらりと落ちていく感触とともに、衛兵の一人に飛びつく。そのまま勢いよく簪を衛兵の目に突き刺した。


 汚い叫び声をあげる男の横から、李の横から抜けだした一人が襲いかかってくる。軽やかな動きでそれを避け、再度吊り灯篭を投げようとしたとき、小刀を投げ返された黒服が、首元を抑えながら俊麗の方へ走っていくのを目の端に捉える。


「くそっ!」


 李は一人の衛兵に致命傷を負わせたようだったが、残った衛兵姿の一人を相手にして動くことができない。


 ――俊麗の元へ行かせるものか!


 春狼は火元を鷲掴んで投擲する。直線で投げられた木の端は、火の粉をまき散らして、駆ける黒服の頭に激突した。突然の炎に足を崩した男から目を外し、春狼は俊麗の元へ急いで向かう。


 しかし、前に進むことはかなわない。先ほど避けた衛兵に長い髪を掴まれたのだ。


 ぐいっと後方へ引っ張られる。髪が頭皮から抜け、ぶちぶちっという嫌な音が耳につく。乱暴に髪を掴まれたまま引きずられ、春狼の軽い体は壁に強く叩きつけられた。


「かはっ!」

「春狼殿‼」


 肺を圧迫する痛みと、背中の衝撃が一度にやってくる。李の声がたわんで聞こえ、壁下にうずくまってしまいそうになる。


 痛みで震える足に力をいれて、春狼は立ち上がりたかった。混乱と焦燥の頭の中で、様々な危険信号が点滅している。俊麗、という単語だけが頭に残る。


 上層へと続く門の近くで、火の粉を散らす刺客が俊麗に近づこうとしている。


 急いで駆けつけようとするも、呼吸が思うようにできない。息がつけないまま足を踏みだすと、前髪を力強く掴まれた。目の前の衛兵が視野に入っていなかったことに、春狼は内心で叱咤する。


 衛兵に髪を持ちあげられたまま、激しく頬を殴りつけられた。鼻か口からか分からない血液が地面に飛沫を作る。痛みを感じながらも、怯むことなく春狼は衛兵を睨みつけた。


 その狼のような銀色の瞳に一瞬たじろいだ男は、その感情を誤魔化すように、再度こぶしを振りあげた。一気にやってきた頭への衝撃により、春狼の体から力が抜ける。


 ――俊麗は逃げられただろうか。


 確かめることもできず、春狼の意識はばつりと音を立てて遮断された。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る