第54話 黄昏の港と、ギルドの未来計画

異空間【黄昏の港町アジール】。

その、三つの月が常に空に浮かび、永遠の夕暮れ時が続く港町の空気は、ギルド『アフターファイブ・プロジェクト』の四人と一匹にとって、もはや第二の故郷のような、心地よい喧騒に満ちていた。

酒場『彷徨える魂の停泊所』。その、オーク材の重厚なテーブルの上には、先ほどまで彼らが舌鼓を打っていた神々の領域の料理の皿が、綺麗に空になって並んでいる。佐藤健司(35)は、その満腹感と、目の前で繰り広げられる光景に、サラリーマンとしての人生では決して味わうことのできない、奇妙な、しかし確かな幸福感を噛みしめていた。


「いやー、食った食った!マジで、ここのサラマンダーの丸焼き、神だよね!」

星野輝は、その口の周りについたソースをぺろりと舐めながら、満足げな声を上げた。その瞳は、達成感と、そして何よりも、これから始まるであろう「次のビジネス」への期待で、ギラギラと輝いている。

「はい…!グリフォンの卵のオムライス、ふわふわで、美味しかったです…!」

天野陽奈もまた、その隣で、自分のことのように嬉しそうに、感嘆の声を上げていた。

「あたし、海竜の触手のカルパッチョ、もう一個食べたいなー」

兎月りんごは、すでに次の獲物へと照準を定めている。

その、あまりにも平和で、そしてどこまでも食欲旺盛な少女たちの姿。それに、健司は深いため息をつくと、その手に持っていたメニューを、静かにテーブルの上に置いた。


「――さて、と」

その場の空気を支配する、絶対的な権力者として、そしてこの宴の唯一のスポンサーとして、口火を切ったのは、輝だった。

彼女は、そのARウィンドウに、自らが作成した完璧な収支報告書を、きらびやかなエフェクト付きで表示させた。

「ボス!聞いてよ!昨日のハイスト4連戦の結果、集計終わったから!」

彼女の声は、どこまでも弾んでいた。

「あたしたちがゲットした戦利品、全部で180万円!それが一日一回で、4人分だから、合計720万円の利益!」

「そこから、今回の経費210万円を差し引いて…純利益は、なんと510万円だよ、ボス!」

「すごくない!?たった一日で、あたしの年収、軽く超えちゃったんですけど!」

その、あまりにも暴力的な数字。それに、陽奈とりんごの瞳が、星のように輝いた。

「すごい…!」

「510万…」

りんごが、その数字を、自らの指で数え始めた。

輝は、その熱狂をさらに加速させるかのように、続けた。

「これを、一週間続けたらどうなると思う!?なんと、3570万円!だよ、ボス!いやー、冒険者は儲かるなー!」


その、あまりにも壮大な、そしてどこまでも現実的な、未来への展望。

それに、健司は、ただ静かに、頷いていた。彼の、中間管理職として長年培ってきたリスク管理能力が、その数字の裏にある、あまりにも大きなリスクを、正確に弾き出していたからだ。だが、そのリスクを、目の前のこの少女は、全く意に介していない。

彼女の視線は、もはや過去の勝利にはない。

次なる、そしてより大きな「投資」へと、向けられていた。


「でさー、ボス。これだけ儲かったんだし、そろそろ装備更新したいなー」

輝の、そのあまりにも唐突な、そしてどこまでも彼の財布を抉る提案。

それに、健司は眉をひそめた。

「…まだ、早いだろ。今の装備でも、B級中位までは十分に通用する」

「分かってないなー、健司さんは」

輝は、呆れたように言った。

「あたしたちは、もうただのB級じゃない。世界の頂点を狙う、ギルドなんだよ?だったら、常に最高の装備で、最高のパフォーマンスを発揮するべきっしょ!」

彼女は、そう言うと、ARウィンドウに、一枚の、神々しい輝きを放つ首輪の画像を、ホログラムとして投影した。


名前:

神域の元素心核


種別:

首輪


レアリティ:ユニーク


要求レベル:40


効果:

・HP+220

・MP+50

・全耐性+18%

・スキル【元素の盾 Lv.20】付与

・HPが30%以下になった時、一度だけ全てのデバフを解除し、10秒間ダメージを60%軽減するバリアを張る。(戦闘ごとに1回リセット)


フレーバーテキスト:


清純なる力は神域へと至り、持ち主の生命そのものと一体化した。もはやそれは単なる守護の道具ではなく、魂を守る最後の砦、不滅の心核である。


「これ!【神域しんいき元素げんそ心核しんかく】!今、マーケットに出てるんだけどさ、マジでヤバくない!?これ、ボスが装備したら、うちのパーティの生存率、マジで神の領域に達するよ!」

彼女は、そのあまりにも的確なプレゼンテーションで、健司へと迫った。

「これ、3000万円だし、買おうよ!ボスが装備したら良いじゃん!」


その、あまりにも魅力的で、そしてどこまでも彼の心を揺さぶる提案。

だが、健司は、その首を、静かに、しかしどこまでも頑固に、横に振った。

「えー…」

彼の口から、心の底からの、拒絶の言葉が漏れた。

「俺は、ダンジョンに週2で行くぐらいだし。お前らの戦力アップの方が、良いと思うぞ?」

彼は、そう言って、そのあまりにも真っ当な、そしてどこまでも自己評価の低い理由を述べた。

(…まあ、今後は毎日アジールでハイスト一日一回するけど。それは、言わないでおこう)

彼の、そのあまりにも不器用な、しかしどこまでも仲間を思いやる優しさ。

それに、輝は、少しだけ呆れたように、しかしどこか嬉しそうに、ため息を吐いた。


「うーん、たしかにそうだね。でも、あたしの毒瓶ビルド、格安だから、今欲しい装備ないんだよねー」

「あたしは、奇跡特化だから、装備いらなーい」

りんごもまた、その会話に、どこまでもマイペースに、そしてどこまでも真理を突いた相槌を打った。

その、あまりにも噛み合わない、しかしどこまでも彼女たちらしい会話。

その中で、これまで黙ってそのやり取りを見守っていた、陽奈が、おずおずと、その小さな手を上げた。


「…あの」

彼女の声は、か細かった。だが、その奥には、確かな、そしてどこまでも切実な「願い」が宿っていた。

「私は、実は欲しい装備がありまして…」


その、あまりにも意外な、そしてどこまでも健気な申し出。

それに、健司の、その死んだ魚のようだった目に、ほんの少しだけ、生気が宿った。

「――じゃあ、それ買うか」

彼の、そのあまりにもあっさりとした、そしてどこまでも優しい一言。

それに、陽奈の顔が、ぱっと輝いた。


「ほ、本当ですか!?」

「ああ。どんなやつだ?」

「はい!」

陽奈は、そのARウィンドウに、一つの、美しい瑠璃色の宝石がはめ込まれた、銀細工の首輪の画像を、表示させた。

「これです!MPが24%も増える、ユニークの首輪で…。私の、これからのビルドに、どうしても必要なんです…!2000万円、しますけど…」

その、あまりにも大きな金額。

それに、輝とりんごが、その瞳を輝かせた。

「買おうよ!」

「さんせー!」


その、あまりにも息の合った、そしてどこまでも無責任な、賛成の声。

それに、健司は、もはや何も言うことはできなかった。

彼は、そのあまりにも大きな出費に、少しだけ目眩を感じながらも、静かに、そして力強く頷いた。

「…分かった。買おう」


「それと」

陽奈は、その喜びを噛みしめるように、続けた。

「あと、みんなの分のレジェンダリージェムも、揃えたいですね」

「あー、それもあるね」

健司は、頷いた。

彼の首元で輝く【不死鳥ふしちょうなみだ】。その、あまりにも強力な恩恵を、彼は誰よりも理解していた。

「ボスの首輪分しかないし、戦力的には私達も欲しいなー」

輝もまた、その提案に、力強く同意した。


その、あまりにも壮大な、そしてどこまでも金のかかる、未来への投資計画。

その、あまりにも非現実的な数字の奔流。

それに、健司の、サラリーマンとしての魂が、一つの、あまりにも現実的な「問い」を、投げかけた。

「…そういえば、ギルドハウスどうする?」

「あー、ギルドハウスね」

輝が、その問いに答える。

「家賃50万円だけど、管理費もあるし、100万円で見ときたいね」

「ギルドハウスはボスの家があるし、しばらくは良いんじゃない?」

「おいおい、俺の家…」

健司の、その悲痛な叫び。

「まあ、ローン返済して貰ったし、別に良いけどなぁ」


その、あまりにも諦観に満ちた、そしてどこまでも優しい一言。

それに、輝は、ニヤリと笑った。

そして彼女は、このギルドの、そしてこの世界の、最も根源的な「真実」を、そのテーブルへと叩きつけた。

「ていうかさー、ボスの本業より、ハイストの儲けが、上じゃない?」

「本業、いる?」


静寂。

数秒間の、絶対的な沈黙。

その、あまりにも的確な、そしてどこまでも残酷な問いかけ。

それに、健司は、少しだけ遠い目をした。

そして彼は、そのあまりにも人間的で、そしてどこまでも哀愁に満ちた「答え」を、語った。

「…冒険者一筋になるつもりはないから、仕事は続けて行きたいなぁ」


その、あまりにも不器用な、そしてどこまでも彼らしい、生き方。

それに、三人の少女たちは、顔を見合わせた。

そして、彼女たちは同時に、最高の笑顔で、その最高のボスへと、言った。

「まあ、そうだよね」とりんご。

「それで良いんじゃない?」と輝。

「はい。その方が、健司さんらしいと思います」と陽奈。


その、あまりにも温かい、そしてどこまでも尊い、肯定の言葉。

それに、健司は、ただ、その顔を真っ赤にさせながら、俯くことしかできなかった。

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