フィクションとリアルをリンクさせて紡ぐのは、言葉の宝石たち。

 まず、十作すべてに目を通して思ったのが、その多様さ。題材から、表現から、着地の仕方から十首十様という感じがあって、一首一首を噛み締めるみたいに眺めてしまいました。
 デスゲームというフィクションから始まる連作は、けれどデスゲームのようなものはリアルでも地続きで存在するよな、と思わされるリンク具合で作品全体の色や温度を保っています。

〈体温を測るふりして熱じゃないものを測ってる、やっぱり熱かも〉
 この”熱”というリアルと”熱じゃないもの”のフィクションによる対比は、ありありと情景が浮かんでくるようで作品の強度をほこる。「ああ、この切り口、良いなあ。」と思わず膝をうつ作品でした。

〈濁らないことを生活と呼んでたあなたの手が冷たかった日のこと〉
〈ね! つよめの幻聴で聞いて あの頃の空の高さで大好きでした〉
 連作の中にはリアルによるままならなさ、どうしようもなさを描いた歌も何種か存在し、それらが連作の色味をぐっと深くしているのは間違いありません。作者の上手いのはそれらを表現する題材も技法も「ああ、そこを書くのか。」と思わせる選択の眼。”濁らない”と”冷たかった”の並列、”ね!”という大胆な表しざま。そのことによって輪郭が際立つリアル。

〈トーストをくわえて走り出す勇気ほんとはセカイを愛してたでしょ?〉
〈すれ違う 踏切を渡り切るまでは運命を信じてもいいよ 花嵐〉
 一方でフィクションを強く描いた際には、希望の色が強く映し出されます。セカイ系を彷彿とさせる”セカイ”というカタカナの表現から、”運命”というリアルもフィクションも捉えることのできる言葉が繋がっていく。そして舞う花嵐。

 現実も架空も織り交ぜながら、それでもからりと光る宝石のような言葉を生み出す。この連作の読後には、フィクション、リアル、それぞれへの希望が残されているように感じました。素晴らしかったです。

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