吉田さんには私が居るから

 梅雨の季節になった。

 バケツをひっくり返したような大雨が降っている。魚群が空を泳いでいるみたいだ。


『ずっと吉田さんのこと見てたから』

『選んだ道を正解にすればいいんだよ』


先週、水谷さんに言われた言葉を思い出す。

ずっと、何かに縛られていた気がする。でも、今はそれが少しだけ緩まって、視界が開けたような。そんな感じがした。


 私が頬杖をつきながら教室の外を見ていると、隣の席から日向さんの声が聞こえてくる。


「みずっち、今日一緒に勉強しよっ!」


「あー…どうしよ」


「凛ちゃんも一緒だしさ、偶には良くない?」


「そうそう。それに今日からテスト期間だよ」


 適当に視線を逸らす水谷さんに、笑顔を向ける日向さんと西城さん。…西城さんの名前って「凛」なんだ。知らなかった。


「…それも、ありかもね」


 深く息を吐いて、水谷さんは瞼を閉じる。

 そして、くるりと隣の席に身体を向けた。


「吉田さんも一緒に勉強しない?」


「え」


 え、え……?何でわたし?仲良し3人組のメンバーじゃないよね、私。水谷さんと日向さんとは関わりあるけど……。


 ニコニコと笑いながら私を見下ろす水谷さん。

 日向さんの口から「吉田さんも……?」という声が洩れる。


「あれ、水谷って吉田さんと仲良かったっけ」


「まあ、それほどかな」


 西城さんから怪訝そうな目を向けられる。「わ、私は……」辞めておくよ、と言いかけると、3人から一切に視線が投げかけられて。


「い、良いじゃん!一緒に遊ぼうよ吉田さん!」


「勉強でしょ。日向」


 西城さんは呆れたように呟く。

 日向さんは「勉強もするから!!」と元気に文句を言い返す。


「…水谷さんどういうつもり?」


 2人がわーわーと言い合っている間に、わたしはそっと水谷さんに耳打ちする。すると、水谷さんは悪戯な笑みを浮かべた。


「偶には、良いでしょ?」


勘弁してほしい。ただでさえ今日は雨が降ってて憂鬱なのに、複数人と勉強なんて。

そんな経験わたしには無い。


断ろう。そう思っていたのに、


「私も吉田さんと勉強、したい、な……」


西城さんとの言い合いを辞めて、日向さんは私の目の前に立って言う。その表情には、不安が見え隠れしていて。


「わか、った……」


私の口はひとりでに動いていた。

私の返答を聞いて日向さんは「じゃあ行こうか」と言って、歩き出す。

それに続いて西城さんが、そして水谷さんが後に続く。


言ってしまった以上は取り消せない。

私も重い足を引き摺りながら3人についていく。


空模様のせいで半ば薄暗くなった廊下。

校舎を出ると気も遠くなるほどの雨が降っていて。


私たちは急いで傘をさし、水滴に押されながらもファミレスに続く道を歩く。


「凛ちゃん、今度一緒に夏服買い行こ!」


「この前も行ったじゃん…。てか日向部活は?」


「午前だけだから大丈夫だよー!それに大会もまだ先だしね」


目の前で日向さんと西城さんが談笑を交わす。

私と水谷さんはその後ろを並んで歩く。


水谷さんは例によって笑顔だった。

一体誰のせいで巻き込まれたと思ってるの貴女のせいなんだけど水谷さん。


「…私、行きたくないんだけど」


「良いじゃん別に」


水谷さんは済ました顔を続ける。

私のこと、何も考えてないみたいに。

それが無性に嫌で、


「水谷さんも成績良いし、勉強会とかする必要あるの?」


気づけば憎まれ口を叩いていた。


「…確かに必要ないかもね。やっぱり、帰ろうかな」


風で、水谷さんの髪がその顔を覆う。

隠れた頬から、雨粒に似たものがこぼれ落ちていた。

水谷さんは、くるっと身体を180度回して私たちと逆方向に行こうとする。


眉は下がって笑顔は消えていた。

その姿は、本当に悲しんでるみたいに見えて。


「ま、待ってよ……」


私は振り返る水谷さんの手をぎゅっと掴んだ。

じゃないと、雨に紛れて彼女を見失ってしまいそうだったから。


今のは、私の本心じゃない。

誘われて、最初は不安だったけど。

でも、水谷さんとなら良いかなって、そう思ったのに。


「水谷さんが行かないなら、私も……」


水谷さんと、一緒が良い。

水谷さんなら、私を分かってくれる気がするから。私の内側まで全部受け止めてくれそうだから。


繋ぎ止めるように彼女の手を握る。

すると、水谷さんはゆっくりと振り返ってにっこりと笑った。


「嬉しいこと言ってくれるなぁ。さすが、私の恋人」


水谷さんの目元は、涙で赤く腫れて……なんて居なかった。頬はカラカラに乾いていたし、瞳は潤んですらいなかった。

呆気に取られて開いた口が塞がらない。


「吉田さんは素直だね。でも、もうちょっとだけ人を疑ったほうがいいよ」


「……うそつき」


私は辛うじてその四文字を言い放った。

そんな私を見て、水谷さんは楽しそうに笑った。







あれからファミレスに着いて、大体2時間くらいが経った。勉強を終えた私たちはファミレスを出て、帰宅中だ。


前を歩く日向さんと西城さん。その会話に時々水谷さんが加わっている。


「いやー捗ったね!これなら絶対満点とれちゃうよ!」


「いや、日向最後ら辺ずっとアイス食べてたじゃん」


「あはは、まあ勉強にはなったんじゃない?」


西城さんが辛辣な言葉をかけ、それを水谷さんがフォローする。

私はそれを聞いているだけだったけど、偶に日向さんが話題を振ってくれて、少しだけ混ざることができた。


相変わらず雨は降りっぱなしで道路にも水溜りは出来ていたけど。気のせいか晴れ間が見えていたような気がした。


そんな時だった。

トラックが、大通りを猛スピードで走ってくる。歩道で話す私たちの横を。

私は車道側にいて、隣の縁石近くには大きな水たまりが出来ていた。そして、そこをトラックが減速することなく、通り過ぎた。


「吉田さん!?」

「まじ……?」

「……わぉ」


バッシャーン。

大きな音を立てて、水の塊が私だけを襲った。


「どうしよ……」


傘が多少守ってくれたとはいえ、制服はビショビショだった。

日向さんが急いでタオルを取り出すけど、焼け石に水、ほとんど意味がない。

体に寒気が走って、唇が青白くなっていく。


「大丈夫!?今すぐお風呂とか入らないとだよね!?」


「まあ、家直ぐ近くだし……」


幸いにも家まで後15分くらいだ。それまでなら多分何とかなる。濡れたせいで色んな所が透けているから恥ずかしくはあるけど。


「じゃ、じゃあ私も一緒に着いて行っていい?…何か助けになるかもしれないし!!」


「……え?」


何か、って気持ちは有り難いけど……。

でも、出来るだけ家には誰も入れたくない。


……見られたくないから。


心配そうに顔色を伺う日向さん。

どうしよう。そう思っていたら、


「私が連れ添うよ。…わたし吉田さんの家族と面識あるし」


水谷さんが私たちの会話に入り込んだ。


「へ、へぇ〜、みずっちって吉田さんとそんなに仲良かったんだ」


「うん、だから日向は気にしなくて大丈夫だよ。吉田さんには私が居るから」


そう言って水谷さんは私の手を掴む。

そのまま日向さんと西城さんに「じゃ、そう言うことだから」と手を振ってその場を去った。


日向さんの、曇り空のような顔が一瞬だけ視界に入った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る