第42話 大豪邸と、ご両親への挨拶

その日の夜、ギルド『アフターファイブ・プロジェクト』の本部…もとい、佐藤健司(35)のタワーマンションのリビングは、これまでにないほどの、奇妙な熱気に包まれていた。

議題は、ただ一つ。

『プロジェクト・リフト』の大成功によって得られた、莫大な利益と経験値。それを、次に何へと「投資」すべきか。

その、あまりにもビジネスライクな議題を提示したのは、もちろん、このギルドの事実上の最高財務責任者(CFO)、星野輝だった。


「――というわけで、ボス!」

輝は、ARウィンドウに映し出した完璧なパワポ資料を指し示しながら、そのサイドポニーを揺らした。

資料のタイトルは、『Project: Next Stage - 我々のQoL(生活の質)向上と、ギルドのブランド価値最大化に向けた不動産投資に関する一考察』。

「あたしたち、いつまでもボスの家に居候ってわけにもいかないでしょ!もっとデカいギルドハウス、借りようよ!」

彼女が、そのプレゼンの本題を切り出した瞬間、健司は深いため息を吐いた。


「却下だ」

彼は、即答した。

「今の倉庫で、十分だろ。これ以上、固定費を増やすのは、経営判断としてありえん」

「ちぇー。ボスは、夢がないなー」

輝は、不満そうに唇を尖らせた。

「でもさ、見てよ、これ!」

彼女は、パワポのページをめくった。次に表示されたのは、神の御業。

魔石ませきエネルギーを利用した、空間拡張技術】。

画面には、小さなテントが、一瞬にして広大な一軒家へと変貌する、衝撃の映像が映し出されていた。


「これだよ、これ!この技術を使えば、家賃は安いまま、中は大豪邸にできるんだよ!」

彼女の、その大きな瞳が、これ以上ないほど、キラキラと輝き始めた。

「あたし、もう調べてきたんだ!この技術、もう一部の不動産会社で、導入が始まってるんだって!あたしたちも、やろうよ!」

その、あまりにも前向きな、そしてどこまでも彼の平穏を破壊する提案。

それに、輝は、とどめとばかりに、その小悪魔的な笑みを浮かべて、言った。

「――まさか、ボス。これも知らない、とか言わないよね?」


その、あまりにも的確な、そしてどこまでも彼のトラウマを抉る、挑発。

それに、健司の、常に冷静だったはずの眉が、ピクリと動いた。

「…馬鹿野郎。流石に知ってるよ」

彼の声には、明らかな苛立ちの色が滲んでいた。

「うちのタワマンでも、もう実装してるご家庭があるって、管理組合の回覧板で読んだぜ?」

「へえ、そうなんだ!」

「ああ。だが、**面倒くさいから、うちは断ったんだよ。**工事だの、申請だの、考えただけで頭が痛くなる」


その、あまりにも彼らしい、そしてどこまでも後ろ向きな理由。

それに、輝は呆れたように肩をすくめた。

だが、健司は続けた。その声には、中間管理職としての、切実な響きがあった。

「それに、**ギルドハウスは魅力的だけど、金がなぁ。**確かに、ジェムの売却益で、ギルドの資産は増えた。だが、それはあくまで、緊急時のための予備費だ。こんな、不確定な未来のために、無駄遣いはできん。もうちょい稼いでからじゃ、ダメか?」


その、あまりにも正論な、そしてどこまでも手堅い反論。

それに、輝は一瞬だけ、言葉に詰まった。

だが、彼女は諦めない。

彼女は、その天才的な交渉術で、次なる一手へと打って出た。

「**うーん、確かにお金ガバガバ使うのも、とは思うし…。**分かった!」

彼女は、最高の笑顔で、その妥協案を提示した。

「今回は、見学だけって事で!一回、見に行こうよ!」

「…見学だけ、だと?」

「そう!見るだけなら、タダでしょ?ね?」


その、あまりにも悪魔的な、そしてどこまでも抗いがたい、誘いの言葉。

それに、健司は、ぐっと言葉に詰まった。

そうだ。

見るだけなら、リスクはない。

ここで、完全に拒絶すれば、この後三日間は、彼女たちの機嫌が最悪になるだろう。

それこそが、彼にとっての、最大のリスクだった。

「……見るだけなら、いいぞ」

彼が、その降伏宣言を口にした、その瞬間。

輝の顔が、ぱっと輝いた。

「やったー!」

「**じゃあ、次の週末にでも行こうぜ。**それで、良いだろ、陽奈?」


健司は、その話の流れで、それまで静かに紅茶を飲んでいた、陽奈へと、その視線を向けた。

だが、彼女は、その問いかけに、答えなかった。

陽奈は、何か考え事をしているようだった。その大きな瞳は、どこか遠い場所を見つめ、その表情は、わずかに、しかし確かに、曇っていた。

健司の、そのリーダーとしての直感が、その小さな異変を、見逃さなかった。


「陽奈?どうした。何か、あるか?」

彼の、その優しい問いかけ。

それに、陽奈の肩が、わずかにピクリと動いた。

彼女は、はっとしたように我に返ると、その顔を、これ以上ないほど、真っ赤に染めた。

そして、彼女は、おずおずと、その小さな唇を開いた。

その言葉は、健司の、その平穏な週末の計画を、完全に、そして未来永劫に、破壊するには、十分すぎるほどの威力を持っていた。


「あ、あの…いえ、実は…。」

彼女の声が、震える。

「両親が、健司さんに、一度ご挨拶がしたいと、言い出しててですね…」


静寂。

数秒間の、絶対的な沈黙。

そして、その沈黙を破ったのは、健司の、心の底からの、魂の叫びだった。

「――あー…」

彼は、その場で頭を抱え、うずくまった。

頭が、痛くなる。

(ご両親…だと…?)

彼の脳内で、これまでに経験したことのないほどの、巨大な赤色のアラートが、鳴り響いていた。

(なんで!?どうして!?俺、何かしたか!?)


その、あまりにも人間的な、そしてどこまでも哀れな、彼のパニック。

それを、輝とりんごは、ニヤニヤと、そしてどこまでも楽しそうに、眺めていた。

健司は、その震える声で、陽奈へと、その最後の、そして最も重要な確認を、行った。

「…だ、大丈夫か…?俺、親に殴られても、おかしくないぞ?」

その、あまりにも切実な、そしてどこまでも自覚に満ちた問い。

それに、陽奈は、くすくすと、楽しそうに笑った。

そして彼女は、その全ての不安を、優しく溶かすかのように、言った。

「**いえ、別にそんな感じじゃなかったので。**グランプリでの活躍、テレビで見て、すごく感動したって。一度、娘がいつもお世話になっている方に、ご挨拶がしたいだけなので、って、和やかに言ってましたよ」


その、あまりにも穏やかな、そしてどこまでも彼の予想を裏切る、真実。

それに、健司の、その張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと音を立てて、切れた。

彼は、その場でソファへと、崩れ落ちた。

そして、その口から、心の底からの、安堵のため息が漏れた。

「よ、よかった…」


彼は、その手で顔を覆いながら、呟いた。

その声は、震えていた。

「…ダンジョンより、ビビった…」

その、あまりにも正直な、そしてどこまでも情けない一言。

それに、輝とりんごは、腹を抱えて、笑い転げた。

「ビビりすぎー!」


「そうだッピ!」

その、笑いの渦の中心で、フロンティア君が、元気いっぱいに叫んだ。

「ハーレム主なんだから、堂々とするッピ!」

その、あまりにも無邪気な、そしてどこまでも空気が読めない、純粋な指摘。

それに、健司の、最後の理性の糸が、ぷつりと音を立てて、切れた。

彼は、その全ての魂を込めて、絶叫した。


「いやいや、ビビるだろ!普段から、未成年連れ込んでるんだぞ!通報されても、おかしくないわ!」

「ハーレム認めるのは嫌だが、100歩譲って良いとして!世間体ってもんが、なぁ!」


彼の、そのあまりにも人間的な、そしてどこまでも哀れな、魂の叫び。

それに、三人の少女たちは、この日一番の、そしてどこまでも温かい笑い声を、上げた。

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