EP 5

初めての自主練と見えざる才能

その日、父アークスは防衛隊の訓練へ、母マーサは街へ買い物に出ていた。家の中には、ベビーベッドに寝かされた俺――リアンと、階下でまどろんでいる愛馬フリッカーの息遣いだけが響いている。

静寂。それは、リアンにとって待ちに待ったチャンスの到来を意味していた。

(よし、母さん達はいないな。さすがに毎日じっとしてるのは、つまらないし、何より時間がもったいない)

前世では、分刻みのスケジュールで厨房を駆け回っていた男だ。この何もしない、できない時間というのは、ある種の苦痛ですらある。

(まずは、母さんのあの『魔力』からかな。あの清らかで優しい感じを、俺自身が出せるのかどうか…試してみる価値はある)

リアンは目を閉じ、全神経を自分の内側へと集中させる。

いつもは外側――両親から感じていたエネルギーの流れを、今度は自分の中に探す。それは、暗闇の中で一本の細い糸を手探りで見つけ出すような、途方もなく繊細な作業だった。

数分か、あるいは数十分か。赤ん坊の短い集中力が切れかける、その寸前。

リアンは、それを「感じた」。

自分の体の中心、へその少し下あたりに、ごくごく僅かな、しかし確かな熱源のようなものがある。それは母マーサの魔力に比べれば、まるでロウソクの炎と太陽ほども違う、か細く頼りないものだったが、間違いなく自分自身の力だった。

(よし、これが俺の魔力か…! 見つけたぞ!)

歓喜に打ち震えながら、リアンは次のステップへ進む。

(えっと、アニメや漫画の知識だと、普通はこの魔力を『炎』や『氷』の形に変えたりするんだよな)

リアンは、その小さな熱源に意識を集中し、強く念じた。

(燃えろ…! 凍れ…!)

しかし、何も起こらない。部屋の温度は変わらず、リアンの小さな体に変化はない。

(やっぱり、そう簡単にはいかないか。呪文とか、精霊との契約とか、何か特別な手順がいるのかもしれないな)

だが、リアンは諦めなかった。攻撃魔法が使えないなら、別のことを試せばいい。

(いや、待てよ。俺は今、この魔力を『感じる』ことができる。そして、その存在を『認識』している。なら…)

リアンは発想を切り替えた。

(この感じている魔力の塊を、体の中で動かすことはできないか?)

彼はまず、その小さな熱源を、ゆっくりと頭のてっぺんまで引き上げることをイメージした。すると、体の中を温かい何かが、まるでぬるま湯が管を通るように、ゆっくりと上っていく感覚があった。

次に、足のつま先へ。今度は下っていく感覚。右手、左手、背中、そしてまた体の中心へ。

(よし…! 何かを生み出すことは出来ていないが、体内の魔力を自在に動かす感覚は掴めたぞ)

それは、地味で、誰にも評価されることのない、たった一人だけの訓練。

しかし、リアンは確かな手応えを感じていた。前世の料理修行も、最初はひたすら野菜の皮むきや鍋磨きだった。基礎が何よりも大事なことを、彼は骨身に染みて知っている。

(暇な時間はたっぷりあるんだ。この感覚、徹底的に鍛え上げてやる)

まだ誰も知らない。

この日、シンフォニア家の赤ん坊が始めた地道な自主練が、後に彼の魔法の才能を、常識外れの形で開花させることになるということを。

リアンは来るべき日に備え、今日もベビーベッドの上で、静かに、しかし着実に、その牙を研ぎ続けるのだった。

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