第4話 「おやっさん」の思い出

 数日後、放送局の控室。気象予報士・田上たがみ健次郎けんじろうは、番組担当のディレクター・山下やました直樹なおきに相談した。


「山さん、この論文『置賜おきたまの冬の気象理論』のポイントを『お天気ワンポイント』で紹介したいんです!」



 山下は論文を見るなり、思わず声を上げた。

「あっ、これ! 『おやっさん』の論文じゃねぇか! 懐かしいなあ……!」



「え……『おやっさん』? 山さん、高峰たかみね哲四郎てつしろうさんをご存じなんですか?」

 驚いた田上が尋ねると、山下は得意げに胸を張った。



「知ってるも何も、俺が記者として初めて取材した相手が、この高峰哲四郎だったんだよ。しかも、ちょうどこの論文がテーマでさ。あのときは本当に、いろいろ衝撃だったなあ……」



「えっ、それじゃあ……もう、ずいぶん長い付き合いなんですか?」



 山下は懐かしそうに笑い、椅子にもたれて話し始めた。


「まあ、『付き合い』って言えるかどうかはわからないけど、俺にとっては『社会人としての親父』みたいな存在だよ。


 まあ、年齢的には『兄貴』って言ったほうが近いんだろうけど……なんていうかな、頼れる背中ってやつ?


 気づいたら『おやっさん』って呼んでたよ」



 田上は目を丸くして、

「へぇー、そんな間柄だったんですか」と感心したように呟いた。



「そうそう。おやっさん、あの頃は、健ちゃんの今の会社『置賜予報センター』の立ち上げにも関わっててさ。俺はまだこの放送局に入社したばっかりで、現場の右も左も分からない新人記者だった。上司には怒鳴られっぱなしだし、毎朝出社するのが本当に憂鬱ゆううつだったよ」



 山下は懐かしさと少しの苦笑をにじませながら続ける。


「そんなときに、突然この論文を書いた人物を取材しろって言われてさ。緊張しながら会いに行ったら、出てきたのが『おやっさん』だった。


 あの人、堅物かたぶつに見えて話は面白いし、何より人の話をちゃんと聞いてくれるんだよ。気がついたら、取材後も『山ちゃん、飯でも行こうや』って何度も誘ってくれてな……。当時は仕事の愚痴を聞いてもらってばかりだったけど、精神的には本当に救われてたな」



「へぇ……そんなに信頼してた人だったんですね」


 田上が思わず感嘆すると、山下は照れたように鼻を鳴らした。


「それだけじゃないんだ。実はおやっさん、俺が大学でやってた数理経済学のことにも興味を持っててさ。天候リスクを金融工学で評価する『天候デリバティブ』って、あるだろ? その話で、めっちゃ盛り上がったのを覚えてる!」



「……な、何かすごい話ですね」


 田上は、高峰という人物が持つ幅広い知識と人間味に圧倒され、言葉を失った。


「で、その高峰さんって、今はどうされてるんですか?」


 田上の問いに、山下は少しだけ眉をひそめた。


「確か、越後えちご予報センターにいるって話は聞いたな。ただ、最近は羽越うえつの大学にも顔を出してるらしい。……何をしてるかまでは、ちょっと俺も分からないけどな」


 静かな間が流れる。


 論文を見つめる田上の目は、どこか遠くを見ていた。

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