第22話

 適当な小料理屋で夕食を食べて、家に戻るとお母さんは家の中を物色して掃除が行き届いてるかを早速確認し始めた。


「しっかり掃除してるのね」

「そりゃあね」


「偉い偉い」


 お母さんは私の頭をポンポンと撫でる。

 子供扱い……。


 ただ不服感を見せても「親にとってはいつまでも子供なの」となだめられるだけだから受け入れる。


「てかお父さんは?」

「お父さんはあっち、今回はまた日本の出版社と打ち合わせなの」


「へー」


 世界的な絵本作家の父とそのマネージャーの母。


 どっちもたまにしか家に帰ってこないけど、帰ってきたら私を溺愛する。


 なーんかなぁ。


 特に中学からはかなり放置気味で、私からはあんまり両親には良いイメージがないけれど、会うとなんか親子なんだって感じがする。


「そういえばあの一緒にいた子、綺麗だったね」


「灼のこと?」


「灼ちゃんって言うの? あの子、綺麗ね。メガネ外したらいいのに」


 お母さんには灼のビジュアルの良さが分かったらしい。


 学校の男子はヤボったい女子くらいにしか思ってなかったみたいだけど、あのメガネ長スカートの正体を一目見ただけで見抜いてる。


「そうだね。眼鏡してるから3割くらいしか魅力出てないよ」

「そうなんだー。見てみたいわね」


「今度紹介するよ」


 そう言うと、ジャケットをリビングのハンガーにかけたお母さんは目を丸くしてこちらを見つめた。


「ふーん。まぁでも仲良さそうだったものね。恋人繋ぎなんかしちゃって、カップルみたい」


「うん、まぁ恋人だし」

「えっ?」


 なんの気なく、灼との関係を口にするとお母さんの言葉から熱が消えた。


「どういうこと?」

「どういうことって……そのままだけど」


 スマホからお母さんへ目をやったら、分かりやすく口元を引き攣らせてこちらを見ていた。


 見たことのない顔だった。


「恋人って言った……? 相手は女の子よね?」

「うん……それに結婚するつもりだけど」


 ……あ。


 誤魔化してもよかったのに、私の口は結婚とまで意識するまでもなくハッキリ口にしていた。


 いや、でもそうだし。

 色々なんか不安とか考えちゃってるけど……それだけは間違いないし。


 運命がそう私に言ってたんだもん。

 自分で思うために口にしたのかもしれない。


 きっと灼があんなふうにするからだ。

 灼の代わりに私が言わなきゃってなっちゃったのかもしれない。


 ……分からないけど、きっとそう。


「本気で言ってるの?」


 お母さんの声はみるみる温度がなくなっていく。


「すこし話が見えないのだけど……」


 冷たく、鋭く。

 ただそうやって言葉の鋭さが増すほど、私も同じく反発してしまいたくなる。


 否定しないでって。


「そのままだよ。なんかあの子に運命を感じたの」


「前会った時は男の子と付き合ってるみたいなこと言ってなかった?」


 前……っていつだろ。

 2つ以上前になると正直覚えてない。


 まぁ紹介はしてないだろうから誰でもいいんだけど。


「そうだけど……」

「女の子が好きだったの?」


「いや灼が好きなだけでそういう……」


 お母さんの質問は興味や関心といったものではなく、こちらを問い詰めるような厳しさがある。


 彫刻刀で彫ったみたいに眉間の皺が深い。


 いつも帰ってくるとこちらの都合も知らずそれなりに甘やかすお母さんだけど、今の雰囲気はそんなものじゃない。


「聖、遊びならやめなさい」


 お母さんは少し考えをまとめたと思えば、語気に力を込めて言った。


 胸を支えるように腕を組んで、ソファに座る私を冷たく見下ろしている。


「男遊びならまだしも、同性で付き合う遊びなんて趣味が悪すぎるわ」


「はぁ……? なにそれ。女だからとか関係ないでしょ」


「冷静に考えなさい。相手が性的マイノリティのレズビアンだとしたら、あなたはノーマルにも関わらず付き合っているのよ。相手がノーマルだったとしても、付き合ったことでマイノリティになるかもしれない」


「それの何が悪いの」


「日本はまだ大人しいかもしれないけど、海外だと同性愛者への差別はまだあるの。そういうセンシティブな部分を自分の恋愛遊びに使うのはやめなさい」


 強く、強く力を込めた言葉だった。


 いつも聖の人生は聖のものと言って放置したくせに、あまりにもお母さんの言葉は説教じみていた。


 本当に女の子が好きになったらハイさよなら。なんてダメだと言う事らしい。


「……ここ日本だし。そもそも遊びじゃないから」

「遊びじゃないの?」


「遊びじゃない。2人で結婚するって決めた」


 婚姻届とか、戸籍とか……まだよくわかんないけど。


「でも相手の子にその覚悟はないみたいだけど?」

「えっ?」


「『空井さん』って呼ばれてるわよね?」


 お母さんの瞳から更に熱が抜けていく。

 説得の詰めに入るように穏やかな口調で、こちらまで少しずつ歩いてくる。


 なにか追い詰められてる気がして、ついつい喉に力が入る。


「それは……あの時だけだし。2人でいる時は聖って呼ぶもん」

「結婚するとまで言ったのに、あのタイミングで私に紹介出来なかったじゃない」


「紹介は出来るよ。きっと話せば……」


 そこで言葉が止まった。


 会ってほしいと話せば来てくれる。それは確信してる。


 けどそれは私が「紹介したい」と言ったから、灼が受け入れるだけかもしれない

 それに気がついてしまった。


 灼は……結局どうなのか。


 確信が持てない。


 振り回してるかもしれない不安がまた泡のように湧き立つ。


 こちらへ歩み寄るお母さんを押し返したいのに言葉が出ない。


「はぁ……あなたはいつも感覚で行動するでしょう? それ自体は良いのだけど、聖は思い込みで無闇に突き進んじゃう時があるわ。本当に考えた?」


 ハァとため息を吐きながらお母さんは続ける。


「結婚なんて言うからには何かあるんでしょうけど、あの子じゃなきゃいけない理由はあるの? そもそもなんであの子が好きなの?」


 あの子じゃなきゃいけない理由。

 そんなものは分からない。


 なんとなく目が合ったら「結婚するんだ」って思ったんだから仕方ないじゃんか。


 それでプロポーズを勢いでして、受け入れてくれて、夫婦のルールまで作って。


 そうやってレールを敷いたのに、なんで当事者じゃないお母さんがそんなふうに尋問するの?


 そう言いたかった。


 けど、そんな風に頭で言葉を浮かべても口には出ない。


 ただ灼を好きな理由しか出てこない。


「灼は……私のことを見てくれて、受け入れてくれて……」


 ただそうやって繋いだ言葉もお母さんは容赦なく切り捨てる。


「『どこが』じゃなくて『なんで』を聞いているのよ。それは好きな箇所でしょ? なんで好きになったの? それを聞いてるの」


「それは……運命を感じたから……あの子と結婚するって思ったから……!」


「はぁ……」


 私はなんとか頭の中の言葉を声にした。

 けどお母さんには響かなかったようだ。


「はぁ……聖、運命なんてモノはないわよ」


 ため息ひとつで、私の気持ちの火を吹き消す。


「……世の中はぜーんぶ偶然で出来てるのよ。だから世界は美しいの」


 運命なんて決まった未来を暗示するようなものは存在しない。と断言した。


 ジャバジャバと私の心に水をかけるように言葉を浴びせられて、息が出来なくなりそうだった。


 こんなことを喋ってるお母さんは見たことない。


 いつもいつも放置して感性を育てるとか言ってた癖に、今更教育ママを気取っている。


 それがむしゃくしゃする。


 なんでこの選択に限ってこんなにも否定するの……!


「でも……運命を感じなきゃ、私は灼と一緒にいな」


「じゃあ仮にあなたとあの子の出会いが運命だったとしましょう。でも今一緒にいるのはなんで? あなたの言う運命はあくまで発進点でしょ? あの子じゃなきゃダメって必然性はあるのかしら? 逆にあの子から聖へはあるの?」


「……」


 隣に座って、淡々と諭すようにお母さんは私の頭を撫でてきた。


「言葉に出来ないということは、聖は少なくとも一緒にいてそれを感じられていないということね。それならもう少し考えてからでも……」


「もういい……」


 頭を撫でるその手を引っ叩いて払う。


 そのまま私は自室へ逃げた。

 その場にいたら溺れてしまいそうで苦しくて。


 だめだ。今じゃだめだ。

 両親に灼を紹介して結婚を認めてもらおうと思ったり、色々と2人でいるときに考えてた。

 結婚ってなったら挨拶は絶対だし。


 でも、この精神状態でそんなことできるはずない。


 訳がわからない。


 ただでさえ灼の気持ちが分からなくて、頭の中がゴチャゴチャなのにお母さんのせいでもっと分からない。


 必然とか偶然とか、そんなの考えたって灼と結婚する理由を後付けしてるだけじゃん。


 意味ない。


 灼を見た時のあの運命が囁いたような直感。

 私にとってはあれが何よりも大切なんだ。


 でもお母さんの言葉は正しくて、否定できなかった。

 だって灼にとってはそうじゃないかもしれないから。


 私と同じ直感が走っていなかったなら、灼を巻き込んでることになる。


 それは灼を想うと気の毒にも感じられたから。

 少なくとも好きでいてほしい。


 灼から何気なく。


 だからルールにも「愛してると1日1回は言う」というものは加えなかったんだ。


 よくよく考えればその頃から私は灼は不安を覚えてたんだな。


 馬鹿らしくなる。


 私の感じた運命。


 けれどそれを諦めれば今までの生き方すらも否定されそうで、最後の防波堤となって暴風に立ち向かって踏ん張っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る