黒百合を貴女に

唐松

[プロローグ] 私たちの歪な関係

どうしてこんなふうになったんだろう。

どこで捻れてしまったんだろう。


…私は、ただ私を求めてくれる人が欲しかっただけなのに。

誰かに必要とされたかっただけなのに。


もう何も分からない。

全部ぐちゃぐちゃになってしまった。

彼女の手で、指で、唇で。

私の心も、体も、全てが。


彼女は私を貪る。

自分を満たすために。


私はそれを受け入れる。

自分を満たすために。




***




──平日、昼の14時。

消えた照明の下で、静かな息遣いだけが聴こえる。ベットの上で私たちは互いに身を寄せ合う。彼女の顔が近くにある、いつもの見慣れた景色。


「め、閉じてていいよ。私に委ねて良いからね?」


私の上に馬乗りになる彼女。

太ももに柔らかい身体がぴったりとくっついて。


どくんっ、心臓が疼く。

氷柱みたいに細長い指先がツーッと素肌をなぞって。冷たいのに、肌の奥が熱くなる。


制服のボタンが外され、身体を触られる。

キャミソールの上から。何度も、何度も。その感触を噛み締めるみたいに。


「んっ……」


心臓までもを鷲掴みにされ、全身を痺れが貫く。

怖い。でも、それ以上に気持ち良い。


蕩けるような空気に嫌でも興奮を覚えて。

熱が、触れられた所から伝播していく。


熱い。部屋が、顔が、胸が、この世界全てが。

彼女の瞳が目の前に迫って、その瞳が私の全てを射抜く。……真っ暗で綺麗な瞳。


着ているのはお世辞にも可愛いとは言えない、地味な下着。

だけど、それを見る彼女の瞳は半ば血走っていて。まるで"状況"そのものに興奮しているみたいだった。


恋人とは言えないほど歪んだ関係。

だけど、私たちにとってはこれが普通の付き合い方だった。もう何度目か分からない、ただ長い夢を見ているような、何処か現実味を帯びない関係。


流されるままにここまで来てしまった、と思う。


私の上にまたがった恋人、水谷さんはいつもこうだ。する時は必ず私の上に乗る。まるで自分の優位性をひけらかすように。私を支配するように。


それが、どうにも気に食わない。


蔑むような視線を向けると、彼女の口角が態とらしくつり上がった。


「め、閉じてていいって言ったよね?」


緊縛を起こす鋭い声色。

次の瞬間、彼女の細長い指が布の中に滑り込んだ。

私は思わず息を飲み込む。

意識が鋭敏になって、鷲掴みにされた肌は徐々に赤みを帯びていく。


「やめっ」


「素直じゃないねぇ」


爪が胸部に突き刺さる。

ずきり、と痛みが走った。

彼女の髪が視界に振り積もって、逃げ場が無い。身体が言うことを聞いてくれない。恐怖で息が止まりそうだ。


ベールみたいに私を取り囲んだ、染色で傷んだ茶色の髪衣。

深淵を覗き込むかのような彼女の瞳に、私だけが映った。


(綺麗……)


怖いのに、目が離せない。

思わず見惚れてしまうほどの美しさ。

性格こそ悪いのに、それを帳消しに出来る綺麗さ。


体の中で生き物が蠢く。彼女の指だ。

肌が泡立っていき、気持ち良くて身体を捩る。


「声出てるよ、吉田さん」


「うるさい。だまって」


触られた部分が痺れる。

甘い感覚が走る。

彼女の手が尚も私の身体に走る。

私の歪んだ表情を心底楽しんでいるみたいだ。


口の中が乾いていく。

怖い。それなのに、熱は治ってくれない。


気持ちいいからじゃない。

彼女の全てを私は断れない。

……私には彼女しか居ないから。


学校をサボって彼女の自室で2人きり。

派手なメイクと目尻から見えるアイプチ。クラスでも一軍で、いつも教室で男子と騒いでいる、そんな彼女と。

いたずらに、2人で行為に及ぶ。


「何でこんなことするの」


「やめてほしいの?」


やめてほしくは、ない。黙ったままの私が可笑しかったのか、水谷さんはにんまりと見つめてくる。それが腹立たしくて、不敵に笑う彼女をキッと睨む。


誰かに求められるのは気持ちが良い。

空っぽの自分を、その時だけは忘れることが出来て。

でも、心を埋めようともがけばもがくほど、彼女から離れられなくなっていく。


「吉田さん。いつも1人だよね」


「………そうだけど」


「きもちいいでしょ?」


「………うん」


確かに、気持ちいい。人から求められるのは。身体だけじゃなくてこころまで悦んでしまう。それが例え全く好きじゃない相手であっても。

だって、私は1人だから。友達も、私を理解してくれる人も、居ない。


私が幼い頃から母親は家に居なかった。あの人も私にお金だけを渡すだけで。厄介者を避けるように離れていった。私はいつも1人だった。学校でも。放課後でも。家でも。私を必要とする人間なんて居なかった。


「ほんとに可愛い。もっといいよね?触っても」


水谷さんの手が太ももに伸びる。

水の跳ねる音がして、それが静かな部屋に響き渡る。外では雨が降り始めていた。

彼女の指が、私の汗で汚れていく。

お人形遊びみたいに体を弄られて。必死に手を伸ばす彼女に、私の息も自然と荒くなっていく。


「もっと、もっと……」


いま、私だけが彼女を独占している。私だけを見てくれている。それが堪らなく嬉しい。


「もう、何も考えなくて良いからね」


優しく声をかけられ、頭をそっと撫でられる。


聖母のような微笑みを浮かべる彼女。

その優しさに溺れていきそうになる。

だけど、ふとした疑問が頭によぎった。


「水谷さんは、どうしてこんな事してくれるの?」


「……それ、今大事なこと?」


水谷さんはさっきの優しい笑みを引っ込めて無表情のまま私を見下ろす。


自分の発した質問が失言であることに気づいた。

「何でもない」私は誤魔化すように目を逸らす。


彼女から与えられる無性の愛を何も考えずに享受していたかった。だけど、もっと彼女のことを知りたいとも思った。

こんな、地味で、不細工で、ボッチの気持ち悪い隠キャに、何でこんなことしてくれるのか。


「……やっぱり、聞きたい」


「……言っていいの?」


「……うん」


心底見下したような顔で、水谷さんは私の身体を触り続ける。


「好きだからだよ。だって吉田さんは──」


「………え?」


彼女から言われた言葉が耳から離れなかった。

取り繕われた笑顔の裏を見た気がした。

彼女の瞳の奥には、深い深淵が広がっていた。


一つだけ、分かったことがあった。

私は彼女の何者でもない、ということだ。


私は結局のところずっと1人ぼっちで。

孤独で、そして満たされない。


だから私は彼女から離れられない。惰性でお互いを慰め合う。そうして、どこまでも奈落の底へと堕ちていく。


「ねえ、水谷さん」


「なに?」


「……何でもない」


喉元まで出かかった言葉がつっかえる。

言い逃れできないほどに肥大化した感情をどうしていいのか分からないけれど。

きっと、彼女の手に触れた"あの時"から、私はこの感情を持て余していて──。



物事には必ず終わりがある。

それは、人と人との繋がりも一緒だ。

友達、恋人、ましてや家族でさえも。


別れの時は来る。

唐突に、こちらの準備を待たずに。望まない形で。どうしようもなく、抗いようもなく。


私たちの歪んだ関係も、いずれは終点に辿り着く。どれだけ願っても、その事実は変わらない。


だったら、自分の手で終わらせよう。

永遠のままに、理想のままに。

歪みきって、潰れて無くなってしまう前に。


この関係を。

恋と呼ぶには余りにも美しく、そして愛と呼ぶには余りにも陳腐な──この関係を。

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