第20話
「まぁとりあえず、今は客少ないしごゆっくり」
灼と一緒に休憩室に通されて、パタリと扉を閉められる。
シフト中なのにいいのかと思ったけど「店長いないし別にいーでしょ」と軽く笑ってた。
意外と気が利くんだと初めて気づきながらも、なぜか休憩室で灼と向かい合う。
「えっと、とりあえずなにか飲む? もし飲みたかったらオレンジジュースのディスペンサーあるから注いでくるけど」
「あっ大丈夫。喉乾いてないから……」
「そっか」
喧嘩も何もしてないのに、あの誠也とかいう男のせいで少し気まずい沈黙が流れてる。
「……あのね、聖」
そんな中で沈黙を破ったのは灼だった。
彼女はピンと背筋を伸ばしてこちらを見る。
「聖のバイトしてる姿を見に来たんだ。前にバイトの話もしたし」
「あー、だから来たんだ」
「……? 伝えたよね? 今日行くって」
覚えてない。
うわの空で話してた時にそんなことを言ったような気がしたけど……。
「あぁごめん。ボーッとしてたかも」
「そう……まぁでも、その途中で誠也に絡まれちゃったんだ。巻き込んでごめん」
誠也。その名前が私の中で引っかかる。
「そのさ、誠也ってあれ……灼のなんなの?」
「えっ? あぁアレが元彼だよ」
……はい?
頭の整理に時間がかかって、つい顔に力が入った。
それを見た灼が言葉を続ける。
「プロポーズした時に噂になっちゃったでしょ? 予備校で男に言い寄られてたって。振ったら凄い食い下がられちゃって……揉めたのを見られたんだと思う」
前もあんな感じで迫られたから。
表情を変えずに淡々と説明書を読むように伝えられて、私はなんとなく流れというか、状況にようやく納得した。
振ってしつこく迫られる気持ちは何度も経験があるから分かる。
灼もそういうタイプだったみたい。
「一応、一応だけどさ。せっかくだし聞いていい?」
「なに?」
「他にも元彼はいるの……?」
「いないよ。誠也だけ」
安心してと、目を細めて灼は笑った。
それに本当に安心した自分がいて、ふぅと胸を撫で下ろす。
「なんで別れたの?」
「それはセック……そういうことは一度知れば十分だったから」
「えぇ!?」
灼は言いながら休憩室を見回して、カメラを見つけたのか表現を濁してそう言った。
いや、それもうほぼ言ってるようなモノだよ。
そんなツッコミが出るはずもなく、灼の口から飛び出た突然の告白に目が飛び出て転がっていきそうになる。
少なくとも大きい声は出た。
灼は何も気にせず淡々と話を続ける。
「性交渉をすると相手の見え方が変わるって聞いてたけど……まぁそんなでもないんだなって。むしろ誠也の方がなんか普段の距離が近くなって気持ち悪かった」
「……」
「どうしたの? 顔、固まってるけど」
「……なんでヤろうと思ったの?」
「えっ?」
私は何を聞いてるんだろう。
そりゃそういう流れになったからって言われたらそうなんだけど……。
ただ、あの男としたいと思うくらい好きだったのか気になった。
今の私への気持ちと、どっちが勝ってるのかな。
なんて気持ちの悪いネバネバした考えが頭にいっぱい溢れて、自分が少し情けなくなる。
「そういう流れになっちゃったし、経験してみたかったから」
「それは好きだったってこと?」
「ん? うーん、どうだろう」
私は悩む灼を食い入るように見つめていた。
灼を知りたいというより、なにか自分の中で安心を求めてた。
「好きということはないかな」
そして、その一言でなぜか少しだけ安心する。
でも満足は出来なかった。
灼は好きじゃなくてもそういうことが出来るって裏付けにもつながったから。
「なのに付き合ってたんだ」
「告白されたから、その時は私も知らないことが多かったし。色々知れば世界のことがなんとなく分かるのかなって。単純な興味で」
何も返せないでいると「まぁ性欲というより知識欲を求めた結果だね」と灼はきっぱり言い切った。
灼の言葉で安心を覚える自分がいる。
私の中の運命が、どんどん灼に依存してる。
大地震の予言を「あーやっぱ嘘だったんだ。最初から私は分かってたけどね」と強がるように、私の不安を消すために灼の気持ちを確認してる。
「一緒になるなら私は聖の方がいい」
「そっか」
嬉しさを堪えて私はそう返した。
「それにしても妙にグイグイ聞てきたね。事前に話してた方が良かった?」
「えっ!? あ、いや、凄いなって思って。彼氏とそこまで行ったんだ」
恋人の以前の相手を気にするなんて恥ずかしくて、ついつい声が上擦る。
「別に凄くないと思うけど、聖だって経験豊富でしょ?」
答えることはできなかった。
キスはバレたとはいえ、そんな経験ないもん。
彼氏こそ多かったかもしれないけど、その一線は運命的なものを感じるまでは守ってきた。
灼が自分よりも何倍も先を行った経験をしているという、カルチャーショックめいた衝撃やギャップにどう言葉を返したらいいかすら分からない。
「もしかして……未経験?」
「……別に好きじゃない人とする理由ないし」
目の前の灼が私の知らないものに変わってる気がして、ついつい目を逸らす。
そんな様子の私に困惑したのか、彼女は口を丸くして視線を泳がせた。
「……そう。でも、ビックリしたな」
ただそれも少しだけで「そんなこともあるか」という納得した表情でこちらを見た。
「……なにが?」
「気にしてるんだなって思って。安心して、男は一度経験すればもういいから。やっぱり私には気持ち悪い」
キツい言葉を言いながらフフフっと灼は息を漏らして笑った。
私もその笑顔に力が抜けて肩が落ちる。
「これからは話すね。夫婦だから」
そして、あえて夫婦と灼は口にした。
私との距離を近づけるように。
きっと最近のギクシャクとした距離感を整えようとしてくれてる。
でもなんか……少しだけ距離を感じちゃった。
それはお互いの距離というより、一方的な距離。
意外と私は灼のことを知らないんだと思い知らされた。
灼が思ってるよりずっと私は、彼女の遠くの場所にいる。
「正直、誠也がここまで来るなんてね。あんなにしつこいなんて思わなかった」
灼はふぅとため息をついて椅子の背もたれに身体を預ける。
「その誠也を捨てて私の手を取ってくれたんだね」
「うん。一通り経験してさ、もう男はいいかなって思ったし、ちょうどよかったんだ」
その言葉に、私は少し引っかかった。
男はいいかな。
ちょうどよかった。
それってどういう意味なんだろう。
私の心の奥でまた不安が湧き上がる。
灼は私が女だから付き合ったのでは?
私じゃなきゃいけない理由はないのでは?
ふと、深海から立ち上がる泡のように黒い感情がブクブクと音を立てている。
「ねぇ……灼」
「なに?」
「灼はさ、私とどうなりたい?」
私は確認しなきゃいけなくなった。
灼の気持ちを。
灼が私を好きでいてくれるかどうかを。
「私は……」
そうやって灼が口を開いた瞬間、休憩室の扉も開いた。
「あ、聖ちゃん。ちょっと忙しくなってきたからこれる?」
「え? あぁ……うん。ごめん灼。シフト後少しだし待っててくれる?」
良いところだったのに。
ただ給料が発生してるから仕方ないし、とりあえず立ち上がった
「うん。分かった」
灼はしっとりとした視線でこちらを見てる気がした。
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