付き合っちゃおうか
帷が降り、太陽が身を隠した繁華街。
人混みを楽しむように歩いていく水谷さん。
暫く歩いて、淡い雰囲気を醸し出すラブホテルへと入る。
水谷さんは手慣れた手つきで大きな画面をタッチして部屋を決め、フロントから鍵をもらった。
私たちの部屋は6階で。エレベーターの中、息苦しい沈黙が流れる。
「緊張してるの?」
「…してない、けど………」
恥ずかしい。一度経験したとはいえ、以前はご飯を食べるという名目があった。でも、今回は…いや、今回だって水谷さんから真意を聞き出すために来たんだ。それ以上の意味なんてない。
気を紛らわそうと、目線を空中へと投げ飛ばす。
キョロキョロと落ち着きのない私を見て、水谷さんは可笑しそうに笑った。
「緊張してるんでしょ?だいじょうぶだよ」
「そんなんじゃないから。勘違いしないで」
「またまた〜」
私を落ち着かせるようにして、そっと手を繋がれる。不本意ながらも落ち着いてしまうから。恐る恐る彼女の手を握り返した。
「吉田さんのそういうとこ、わたし好きだよ?」
調子に乗って水谷さんは指と指を絡め合わせてくる。俗に言う恋人繋ぎと言うやつだ。
私には縁のないものだと思っていたけれど、まさか初めての相手が水谷さんになるとは。
「そういうとこって何」
「頑固そうに見えて素直なとこ」
水谷さんは心を見透かしたみたいな表情を浮かべる。私が素直だなんて一体どこを見てそう言っているのだろうか。大体ここに来たのだって水谷さんが何でこんなことしてくるのか聞き出すためだし。今手を繋いでいるのだって…
「…手を繋ぐのは、エレベーターの中だけだから。水谷さんが不安がってたら可哀想だし」
そう弁明すると、水谷さんは益々調子に乗ったようで。「じゃあそう言うことにしとくね?」と身体を寄せながら言った。
その会話以降、お互いに話すことはなく…。沈黙が辛いって人もいるみたいだけど、私にとっては必要以上に踏み込んでこない彼女が有り難かった。
エレベーターが止まり6階へと着く。
手を繋いだまま誰も居ない廊下を歩いて、部屋へと続く扉に手をかける。
水谷さんは相変わらずニコニコと楽しそうにしていて。水谷さんはただ私と仲良くお喋りしたいだけなのか?と思った。けれど、よくよく考えれば陽キャの彼女が隠キャの私と話す理由なんてないし、私だってそんなのごめんだ。
水谷さんは鞄を円形の小さなテーブルに置いてベットへと腰掛ける。それに釣られて私も同じ動作を半ばぎこちなく繰り返した。
「ねえ、何でそんなに遠くに座るの?もっと近くに来てよー折角2人きりなんだからさ」
私と彼女の間にはひと2人分ほどの距離が空いていて。それに不満があるのか水谷さんは口を尖らせて言う。
「折角の意味がわかんない。別に2人きりじゃなくても水谷さんには近づかないから」
「さっきまで手繋いでたじゃん」
冷静に言葉を返される。確かに、一理あるけど。それとこれとは話が違う気がする。
何と言うか、常に水谷さんに会話の主導権を握られてる気がする。なんかウザい。
「…水谷さんって何が目的なの?パパ活バレたくないからとか嘘だよね?」
「何でそう思うの?」
「理由がないでしょ。私と関わる理由が」
一切表情を崩さない水谷さん。笑顔が張り付いたその表情は、心奥を覗かせないようにしているのだろう。
だけど、水谷さんの目的がパパ活を隠すためじゃないのは分かる。クラスで陽キャの彼女は私とは違って発言力があるから。私を虐めたりして言わせないようにすることだって出来るはずだ。
何より、キスしたりとか、そんなのする必要ない。何の取り柄もない私に魅力なんて無いし、女同士だ。あり得ない。
「あるよ。だって、好きだもん」
「は?」
誰を?誰が?
予想外の言葉に口が半開きになる。
もしかして、本気で言ってるの……?
隣に座る水谷さんは恥ずかしそうに髪をくるくると触っていて。
「吉田さんのこと、私が好きなの。だから関わりたいし、それ以上もしたい」
それ以上。それは……つまりハグとか、キスとか。それだけじゃなくて……。
頭が沸騰しそうになって急いでその思考を逃す。
「嘘でしょそれ。パパ活してるような人、信用できない」
「…どうしたら信じてくれる?」
水谷さんは捨てられた猫のような顔をする。
普段の、明るくて五月蝿くて下品な水谷さんじゃない。今、会話の主導権はこちらにある。私がするべき事は彼女の本意を探る事だ。
でも、メンタリストでもない私に、人の心を読むなんて芸当出来る気がしない。
だったら………
「……脱いで。今すぐにここで」
散々振り回された仕返しをしてやる。
躊躇いがちに、だけど高圧的な声をあげる。
上目遣いでこちらを覗いていた水谷さんは、戸惑いの表情を浮かべ、その眼差しにも陰りが見え始めた。
下着なんて学校の更衣室では色んな女子に見られるものだけど。2人きりで、ラブホテルで。そんな状況なら話は別だ。
他人に下着を見られるなんて恥ずかしいに決まってる。
「別にしなくてもいいよ。水谷さんが嘘ついてるって分かったから
私は勝ち誇ったように告げる。
私のことが好きだなんてバレバレの嘘つくからこんなことになるんだ。
そう思っていたら……
「…恥ずかしいから、あんまり見ないでね?」
ポツリと呟かれる一言。自分の耳を疑った。
その直後、水谷さんは紺色のリボンをするりと外し、ボタンに手をかけ始めた。
一つ、また一つと外されていくボタン。
インナーの肩紐から肩がするりと抜け落ちて、
徐々に姿を現していく白色の下着。
ごくり、と喉が鳴ってしまう。
シャツのボタンが外れて露わになる純白の布地。それを恥ずかしそうに腕で隠す水谷さん。
俯いてしな垂れた茶髪。華奢で細雪のような身体。
「……何で脱いでるの」
「だって吉田さんが……」
水谷さんの弱々しい姿に罪悪感が駆られる。
命令したのは自分なのに、実際にされると自分がまるで禁忌を犯しているかのような気持ちになって。
「冗談に決まってるでしょ……頭おかしいんじゃないの?」
責任を彼女に押し付ける。
いけないことをしている様な気がして理性は必死に目を逸らせと言ってくる。でも、私の瞳は言うことを聞いてくれない。
「……"吉田さんになら"、見せてもいいよ?」
猫が飼い主に甘えるように近づいてくる水谷さん。重力に逆らえずに存在を主張してくる胸と金糸のような綺麗な茶髪。
後ろへ下がろうとして、この前押し倒された記憶が蘇る。平静を装って彼女を見据える。
少し動けば触れてしまいそうになる距離。
「触らないの?」
「……触らない」
「私ほんとに好きなんだよ?こんな気持ちになったの吉田さん"だけ"だよ?」
「…例えば、どんな所が?」
甘い言葉の数々に、主導権を握られないように辛うじて質問を返す。
水谷さんは暫く考え込んだ後、ニヤリと妖艶な笑みを浮かべた。
「恥ずかしいから耳元で言ってもいい?」
…罠だ。絶対に何か企んでる。
別に彼女が私を好きかどうかなんてどうでもいい事だし、、、多分嘘だ。
こんな誘いに乗る必要はないし、無視してさっさと帰ればいい。大体、先週私にキスしてきた理由とか、そんなの分からなくても良いじゃないか。
そんな理屈とは裏腹に、、、私は無意識のうちに彼女に身体を寄せていた。
自分の耳を彼女の口に近づける。すると、待ち構えていたかのようにぎゅうっと抱きしめられた。
「すき……ぜんぶすきだよ?吉田さんのぜんぶが………食べちゃいたいくらいに」
「ずっと見てたよ……吉田さんが教室で寝たふりしてるのも…私のこと気になって見てたのも」
「吉田さん"だけ"だよ、こんな気持ちになるの……君"さえ"居れば後は何も要らないよ…」
私の心をくすぐる水谷さんの愛情。
甘い香水の匂いと、どこまでも柔らかい肢体。
理性がぐじゅぐじゅに溶かされて、何も考えられなくなる。
何度も囁かれて耳元が本当に食べられているんじゃないかと錯覚する。
「それ……ゃめ……て……」
「なんで?いまの吉田さん、とっても幸せそうだよ?」
抵抗するようにか細い声を上げる。だけど、それすらも水谷さんの声に遮られて。
自分が満たされていくのを感じる。砂漠の渇いた地面に水が染み込んでいくような。そんな感覚に襲われる。
もっと欲しい。もう少しだけ、もう少しだけだから。後少しで辞めるから。
そう自分に言い訳しながら快楽を享受する。
それなのに…
「はい。もう終わりだよ」
「……?なんで……?」
何故か体を離された。身を寄せられ、近くで感じていたはずの温もりが急に居なくなって。心にぽっかりと穴が空いたみたいな虚無感を覚えた。
「何でって……私が吉田さんを好きなのは十分伝わったでしょ?」
水谷さんは悪戯っぽく笑う。
その言葉を聞いて、いつの間にか目的は達成されたことに気づいた。水谷さんの真意を確かめるためなのに。…それなのに、「もっと欲しい」と思っていた自分が恥ずかしくなる。
「私が吉田さんを好きなのは分かったよね。吉田さんも私のこと好きみたいだし…付き合っちゃおうか」
「……いや。別に、水谷さんのこと好きじゃないし」
「あんな顔してたのに?満更でも無かったんでしょ?」
艶やかに人を弄ぶ微笑。
否定しようとするけど、「気持ちいい」という感情からは逃れられない。
肯定も否定も出来ずに黙っていると、水谷さんは私の瞳を覗き込んで、
「私たちさ、お試しで付き合っちゃおうか」
一つの提案をしてきた。
何を言ってるんだ?不思議に思う私に水谷さんは説明を加える。
「私は吉田さんが好き、吉田さんは気持ちいいのが好き。でも、お互いのことはあんまり分かってないでしょ?現時点で付き合うにはまだ早いからさ、少しずつ相手のことを知っていこうよ」
…私は、気持ちいいのが好きな訳じゃない。ジロッと水谷さんを睨むとケラケラと笑って誤魔化された。別に、付き合う必要なんてないけど。普段は必要最低限の会話しか行わない私にとって、その提案は少しだけ魅力的に思えた。
「…例えば、どんなことするの?」
「デートしてカフェ巡りしたり映画観たりとか?あ、えっちなこともしよ?」
「えっちなことはしないから!!」
過剰に反応して上擦り声が出てしまう。
えっちなこと、はしたくない。何だかおかしくなってしまいそうだから。
でも、それ以外の、デートとか。そう言うのはいいなって思った。人と会話するのは思っていたより心地良いし、その相手が水谷さんなのは少し不満だけど。
付き合ってみても良いか、お試しだし。そう思って了承の言葉を告げようとする。
「やっぱり嫌だった?」
黙ってまま何も言わない私に、水谷さんは不安そうな表情を見せる。その表情をもう少しだけ見ておきたいとも思ったけど、
「別に、嫌とは言ってない」
彼女が心変わりしない内にそう告げた。
それを聞いた水谷さんはアネモネのような華やかな笑みを浮かべる。
本当に嬉しそうな表情に、こっちまで嬉しくなってくる。
「じゃあ、よろしくお願いします?」
「……よろしく」
暫くお互いに焦ったく目線を交わし、どちらともなく口を開く。
こうして、私たちの不思議な関係が始まったのだった。
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