第48話 課長の知らない常識 Part2

その日の夜、ギルド『アフターファイブ・プロジェクト』の本部…もとい、佐藤健司(35)のタワーマンションのリビングは、これまでにないほどの、奇妙な学究的熱気に包まれていた。

原因は、言うまでもなく、健司の、そのあまりにも致命的なまでの「無知」だった。

先日のB級ダンジョンでの一件以来、少女たちは、自らのギルドマスターが、この世界の「常識」から、いかに取り残されているかを、深く、そして痛感していた。

そして、彼女たちは決意したのだ。

この、あまりにも不憫な「生きた化石」を、我々の手で、現代社会へと適応させてみせよう、と。


「――いいですか、健司さん」

天野陽奈が、そのARウィンドウに、冒険者学校で使っているという、歴史の教科書の電子版を表示させながら、まるで先生のように、優しく、しかしどこまでも真剣に、語りかけていた。

「これが、世界の、今の『常識』です。ちゃんと、覚えてくださいね?」

「…ああ」

健司は、そのソファの上で、体育座りをさせられながら、死んだ魚のような目で、頷いた。

彼の前には、三人の女子高生と、一匹のARマスコットが、仁王立ちで、彼を見下ろしている。

それは、もはやただのギルド会議ではない。

一つの、公開処刑であり、そしてどこまでも面倒くさい、補習授業だった。


「まず、基本の基本からね!」

星野輝が、そのサイドポニーを揺らしながら、教鞭(という名の、テレビのリモコン)で、ホログラムモニターを指し示した。

モニターに映し出されているのは、世界の主要なギルドの、相関図だった。

「あたしたちが、普段お世話になってる、この日本の『公式探索者ギルド』。こいつは、あくまで日本国内だけを管轄してる、支部みたいなもんなの。分かる?」

「…まあ、それくらいは、俺でも分かる」

「で、そのさらに上に、世界の全てを牛耳ってる、ヤバい奴らがいるわけ。それが…」

彼女は、その相関図の、頂点に君臨する、一つの荘厳な紋章を、指し示した。

「――国際公式探索者ギルド。通称、『ワールドギルド』ね」


その、あまりにも壮大な響き。

それに、健司は、心の底から面倒くさそうに、ため息を吐いた。

そして彼は、そのサラリーマンとしての、あまりにも染み付いた価値観から、一つの、あまりにも的を射た、そしてどこまでも夢のない質問を、口にした。


「…で?**その、国際なんとかっていうのは、何をしてる組織なんだ?**結局、俺たちみたいな末端のギルドから、上納金を巻き上げて、ふんぞり返ってるだけの、天下り組織だろ?」


静寂。

数秒間の、絶対的な沈黙。

その、あまりにも完璧な、そしてどこまでもサラリーマン的な、偏見。

それに、三人の少女たちは、顔を見合わせた。

そして、彼女たちは同時に、深く、そして重い息を吐いた。

その沈黙を破ったのは、フロンティア君の、けたたましいアラート音だった。


「違うッピ、健司!全然、違うッピ!」

彼は、そのピンク色の体を、怒りで真っ赤に染めながら、熱弁を振るい始めた。

「国際公式ギルドは、そんなちっぽけな組織じゃないッピ!彼らこそが、この世界の、本当の『神々』なんだッピよ!」

「ダンジョンが出現した時、最初にその脅威と可能性を理解した、日本政府とアメリカ政府が、水面下で協力して作った公式探索者ギルド。その、さらに上位組織が、国際公式探索者ギルドだよッピ!」


その、あまりにも壮大な、創設秘話。

それに、健司は、ふんと鼻を鳴らした。

「…ほう。つまり、日米の、談合組織か。ますます、胡散臭えな」

「違うッピ!」

フロンティア君は、そのあまりにもひねくれた解釈に、涙目になりながら、抗議した。

「彼らの、主な仕事は二つ!一つは、世界の平和と秩序を守ること!そして、もう一つは!」

彼は、そこで一度言葉を切ると、そのARウィンドウに、いくつかの、神々しい輝きを放つアイテムの画像を、映し出した。

ときもどし、若返わかがえりのくすり】。

運命うんめいあか糸電話いとでんわ】。


名前:

運命うんめいあか糸電話いとでんわ

(うんめいのあかいとでんわ)

(The Red String Telephone)


レアリティ:

神話級 (Mythic-tier)


種別:

アーティファクト / 因果律観測具 (Artifact / Causality Observation Tool)


効果:

対になった二つの簡素な糸電話。片方の紙コップを耳に当て、自らの魂の本質(性格、価値観、夢など)を強く念じることで、もう片方の糸電話が世界のどこかに存在する「自らの魂と最も共鳴する、まだ見ぬ運命の相手」の元へと自動的に転移する。


転移した先の相手が、その糸電話を手に取り耳に当てれば、二人の間には物理的な距離を完全に無視した対話が可能となる。二人の間で交わされる言葉は、たとえ異なる言語であったとしても、この糸電話を通じて互いの母国語へと自動的に、そして完璧に翻訳される。

このアーティファクトはあくまで「縁」を結ぶだけであり、相手の居場所を特定する機能は持たない。声と、魂の響きだけが、二人を繋ぐ唯一の道標となる。


フレーバーテキスト:


世界は、あまりにも広く、

人生は、あまりにも短い。


無数の魂がすれ違う、この雑踏の中で、

たった一つの、同じ歌を口ずさむ相手と出会う。


その確率を、賢者は天文学的だと笑った。

だが、愚者は信じた。

声さえ届けば、奇跡は起きると。


さあ、耳を澄ませ。

世界のどこかで、君の歌を待っている、もう一人の君がいる。



そして、JOKERがその手にした、数々の神話級の遺産。


「基本的には、S級から出るアーティファクトや、冒険者/探索者の管理をしてるんだよッピ!」

「S級ダンジョンからドロップする、世界の理そのものを捻じ曲げかねない、これらの危険な『おもちゃ』。それが、悪の手に渡らないように、厳重に管理する。それこそが、彼らの、最も重要な仕事なんだッピ!」


その、あまりにも的確な、そしてどこまでも分かりやすい解説。

それに、陽奈が、その大きな瞳を輝かせながら、付け加えた。

「そうですよ、健司さん!冒険者学校の授業でも、習いました!」

「国際ギルドは、私達みたいな普通の探索者には、あまり関わりがないんです。でも、JOKERさんみたいな、SSS級の探索者さんたちが、世界のバランスを壊してしまわないように、見守ってくれている、大切な存在なんですよ」


その、あまりにも純粋な、そしてどこまでもキラキラとした、尊敬の眼差し。

それに、健司は、ぐっと言葉に詰まった。

そして彼は、そのあまりにも面倒くさい、しかしどこまでも揺るぎない現実を、ようやく受け入れた。

この世界には、自分の知らない、あまりにも巨大な「秩序」が、確かに存在しているのだと。

彼は、そのあまりにも大きな孤独感と、疎外感に、打ちひしがれていた。

そして、彼は呟いた。

その声は、心の底からの、本音だった。


「…はぁ。スケールが、デカすぎる…。俺には、関係ねえ話だな…」


その、あまりにも情けない、そしてどこまでも哀れな、敗北宣言。

それに、輝は、ニヤリと笑った。

そして彼女は、その最高の、そして最も残酷な「現実」を、そのテーブルへと叩きつけた。

「――残念でしたー、ボス。大アリなんだな、これが」

「は?」

「だってさ」

彼女は、そのARウィンドウに、一枚の、見覚えのあるスクリーンショットを表示させた。

それは、健司の、SSS級ユニークスキル【盟約めいやく円環えんかん】の、鑑定結果だった。

「ボスの、そのスキル。SSS級でしょ?」

「…ああ」

「つまり、ボスも、その『管理対象』ってわけ。ギルドの、要注意人物リストに、バッチリ載ってるよ、あんたの名前」


その、あまりにも衝撃的な、そしてどこまでも逃れようのない、真実。

それに、健司の顔が、サッと青ざめた。

彼は、その場で頭を抱え、うずくまった。

そして、その震える声で、呟いた。


「…マジかよ…。俺、ブラックリスト入りかよ…」


彼の、そのあまりにも人間的な、そしてどこまでも哀れな絶望。

それに、三人の少女たちは、この日一番の、そしてどこまでも温かい笑い声を、上げた。

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