第2話

 隣の扉から教室を覗く。


 私は梨々香の頭上から顔を出して、まるで団子みたいになりながら教室を見渡すと、男子の視線でその女の子はすぐ分かった。


 窓際の前から4番目、偶然にも私と同じ席位置だ。


 梨々香も気付いたようでハッキリと呟く。


「メガネって、あの子じゃん」

「確かに、スカート長いって言ってたもんね」


「あたし知ってるよあの子。名前も顔もよく思い出せないけど」

「……それ知ってるって言うの?」


 噂の女子は私たちの知っている生徒だった。

 とはいっても存在を認知してるくらいの話だけど。


 名前は知らない。あの子はなんとなく目に入っていて印象に残っていた。


 全体的に華奢でスカートから細いふくらはぎが伸びていた姿を覚えてる。


 みんな膝上5センチの校則を破りあの手この手でスカートを短くしているけど、彼女だけが校則を守り膝が隠れるくらいに長い。


 暑くないのかなと思ったことがある。


 1人だけスカートを長くしている彼女は、多分女子の大半はなんとなく認知していたと思う。

 そして、ほんのりと浮いていた。


 そんな彼女は1人本を読んでいて、その様子を男子のみんなが見つめている。


「別に夏休みデビューって訳じゃないんだ」

「あたし芋っぽい子が聖みたいにイケイケゆるふわ女子になったのかと思った」


 梨々香はそう言うと、視線で私のつむじからつま先までを見る。


 私にイケイケ要素があるかはさておいて、たしかに噂の彼女は1学期と印象は変わってない。


 雰囲気は暗くて、1人で、眼鏡で、細くて、色白で、艶っぽい黒髪の綺麗なストレートのセミロング。


 うん、多分イメージは全く変わってない。


 それでも可愛いと言われてるのはやっぱり眼鏡……?


「やっぱりあれ外したら可愛いのかな?」


 梨々香は目を細めてジロリと眺める。


「もうクラス入っちゃえばいいじゃん……どうだろ、んー……?」


 必死な彼女に呆れながら私も目を凝らしてみる。


 男子の視線がチラチラと集まっているし、何かしら話しかけられているが無視している。


 頬杖をつき、小説を片手にすることで無視を正当化している。


 そんな彼女はとても退屈そうに本を眺めていた。


 目は……切れ長の目をしている。


 けれど細いわけではなくて、造形として綺麗なパーツをしてるのが横から見ても分かる。


 鷹のような鋭さっていうか……。とそんなことを思っていると目が合った。


「あっ」


 小説から視線を外した黒い瞳がこちらを向く。

 その時、私の口は自然と言葉を発した。


「……もっと近くで見たい」

「えっ? あっちょっ! 聖!?」


 ……足まで自然と動いていた。


 誰かに急かされた訳でもなく、ただそうした方がいいというか……。


 なんとなく。そんな直感が私を突き動かした。


 なんでかは私にも分からない。


 まるで水の流れに身を任せたように、身体が彼女の元へ吸い寄せられる。


「ねぇ」


 近くにいた男子を手でどけて、机に座る彼女を見下ろすと、彼女もまた私を見上げている。


 眼鏡越しにこちらを見つめる。


 猫のように大きく、鷹のように切れ長の目がレンズ越しに私を捉えている。


「……?」


 首を傾げる彼女を見て、改めて自分の中で何かが弾けているのを感じた。


 頭の中がバチバチと、ビビッとくるような直感。


 それはきっと……私がずっと求めていたものだ。


 私はその衝動と直感に任せるまま、座った彼女に手を伸ばした。


「ねぇ……私と結婚しない?」


 私も何を伝えるかを考えず、口が動くままを言葉にした。


 そしたらその言葉はプロポーズだった。


 性格も知らないのに、なぜか私は自然と眼鏡の彼女にプロポーズをしていた。


 周囲が一瞬沈黙する。

 あれだけざわついていたのに、私の言葉を疑うようにピタリと。


 私と教室に入った梨々香ですら、顔は少し固まっていた。


 そんな雰囲気を浴びて私は我に帰った。


「あっ。えっと! あ、ごめん。いきなりだったよね」


 すると目の前の女子生徒も口を開けていたことに気付いたのか、急いで口を閉じて視線を上に下に動かして何かを考える様子を見せた。


 その姿を見て梨々香が肩を叩いて口を挟む。


「ちょっと聖! 何言ってんの?」

「えっ、あ、いやなんかビビッときちゃって、直感というか、運命というか……」


「ビビッとって……いくら聖でも女同士で結婚なんて流石に……」


「いいね結婚。しよっか」


 梨々香の言葉を遮ったのは私じゃなく、目の前の眼鏡の女子生徒だった。


 彼女は大きな瞳を少し細めて口角を上げ、八重歯を見せて笑うと差し出した私の手を握った。


 ひんやりとしながら滑らかな指の感触で、彼女がなんて答えたかが脳に届く。


「……マジで結婚してくれるの?」


 私が間の抜けた声を出すと、次に彼女は目を丸くして首を傾げた。


「しないの?」


 何を疑問に思ってるのかと言わんばかりの表情で、さらに言葉が投げられる。


 私もそれに言葉を返す。


「結婚だよ?」

「うん、いいよ」


 まるで私だけがおかしなことを言っているかのような空気が2人の間に流れた。


 彼女の言葉は必要最低限のもの。


 だけどそれは嘘や冗談に乗っかるというような様子は一切なく、ただ淡々とこちらに意思を伝えている。


 いいの? いいのかな?


「じゃあ……」


 だから、私はそのまま握り返す。

 その様子を見た梨々香は驚きで上ずったような声を出す。


「聖……マジ?」

「うん」


 私の言葉は冗談なんかじゃない。


 本心から、なんとなく感じたことを口にしたらああいう形で出力された。


 なんでか全く分からないけど私には分かる。


 彼女が多分……運命の人なんだと思う。


 目が合った瞬間にビビッと来て、ずっと探し求めてた「私はこの人と結婚するんだな」という直感が頭の中を駆け回った。


 手品師のシルクハットから白い鳩が飛び立つように、あるはずのないところから突然何かが湧き上がる直感。


 まさか女の人にこんな感覚を覚えるなんて……。


「不束者ですが、よろしくお願いします」


 さらに言うなら目の前でこちらの手を握って静かに笑う女の子が、私の求婚を受けるなんて。


 正直口にして「変なこと言っちゃってる」と思ったのに、彼女は平然と受け止めていることにも驚きと戸惑いが混ざる。


「本当にいいんだ……」


 手汗がじんわりと滲むのを感じる。


 心臓の鼓動の速さが、手の血管から伝わるんじゃないかとドキドキした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る